8月22日 曇り。

1.初デート


 病院の最寄り駅の前。それが宇佐見との待ち合わせ場所であった。


 予定の時間よりも早く到着したため、まだ彼女の姿は見当たらなかった。スマホで時刻を確認すると、九時を四分ほど過ぎた所だった。宇佐見と約束した時間は九時半。三十分近くも早く来てしまった。

 

 さて、どうしようかと考える。


 暇をつぶそうにも、宇佐見が来るまで駅前を動く訳にはいかない。今の若者はスマホさえあればいくらでも時間をつぶすことが可能だが、飽きというものは意外と早くにおとずれる。十分ほど、秋崎はニュースを見たり気になっていた本の情報を調べてみたりと思いつくままにスマホをいじってみた。その間も、ずっと改札の方を気にしていたため、気分は落ち着かなかった。


 スマホでの暇つぶしを諦め、通りの様子でも眺めようと前を向く。

 眺め始めて間もなく、大きな欠伸が出た。予想していた通り、昨晩は寝つきが悪くあまり眠れなかった。五時間ほどしか寝ていない。寝不足の割には、周囲の細かい情報もよく頭に入ってくるので問題はないだろうと考える。


 ベッドに寝転がって眠気がやってくるのを待っている間、ずっと今日のことばかり考えていた。


 どんな服装で行くのが好ましいか。宇佐見はどんな服装で来るのか。診察を終えた後、昼ご飯は何処の店で食べようか。……などと、早く眠らなければいけないにも関わらずそんなことを延々と考え続けてしまった。


 病院で診察を受けた後、宇佐見と二人で街を歩く予定になっている。


 彼女から一緒に病院へ行かないかと誘われた直後、秋崎が提案したことだった。


 「土曜日、病院での用を済ませた後、時間があったら俺とちゃんとしたデートをしてくれませんか」


 わずかな緊張を抱きながら告げると、宇佐見は「ええっ!」と声を上げ赤面した。最初は嫌がられているのかと思ったがそうではなく、ただ驚いただけだったらしい。


 断られても別によかった。

 デートらしいデートは出来なくとも、休日を少しでも宇佐見と過ごせるなら秋崎は幸せだった。だから承諾をもらった時は、思わず喜びを顔に出してしまうくらい、嬉しかった。


 秋崎はその日からデートプランを練り続けた。映画や美術館、ゲームセンターなど、様々な場所へ足を運ぶ自分たちの姿を想像した。


 デートの日は、宇佐見さんの行きたい所を優先的にまわることにしよう――。


 考えあぐねた結果、ほとんどノープランで当日を迎える羽目になってしまった。この数日間、宇佐見とは何度か駅までの道を一緒に歩いたが、彼女からはデートについてはこれといった話題も持ちかけられなかった。秋崎は、何処か行ってみたい場所はないか、たずねようとした。が、毎回「デート」という単語を発するかどうかのタイミングで宇佐見が話題を変えてしまい、まともな返答は得られなかった。わざと秋崎の問いかけを遮っているのは明らかだった。宇佐見は嘘や誤魔化しを使う時、言動がとても不自然になるので一目瞭然だ。


 照れ隠しの一種だろうと、理解はしている。けれど出来れば事前にしっかりと計画を立てた上でこの日に臨みたかった。


 再びスマホを取り出し、秋崎は「東京 デート おすすめスポット」で検索をかけた。夜景がきれいな場所や遊園地など、ありふれた検索結果が出てくる。が、何処も移動に時間がかかってしまう。病院から近い区域で検索し直し、結果を見てみるとどれもぱっとしないものばかりだ。


 「秋崎さん……!」


 不意に、改札の方から名を呼ばれた。振り返ると、一人の女性がこちらへ駆けて来る所だった。


 宇佐見は、卵色のワンピースの裾をひらひらとはためかせ、秋崎の前で立ち止まった。髪形もナチュラルメイクも普段と変わらない。だが、宇佐見のパンツスタイルを見慣れている秋崎には、彼女のコーディネートがより新鮮に見えた。


 女性らしい装いの彼女に笑みをこぼし、「おはようございます」と声をかける。


 「おっ、おはよぅ、ございま……す」


 宇佐見は妙に息を切らしていた。小さな両肩が激しく上下している。約束の時間まで余裕があるのに、急いでやって来たのだろうか。


 「どうしたんですか。そんなにあわてなくても、まだ九時二十分ですよ」

 「そ、それがっ……」


 「あ、やっと見つけた」


 声が聞こえた。と思った直後、宇佐見の背後に人影が現れた。女の子だ。制服姿で、宇佐見よりもかなり背が高い。


 「もう、何も逃げることないじゃん」


 女子高校生と思われる彼女は、何故か宇佐見の華奢な身体へ背後から腕をまわした。まるで抱きしめるような格好だ。


 「なっ……?!」


 素っ頓狂な声を上げたのは、秋崎の方だった。


 宇佐見は悔しそうに「うぅ……」と小さく唸っている。


 一体、何事なのだろう。どういう権利があって、人の彼女にちょっかいを出しているのか。秋崎は口出ししようとした。

 

 いや、だが相手は女の子だ。この場合、セクハラに該当するのかどうか。


 口を開きかける数秒間の内に、秋崎は思案した。デートプランを考えていた時以上の速度で頭を使う。寝不足のせいか、軽く頭痛がしてきそうだ。


 「この人が、お姉ちゃんの彼氏さん……?」


 ちらりと秋崎を見上げると、女子高校生は宇佐見に向かって問いかけた。


 「お、お姉ちゃん……?」


 「り、莉子りこっ! 今日は部活があって、一緒にお見舞いには行けないって言ってた、よね……?」


 「ああ、うん。でも部活、昼からになったからさ。だからお姉ちゃんと一緒に行こうと思って、ついて来たんだけど……」


 莉子と呼ばれた女の子は、腕を下ろし宇佐見からわずかばかり距離を取った。


 「お邪魔虫、だったみたいだね」


 「えっ、ええっと……」


 何かを探るような瞳に見上げられ、秋崎は悪事を働いた証拠を突きつけられた悪人のように口ごもった。宇佐見の妹は、姉の彼氏へ笑いかけるような素振りも見せなかった。歓迎されていない。初対面でも彼女の態度を見れば明白だった。


 「あっ、秋崎さん! 紹介しますね、この子は私の妹で、」


 「宇佐見莉子。高校三年生。いつも姉がお世話になってます」


 秋崎と莉子の顔を交互に見ながら宇佐見が口を開く。

 紹介の言葉は、本人によって遮られた。淡々とした口調で、ほとんど棒読みに近い。自己紹介をしている間も、彼女の目はまるで警戒でもするように秋崎の方へ向けられていた。


 「ああ、どうも……。俺は秋崎伴也といいます。宇佐見さんとは会社の同僚で、その……、真剣にお付き合いさせてもらってます」


 「お姉ちゃんからは、何も聞いてないんですけど」


 「え。あ、そうなん……ですか?」


 戸惑いの声を漏らしながら、秋崎は宇佐見を見る。彼女が返答を寄越すまでの間中、真横から莉子の視線を感じていた。


 「い、言ってません。だって……報告する義務なんて、ありませんし」


 「私とお姉ちゃんの仲なのに?」


 「そ、そんなに仲いいかな、私たちって……」


 「一緒にお風呂に入って、いちゃいちゃする仲じゃん」


 「いっ……?!」


 またもや素っ頓狂な声が上がる。当然、声の出所は秋崎である。


 思わずを想像してしまいそうになる自分を心の中で殴り飛ばし、丸く見開いた目を宇佐見へ向ける。彼女はぶんぶんと首を小刻みに横へ振った。軽く脳震とうでも起こしそうな速度だった。


 「ちがっ、います! この子の言うこと、信じないで下さいっ。真顔で冗談を言うから、初めて会う人はよく騙されるんです」


 「え、冗談なんですか」


 「お兄さんの想像にまかせます。……あ、お姉ちゃんこの人、今絶対に変な想像してる。きっと変態さんだよ、お巡りさん呼ぼうよ」


 端正な顔を微動だにしないまま莉子が言う。秋崎を指さし、今にも「お巡りさんこいつですー」とでも叫び出しそうだ。


 「いや、人の考えてることまで見かけで判断しないで欲しいんですけど……」


 本当に巡査が来たとしても特にやましい所のない秋崎は、冷静に対処した。


 「もう……っ! だから莉子には知られたくなかったのにっ」


 多くの人でごった返す街の中でただ一人、宇佐見だけが頭を抱えていた。


 彼女との初デートも、どうやら一筋縄ではいかないようだ。この世の終わりとばかりに絶望している宇佐見に同情しながら、秋崎はぼんやり思った。

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秋崎くんと、宇佐見さん。――経理課恋愛日誌―― @leo0615

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