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取り敢えずという最強の武具

近頃、タイパやらコスパやらという言葉が散乱している。コスパが悪いから、タイパが悪いからと言いながらすぐに身になる事ばかりに目を向ける。これは若者だろうが中年だろうが変わらない事で、やらない理由としてとてもコスパのいい言葉だ。

「そんなことやってどうするの?」
「それに意味ってある?」
「どうせ無駄だし、無理だからやめとけば?」

コスパやらタイパやらという言葉を使わない高齢者だって、『もっと真面目に生きなさい』と言って他人の道を決めたがる隠れたタイパコスパ信者でしかない。

もちろん、時間や費用を掛けるのに値しない物事もあるはずだ。完全犯罪を成功させるためだけに時間や費用を支払ったってノーベル賞を取れるわけではないし、うまく不倫し続けるためのノウハウが病気の子供を救うわけはない。
だから、こういうことがらに『タイパが悪い。コスパが悪い』と言うのは正しいと私も思う。

けど、何かを上達したいやこの発想は素晴らしい! というものに対して時間や費用を掛けるのは当然じゃなかろうか。
高校のテストで100点を取り続けることに私は意味を見いだせなかった側ではあるが、点数を取り続けることには相応の努力の時間と支払う体力や友人との時間が費用として必要だ。それを社会人としての視点で考えたとき、タイパやらコスパやらという目先だけで、事を成し遂げられるとは考えない方がいいだろう。

はじめて飛び込む世界で、少し嫌なことがあったやら、思っていたキラキラした世界じゃなかったやらで『この会社コスパ悪い』なんて思ってほしくない。何せ、この社会は『他人の、間で、作られる社会』──詰まりは、人間社会なのだから。

自分の親兄弟友人だって思い通りに動いてくれず、隣に住んでるオッサンやオバサンが毎日甲斐甲斐しく面倒みてくれる世界じゃないのに、自分が飛び込もうとするライバルだらけの世界が『私に優しい』訳がない。

そんな世界でタイパやコスパという言葉で自分自身を縛り付けていたら、望む自分になんてなれないし、身に付けたい技能だって身に付かない。

だから、取り敢えずやってみる。
取り敢えず3日頑張る。
それが出来たらまた3日頑張る。
取り敢えずを続けてみて、取り敢えずなんとか形になった自分を、取り敢えず鏡で見てみる。

そのとき、映った自分にこんなことを言ってみても良いかもしれない。

「なんだ、取り敢えず出来たじゃないか」


まあ、何が言いたかったのかを言えば、取り敢えずって言葉を武器にしてみると案外取り回しも良く、攻撃力も防御力も上がった気になれますよ、ていう話でした。

さて、私も取り敢えずもう少し頑張ってみましょうか。

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