横道

いぬきつねこ

横道

――その細い道は、いつも私を素敵なところに連れて行ってくれる。


 「注意力が足りません。もっと集中しましょう。」

学生時代の通知表にはそればかり書かれた。

注意力が足りないと言われる割に、私は横道を見つけることがよくあった。

私は会社から帰る途中に細い一本の道を見つけた。

右手には月極の平面駐車場、左手には予備校の入ったビルがある。予備校ビルとその先の建物の間に、人が2人並んで通れないくらい細い道があった。

こんな道あったかなと思って覗き込むと、障害物は見当たらなかった。どうやら真っ直ぐに伸びているらしい。

駅の南口辺りまで続いていたらいいなあ。

私の住むアパートはこの地方都市の駅南にあるのだが、ここから大通りを進むととにかく信号が多くて時間がかかるのだ。

まだ空は明るく、途中で引き返すにしても時間はある。私はこの道を行くことにした。

上の空で関係のない方向ばかりを見ているから横道を見つけるのか、それとも皆はこういう道に気がついていて、私がぼうっとしているから気がつくのに遅れるのかはわからない。

ビルの合間の細い道を進む。

両側に建物が聳えていたのは僅かな間だった。

5分ほど歩くと、道の両側はこちらに背を向けた家並みに変わった。

どうやら道は並んだ家の裏手を通って住宅街の真ん中を突っ切っているらしい。道は家と家と間を抜け、まだ伸びている。

道の両側は側溝になっていて、きれいな水が溜まっていた。細い魚影が見える。

立ち並ぶ家は皆、瓦葺きの古い家ばかりだった。

この街は駅の周りに昔から住む人たちの居住エリアがあると聞くので、それがここなのかもしれない。

ここに住む人たちだけが知っている、密やかな抜け道。

私は空を見上げた。

夏の日は長く、まだ夕焼けの色がのこっている。

どこかから、途切れ途切れに、辿々しいピアノの音がする。ぎこちない子犬のワルツ。

通り過ぎた家から家族の笑い合う声がした。

軒先に吊るされているのであろう風鈴の軽やかな音色。

気温が下がり始めた合図の涼しい一条の風が私のうなじを撫でていく。

夜に向かう夏の空気を吸い込むと、日々の生活に倦んだ頭の中が洗われていくような気がした。

気がつくと道は突然終わりを告げ、私は駅前の喧騒の中に放り出された。痛みを感じて自分の手を見ると、左手の中指の爪が割れて血が滲んでいた。

振り返っても私が通ってきた筈の道は見つけられず、翌日に道の入り口を探したが見つからなかった。


 横道はまた私の前に現れた。

私は相変わらずぼんやりと生きていて、時々残業しつつも仕事を終わらせると帰宅し、目的もなく部屋で過ごす日々を送っていた。

恋人を作ったり、同僚と酒を飲んだり、友だちと流行りのカフェに行ったり、他愛もない話で笑い合うようなことは私にはひどく難しかった。私の興味や関心はそれらと微妙にずれていて、なによりも私自身がそのずれを認識してしまっているのだった。

だから私は不用意に人に近づくことをやめていた。

その日は朝早く目が覚めた。

ようやく朝日が登ったという時間で、外は乳白色の細かい霧に包まれ、輪郭がぼやけていた。

アパートの階段を下り、コンビニでも覗こうかと歩いていると、コンビニと民家の塀の間に横道があることに気がついた。

こんなところに横道が?

なかったと思う。いや、あったかもしれないな。

辺りが霧でぼんやりと霞んで、その割に頭の芯は変に冴えていて徹夜をしたかのような気の高ぶりがあった。

私はその細道へと足を踏み入れた。

民家の塀が途切れたところにあったのは、草に埋もれた廃工場だった。そういう恐竜が首を垂らして蹲ったような赤茶けた錆塗れの配管。

穴だらけの屋根へと、うららかな日の光が差し込んでいる。

屋根に残る鉄筋の骨組みが、格子状の影を地上に投げかけていた。

壁面は蔦が這い、剥き出しのコンクリートをも勢いよく飛び出した雑草が覆いつつある。

何か巨大な生き物が役目を終えて力尽き、土に帰る途中のようだった。


いいなあ。


私はその姿を見つめ、息をついた。

私は小さい頃からこういうものが好きだった。

草に埋れた廃車だとか、活気を失い静かに自然へと呑まれていくものに惹かれた。

こんな場所があったのか。

いや、あるはずがない。どこか冷静に否定する自分もいた。この方角には総合病院があるはずなのだ。

その建物はどこにも見えなかった。

それに、まだ午前4時を回ったところの筈だ。それなのに、地面には剥き出しになった鉄骨の格子状の影が落ちている。この場所は変だ。

横道は私をどこに連れてきたのだろう。


私は急に怖くなり、元来た方向へ駆け出した。

息を切らして立ち止まると、コンビニと民家の間に出た。ゼエゼエと肩で息をしている汗みずくの私を見て、ゴミ箱を片付けていたコンビニ店員が怪訝な顔をしていた。


舌に何か触り、私はそれを吐き出した。

口の中に鉄の味が広がった。


地面に落ちたのは、根本に血がついた私の歯だった。


 

横道はどこにでも現れた。

公園の茂みの間に、ビルとビルの狭い隙間に、時には会社の階段裏にも。

我慢できたのはほんの二回だった。


フェンスの破れ目から足を踏み入れた横道の先に見えたのは、枯れかけた向日葵の立ち並ぶ畑だった。道は夏草で覆われた低い丘へとつながっていて、向日葵畑が見下ろせる。頭を下に向け、太陽から目をそらした死にかけの花が、青空へもくもくと立ち上る入道雲とあまりに対照的だった。入道雲は上昇気流で押し上げられた雲だったはずだ。このまま上り続けていずれ雨になって落ちるなら、それもまた雲の死なのだろうか。土へと種を落とす向日葵は、死にかけているんではなく、生まれ変わる途中なのだろうか。生と死、活気と静寂。私の頭の中でそれが混ざり合う。


もっと近寄ろうと一歩踏み出して私はバランスを崩した。

踏みしめようとした足からごぎんという嫌な音がした。

私が転がっていたのはフェンスのすぐ内側だった。足首が赤黒く腫れあがっていた。

医者が言うには骨が折れているという。



 「お前、少し休んだほうがいいんじゃないか」

ある日出社すると、上司にそう言われた。

松葉杖をつき、右手には包帯を巻き、おまけに顔の半分を絆創膏で覆った私の姿に社内の皆はざわついていた。どれもこの2カ月たらずで出来た傷だった。気が付いている者はいないだろうが、これに加えて奥歯が4本ほど消えている。

仕事のストレス疲労からの事故というように会社はとらえたらしく、私は怪我が癒えるまで休職扱いとなった。


 横道は何かを喰っている。

横道の先で美しいものを見るたびに私の体はどこか傷ついた。

爪が割れるだけの時もあれば、角膜に大きな傷がついたことも、ごっそりと髪が抜けることもあった。

私の健康運だとか、生命力だとかを喰っているのだと思う。


爪が割れても足は動くし、片目でも物は見える。片足がギプスで覆われていても杖があれば歩ける。このくらいの代償なら、私は道の先が見たい。

しかし、会社を休職になったその日から、横道は私の視界から消えた。


どこを歩き回っても、どれだけ目を凝らしても道はなかった。傷は癒え、復職の日程も決まってしまった。


もしかして、私から取り上げるものがなくなってしまったのか?


私は薄暗い部屋の中で涙を流した。

喰われてしまえばよかった。

あの道の養分になれるなら、全身を食い尽くしてくれたらよかったのに。


なんかもう、どうでもいいな。


私はのろのろと起き上がり、ベランダを開けた。

ベランダの先に、横道があった。

続いているわけがない、秋の夕闇へと手すりを無視して未舗装の細い道が伸びていた。


道はなくなったのではない。

待っていたのだ。

私が身を差し出す日を。道の養分になりたいと言い出す日を。


道は、最後にどんな美しいものを見せてくれるのだろう。

私は横道へ、美しい異界の食道へと、心を躍らせながら歩を進めた。


横道・完
















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横道 いぬきつねこ @tunekoinuki

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