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空と白の狭間で。

歳を取る。
それは逃れ得ない事だと考える。

産まれ、成長し、形を変えて、年老い、死ぬ。

過去の人は『死に向かって人は産まれる』と言ったものだが、言い得て妙で、それはしかし普遍だ。

人の社会は数十万年という歴史を辿って、今の形へと変化していった。その長い時間のあいだ、幾人の人間が死んでいったのか不明だが、彼ら彼女らが私たちの社会を此処まで棲みやすく、生きやすくしてくれた。

私は、障がい者だ。
脳出血を20頃に患い、右半身の片麻痺という状態になっている。働くこともまともに出来ず、こうして文字を打ち込むことすら健常者とは速度が倍以上も違う。

人は社会を継続し、発展させるために生きている。それは先に記述した通り、棲みやすく、生きやすいように社会の形を変えてきた歴史から見ても知れる通りだ。何より、遠い過去に想いを馳せなくとも、産まれてからこれまでの時代の変遷を振り返ることで理解は出来る。
『スマホなんて必要ない!』と言っていた人間が十年前まで居た。今では80代近い私の母でさえ、スマホで献立のレシピを検索している。

ならば、だ。
私という障がい者は、社会にとって必要だろうか。

考えてみれば、私は家を建てることも、衣服を織ることを、畑を耕すことも出来ない。先にも述べた通り、言葉を綴ることすらのんびりしていて、急ぎたくても急げるだけの能力が失われている。

人の社会で私のような障がい者は、生産性という観点から見れば、不必要な存在と言えるだろう。

では、なぜ私は生き残れているのか。

ああ、別に社会福祉が充実しているからであるというような事に纏めたいわけではないから、私が日本に生まれてラッキー! という話ではない。

頭の中に生まれた言葉は、社会の重要性は人が生きるためにどれ程なのだろうかと言うことだ。

人は社会性の獣である。
その獣は、平等と快楽によって進化していった。

進化人類的に考えるなら、どれだけカロリーを消費しないように行動できるかだろう。食物の取得にどれだけ労力を掛けず生きられるかが目的だった技術の発展が、人の移動や、耕作といった事を機械に任せるようになり、それは人に快楽を与えた。

『私』が生きるために人は平等を求め、『特別な私』を一般化させて様々な恩恵を強者から弱者まで受けられるよう、変化してきた。

過去を振り返れば、平等も快楽も、昔には強者のみが手に出来るもので、私のような障がい者では手の届かない高級品だったのだ。

ならば、なぜ私が生き残れているのかの答えは、人が技術を発展させ社会性を進歩させてきたからということに尽きてしまう。

だが、それは本当だろうか?
技術の進歩と社会性の向上だけが、私のような障がい者を生き長らえさせているのか。

勿論、社会性やら技術やらというのはとても重要で、それなくして私は生きていない。日本の福祉と医療技術が私を生き延びさせた。それは、身体を動かして考え、学び、実践してあらゆる道具や法を整備してきた故人の力だと知っている。

でも、本来考えなくてはならないのは、『どうして社会がこの形になったのか』だろう。

私が考えるに、それは『心』なのだ。

勿論、こう書けば鼻で笑い、ページを飛ばしたくなる気持ちも分かる。人間社会はそんなに優しくなく、もっと利己的で、他者の思い遣りを食い尽くして大きくなってきたのは確かだ。資本主義とは、そのように大きくなってきたのだから。

けれど、社会を見渡してみれば、悪と善でどちらの比重が大きいかすぐに分かる。商売の形態という事柄一つ取っても、まともに買い物をする客の方が圧倒的に多いのだから。読者の中には、『そんなことない。地域によっては盗人が多い!』と言う人もいるだろう。だが、もし本当にそうであるなら、その地域から店という店がなくなっている。それはそうだ。品物がなくなれば経営破綻を起こして、商売なんて続けられないのだから。

そして、店が続けられているのであれば、店に並ぶ商品を卸す卸問屋だってあるし、卸問屋が買い付けに走る一次産業だって、汗水垂らして働いてくれているのだ。

そう。
世界の仕組みとして、社会にある善悪の比重は『善』に片寄っていることになる。

嘘をつかない。
物を盗まない。
物を壊さない。
人を殺さない。

上記のことを換言して表すなら、
『人を想う』
という寒ざむしくも、胸に広がる言葉になる。

当たり前じゃないか、と思うこと。
それらが、社会を回す上でとても重要で、そしてその基本骨子のような考え方から派生したあらゆる事が、今の社会に私のような障がい者を生き長らえさせるだけの力を付けさせたのではないか。

まあ、私の考えはアイスクリームに蜜と砂糖をかけたようなものかもしれないが、でも私はそう思うのだ。

だから、多くの感謝をして生きていきたい。
宮沢賢治の有名な詩のような生き方が出来るとは思わないが、それでも。私の周りにいてくれる友人や家族には、ありがとうを想っていたい。

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