第33話 「 よいことの欠片 」

 驚いたことに、翌日ルチルは目を覚ました。陽がずっと高くなってからの目覚めではあったが、昨日の出来事から考えれば称賛されるか呆気にとられるかのどちらかであるのは間違いなかった。


 ルチルは干し草のベッドからむくりと体を起こし、ズキンッと響く全身からの悲鳴に顔をしかめた。

(うぅ……すごく痛い……)


 ぼんやりとした視界の中、気づけば全身に包帯が巻かれていることを知るルチル。それがオーバーオールの中にまで及んでいることに気づいて、しかし。寝ぼけた頭では恥ずかしがることもなかった。って言うか、体痛いし――。


(前提として、今あたしが美少年系牧場主のマルコ君に裸見られたって、牛だし)

 悲観するでも嘆くでもなく、事実をぼうと考えて、のんびり周囲に視線を巡らせる。

(ミルク姉さん?)


 姿の見えないグラマラスホルスタインの姉さん。一人きりだということになんだか寂しさを覚え、ルチルはぎしぎしと痛い体を引き摺って牧場の様子を見に行くことにした。


(ァテテテテ……)

 しかし、やっとこさ牧場に出てみてもミイ姉さんの姿はなかった。んー、と悩んでみるルチルは「あ」と思い出す。


(そうだ、今日はお祭りだったっけ。みんな今日のために一生懸命用意してたし、もしかしてミルク姉さんも村に顔を出してるのかも……)


 いわんやミイ姉さんは村の顔。体の大きさや寿命の長さもそうであるが、とある女性たちに脈々と語り継がれている『伝説の牝牛』がミイ姉さんなのだから、もてはやされないはずがない。


(一人でいるのも寂しいし、あたしも村に行こう)


 ルチルはボーッとした頭のままノロノロと、牛歩と言われるのが分かるような歩き方で村を目指した。


 そして、半分寝ながら歩いて十分。

 村に着いて気が付くことがあった。

「あれ、お祭りは……」


 あまりに静かなのだ。二ペソの祭りがどんなものかルチルは知らないが、祭りを開催しているならあまりに静かなもの。村人の一人も見えないことも祭りに関係あるのだろうかと奇妙なことを考えてしまう。


(でも、前の村長さんがミルク酒で酔っ払っちゃうようなお祭りだって聞いてるし)

 一人という寂しさに、祭りの騒がしさもない村が寂寥感を与えてくる。

「もしかして、中止になっちゃったのかなぁ……」


 悲しげな声で独り言ちる。

 考えてみれば可能性としてそれが一番大きいことだ。

 樹々と土砂を大量に含んだ激流が村を襲いそうになって、それをマルコとアニールが村に知らせて、ギリギリのところで村の壊滅は阻止したけれど、村人たちの動揺や村のすぐそばまで流れてきた大量の泥や樹木の後片付けだってあるはずだもの。


「ううん。防いだって言っても、あんなにギリギリじゃあ被害が出てるかもだし」


 あたしがもっとうまくやれていればなあ――ルチルは沈痛な思いで寂しさを加速させながら、溜息を吐いた。どこに向かうといったあてどなく、村を歩く。それでも、足が勝手に向かったのは、もし昨日の激流が村に届いていたら初めに被害があっただろう場所へと向かっていた。


 そしてついた先で目にするのは、村の出入り口まで流れ込んでいる大量の土砂や、へし折られた樹木を片付ける、大勢の村人たちの姿だった。何軒かの家はつぶれたり、大木に貫かれたりして、いえのようを成さなくなってもいる。


 だから、息が詰まった。

 少し離れたところから足が動かなくなったルチルはそれを眺めて、みるみるうちに悲しく表情がつぶれていった。


「……へぶっ。あだじが、もっど、早く気づいでれば……ぶへぇ……」


 ボロボロと零れる涙を両手でごしごしこすりながら、ルチルは心から謝った。

 離れた位置からではない。

 村人を眺めながらではない。

 歩き、近づいて、二ペソに住む多くの人に不細工な顔を晒しながら、ルチルは謝った。


「ごめんなばぃ……あだっ、あだしのぜいでぇ、こんな……お祭りも、じゅうぢになっちゃっで……本当に、ごめんなざいぃ……」


 近づき頭を下げるルチルに初めは目を丸くする村人は、けれどすぐに優しい表情を浮かべると、口々に言うではないか。


「なに言ってるんだい。村を守ってくれたのはあんたじゃないか」

「そうだよ、君のおかげで私たちはこうして生きてるんだ」

「謝ることなんてないさ。ぼくたちは君に感謝しているんだ」


 村人たちは暖かかった。ルチルの所為じゃない。口をそろえて言ってくれる。

 でもルチルの胸からあふれるごめんなさいの気持ちは止まらない。

 涙も鼻水も止まらない。


「ううん、違うよ。あたしがもっと、頑張れてたらこんなことに――」

 そのときだ。


「ルチル!」


 呼ぶ声に振り向いた瞬間、ルチルは強く抱きしめられていた。

「ありがとう! 本当に……本当にありがとうね、ルチル!」


 抱き着いてきたのが誰なのかはすぐに分かった。しかしルチルは、名を呼ばれ、抱きしめられたことに驚いていた。


「え、ええっ? アニール……? えっ?」

「いいの、何も言わないで。私にありがとうって言わせて」


 アニールは力強くギュウッと抱きしめると、今度はルチルの頬を両手で包み込むようにして見つめた。


「ルチルはこの村を、ううん、村の人たちを助けてくれた。本当なら村長である私がやらなくちゃいけない事だったのに、私は何もできなかった」

「そ、そんな! アニールは頑張ってたよ!」

「ううん、私は何もできなかったんだ。隣にマルコがいてくれたから、何とか立っていられただけ」


「――そしてそれは、僕も一緒なんですよ、ルチルさん」

 声のする方を振り向けば、頬に泥汚れを延ばした顔でマルコが立っていた。

「僕だって本当なら山守りとして二ペソを守らなければいけない立場だったのに、それをみんな、ミイ姉さんや山ヌシ様、そしてルチルさんたちに任せきりでした。不甲斐無いことで顔向けなんて出来たものではないですけど……」

「わ、わわ! マルコ君もなに言っちゃってるの!?」

「でも、やっぱりお礼は顔を向き合わせていないといけませんから」


 そういうとマルコは最高の笑顔を浮かべて頭を下げた。

「ルチルさんのおかげで二ペソは救われました。本当に、ありがとうございました!」


 その瞬間、マルコの中性的美少年フェイスがルチルの胸を貫いた。

(ハウアッ! この顔は反則じゃないかな!? いくら子牛になっているからって、ドキドキする心くらい持ってるんだからーっ!)


 ルチルはカッと熱くなる胸を押さえてドキドキを落ち着けようと深呼吸した。スーハースーハーと幾度か呼吸を繰り返し、牛になったのに絶壁を維持する胸をトンとたたく。


(ああ、落ち着け自分。マルコ君はあの超絶美麗なスマイルを子牛のあたしに向けたの。人の姿じゃなくて、子牛の、あたしに……………………あれ?)


 そこでようやく、ルチルは今の状況の奇妙さに気が付いた。

「何であたし、アニールやマルコ君とお話してるの……?」


 その疑問が頭に浮かんだ瞬間思考は白く染まり、茫然と困惑がないまぜになった感情がルチルを埋め尽くす。いや――言葉を変えよう。「はへぇ?」と可愛く口を半開きにするルチルの頭には、ハテナがいっぱい飛んでいた。


 ルチルは自分の顔や首を触るがそこに変化はない。人だった頃にはない体毛の感触が手のひらにあり、包帯がぐるぐる巻かれているせいでよくは見えないが、自分の腕だって白い毛が服のようにそろっている。おっぱいだって絶壁のままだ。


 そしてさらに奇妙ことが脳裏をかけた。

「って言うか名前! 何で知ってるの!?」

 慌てて、なぜか焦ったように口にする。


 そんなルチルに、マルコとアニールは目を見合わせるとクスと笑った。

「自分で言っていたのよ、ルチル」

「はい、その通りです。昨日、ルチルさんたちが鉄砲水の勢いを殺してくれたあと、僕とアニールさんも一緒に『おいしさん』の所に行ったんです。着けばボロボロの姿の山ヌシ様とミイ姉さんが、気を失っているルチルさんを見守るように立っていて……だから僕たちは急いでルチルさんを牧場に運んだんです。怪我からの出血で少し危険な状態でした。けど、その途中で――」

「ルチル、あなたの姿が変わったの」


「そう、あたしの姿が……って、えぇー!?」

「本当は山ヌシ様にもついて来てほしかったんですけど、あの方は「ぶぼぅ」ってひと鳴きすると山に帰ってしまいましたし、ミイ姉さんは「モフゥン」って鳴いたら説明終わりだってくらいで」

「私たちも驚いたのよ? けど、運んでる子牛が女の子の姿になったって、村を助けてくれたことには変わりないし、それに……それにルチルがとっても優しいことをもう知っていたもの」

「どこからともなく現れて、たくさん僕やアニールさんのお手伝いをしてくれて」

「そのうえ、あんな大きな災害から私たちを守ってくれた。寝ぼけてたのか、寝言だったのか、ルチルって言ってたから勝手に呼んでたんだけど……」

「もし嫌であれば、謝ります。ごめんなさい」

「え、ち、ちがうよっ。いいの、呼んでいいの。だってあたし、ルチルだし」


 けど、この中途半端な人間の姿は一体どういうことなんだろう、とルチルは思う。もう一度触ってみるが自分には白い体毛がある。まるで、自分が昨日まで見ていた世界が現実になったような、そんな感覚だ。


(あれ。ってことは、あたし今度は牛女になっちゃったってこと……だよね)

 完全な子牛から、牛女へのクラスチェンジは進歩なのか、どうなのか。ルチルには判断できなかった。


(でも――これって)


 ルチルの胸はポカポカした。

 目の前には、自分が牛女になっているにもかかわらず屈託なく笑いかけてくれるマルコとアニールがいて、そう言えばここに来て「ありがとう」を言ってくれた村のみんなも、ルチルが妖怪じみた姿にみえたって気にせず声をかけてくれた。そのことだけを考えれば、何も悪いことじゃないとルチルは思える。


 がやがやと一通りのことを話してくれるマルコとアニールを見ながら、ルチルは笑った。ミイ姉さんも山ヌシ様も、ルチルには動物の姿に見えていなかったが、それでも久しぶりの人との会話に楽しく思えた。


 そうして、二人はルチルに伝えるべきことを伝え終わると「またあとでね、ルチル」、「これからの眠る場所を後で決めましょう」と言って、土砂や樹々の撤去作業に戻っていった。ルチルの「ならあたしも!」を先に潰すのを忘れない二人の心遣いに感謝しながら、二人の背中を眺める。

すると、後ろから声が聞こえた。


『どうやら、自分の状況は分かってもらえたみたいね?』


 ルチルが視線を向ければ、白と黒の体毛を服と来た爆絶グラマラスボディーを誇るでもなく誇る妙齢の女性が、頭の角も美しく立っていた。ついルチルが目を細めてしまうのは、ミイ姉さんまで自分のように牛女になっているのではと疑っているから。


『ま……まあ、ルチルの気持ちも分からなくはないけどね、私はあなたと違って元から牛よ。牛女にはならないわ。ただちょっと普通の牛より不思議なところは多いけどね』

「な、なんだ。ミルク姉さんまで牛女になっちゃったのかと思っちゃいました」

『残念ね。私も少しはなってみたかったのだけど、牛のままよ。ルチルの眼には、いまだに牛女のままに見えているようだけど』


 肩をすくめるミイ姉さんに、ルチルは笑う。

 二人は並んで、作業する村人たちを眺めた。

ゆったりとした時間をしばらく感じて、次に口を開いたのはルチルだった。


「ねえ、ミルク姉さん。山ヌシ様は、この後どうするつもりですかね?」


 ミイ姉さんはちらと横目でルチルを窺って、少し間をおいてから答えた。視界に収まる至る場所で作業が続く。

『さあ、どうするつもりなのかしら。二ペソの破ってはいけない決まり事を破った人間は、過去に一人二人いたけれど、その時はその時の山ヌシ様の裁量で事が決まったからねぇ。今回はどうなることやら』


「……、そうですか」

『心配?』

「そうですね。心配です。カルネさんも、それを追うかもしれない山ヌシ様も。山ヌシ様は掟に厳しい人だからきっとカルネさんを見つけたらただでは済まないと思うし、カルネさんも銃を持ってる。そんな二人がもし出会ったら、そう思うと……」

『そうね、おそらくどちらかないし両方が傷を負うことになるわね』

「ミルク姉さん、あたしね、分かるんです……分かっているんです。いけないことをしたのはカルネさんだって。いけないことをしたら、こらーって誰かに怒られるんだって。でもカルネさんがしたことは、きっとどうしようもないことで……もしその状況に自分がいたらって考えると、答えなんて出てこなくて……」


 ルチルは自分の気持ちをそう吐露して、空を見上げた。

「ああ、やっぱり難しいです、良いことって。たぶんカルネさんの選択も、山ヌシ様の判断も、どっちも誰かのためを思っていて、誰かにとっては良いことで。でもどっちもお互いにとって駄目な選択で――そんなの、あたしには分かりません」

 言って大きく息を抜くルチルは「分かりませんよ」と口の中でつぶやいた。


 そんなルチルを見るミイ姉さんは、肩に手を回して抱き寄せると、そっと頭を撫でる。

『優しいルチル。いまあなたが出した答えは時に正解の場合がある。いいことをするって難しい、そう感じることが。でもね、あなたはヒトの形を取り戻したじゃない。まだ完全と言うわけではないけれど、でもそれだけを見れば、ルチルは良いことをしたっていう証じゃないかしら。確かに良いことは難しい。けれどあなたは、それを自然体でできているのも本当のこと。悩むことないわ。と言って、きっとルチルは悩まない子じゃいられないのでしょうけどね。だけど、それでもどうか、言わせて頂戴』


 ミイ姉さんは抱き寄せたルチルの顔をそっと持ち上げると、優しく微笑んで見せる。


『――ルチル、悩まなくていいわ。あなたはとても、いい子だもの』


 優しく見つめられるルチルはンッと唇に力を入れて、じっとミイ姉さんを見つめた。

 出てきた言葉は小さく震えて、細く頼りなさげに揺れていた。


「ほんとう……?」

『ええ、本当よ』

「ほんとうに、ほんとう……?」

『本当に本当。私はルチルに嘘つかないわ』


 見るミイ姉さんの顔は穏やかで、何かを堪えるように息を止めるルチルの喉から、くぅと張り詰めた何かが溢れだす。

 そして、ルチルはミイ姉さんの胸に顔を埋めた。



 その光景をマルコとアニールは遠目から眺め、温かく笑んでいた。どうしてルチルとミイ姉さんが一緒にいるのか分からなかったが、その光景はとても安心できた。だから笑みがこぼれた。それは村の人間はもちろん、顔の識別さえ困難なほど包帯に巻かれたマメとキノコもであっても、同じ気持ちにさせるのだった。

                   了


 

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旅するルチルと祠の呪い 心の梟 @hukurouta

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