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朝から晩までチキチキバンバン

読み返すことは歴史の修正になる。

20年くらい前まで、今のような小説の投稿サイトは一般化されていなかった。当時のデジタル小説はまだ、自分のホームページを立ち上げて作品を載せたり、ブログサイトなどでつらつらと書かれる程度だった。

もちろん、2ちゃんねるから出た『電車男』のように掲示板から出発して映画になったような作品もあるにはあるが、それでも少数であったことは間違いない。

ペンで書きなぐる、タイプライターを連打する、パソコンのキーボードになるとボタンが壊れるまでタイプされ続けられる物語たちは、発表される場が限定的だった。

しかし、今はどうか。

莫迦にするわけではないが、日本語が不自由な未就学の子供たちも、私よりネイティブなデジタル世界を使って思い思いの作品を発表できる社会になった。

素晴らしい! と思う一方で、作品の錬度が下がったように私には感じてしまう。何故だろう。答えは簡単だ。『教わる前』だからだ。

いや、私も初めは独学から始めたから、そんなこと、なんのことではないのだが、プロフェショナルからの駄目を出される機会を経ずに作品の発表が出来てしまう今、『日本語の矛盾』や『禁止用語(これは私も十全ではないが!)』をよく見かけてしまう。

もちろん表現の自由は担保されるべきだと私も考えるし、昔から『|麁枝大葉《そしたいよう》』という言葉が残っているくらい、言語というのは自由であるべきだとも思っている。

だが、日本語として単語の意味を履き違えた文章を見ると一気に醒めてしまう。何から。《《物語から》》、だ。

ならどうすればよいのだろうか?

簡潔にいえば勉強であるのは間違いがないのだが、勉強にも様々な種類があるのも間違いがない。

私が試していた方法は、様々な本を読み漁るだったり、お気に入りの物語を模写するだったりしたが、しかし、何より学びになったのは編集者からの言葉だった。

しかしこんなことを言うと、『そんなん普通は無理じゃね?!』とかいう言葉が返ってきそうだが、そんな言葉に押し潰されるようなことを、わざわざこんな場所で書いたりしないのは自明の理だと思ってもらいたい。

なら、どんな方法で編集者からの言葉をもらったら良いのか。

一言でいうなら『応募』だ。
小説賞などに応募して、答えを待てば良い。

世の中には篩《ふるい》があり、篩《ふるい》には使い方がある。そして、小説賞などの篩には編集者からの返信がはじめから設定されているものも存在する。

もちろん、編集者の経験や趣向、そして、そのレーベルが欲している作家像などに左右された答えにはなるが、現職であるプロフェショナルの意見を知れるというのは我々作家に大きな気付きを与えてくれる能力者に他ならないのだ。


と、まあ。
ここまでつらつら書いて、お前は何を言いたいんだ? と問われたら、結局私はこれが言いたかったのかもしれない。

『さあ、みんな! 小説賞に応募しよう!!』

……。
…………。


まってくれ。私は何処かのレーベルの回し者じゃない。カド◯ワとか、大きな企業の案件で動いてなんかいない。仮にカド◯ワだって、この場所でぶつぶつ言われたところで利があるなどと思わないはずだ!


未来には作家という職業は失くなっている可能性が高いが、けど今はその過渡期であり、まだ失くなってはいないのだから、出来るだけ自分が思い描いたものを読み手に届ける工夫をしてもらいたいだけだ。

だって勿体ない。折角に面白い設定やキャラクター達が世に出ないなんて、ただただ損失でしかない。

だから。
私を含めた作家諸君、日本語を学ぼう。

あなた方の作品は、おもしろい。

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