第32話 「 突貫する為の代価 」

『完全じゃなくていいんです。ていうか、完全に流れを止めるなんて、あの水量じゃ無理です。けど、流れを少し弱めることが出来れば、あの激流は自分が巻き込んできたものの重さで勢いを殺されます! そうすれば、あとは時間が解決してくれるはずです!』


 ミイ姉さんと山ヌシは走りながら互いを見る。


『ルチル、本当に間に合わないのね?』

『うん……村の人たちを少し逃がすことはできると思う、けど……』

『そう……』


 ミイ姉さんは山ヌシをもう一度見ると、合図を送るようにうなずいた。

 直後、山ヌシは方向を変えて一気に崖を駆けあがる。いくらか斜面になっているとはいえ、その背中に乗っているマメとキノコにとってはたまったものではないだろう。山ヌシは背中の悲鳴を耳にしながら崖を難なく登り切った。ならば自分もとルチルもまねて崖を一気に登りきると、ミイ姉さんの声が崖下から届いた。


『私はマルコたちを村に送り届けてから行くわ。少しでも村人を助けられるなら、その方がマルコもアニールも納得するはずだもの』


 確かにその通りだった。突然の山ヌシの行動の変化に驚いているマルコとアニールを一緒に崖の上に連れてきても、二人は勝手に村へ戻ってしまうはずだ。そして、二人が戻ったとしても、ルチルが提案した方法が失敗したなら、村人だけでなく二人もろとも激流に飲み込まれてしまう。であれば、わずかな可能性かもしれなくとも、このまま村に送り届けた方がいいとミイ姉さんは判断したのだ。

 ルチルは『分かりましたー』と返して見送ると、背中の二人を振るい落としている山ヌシに声をかける。


『やりましょう、山ヌシ様!』

『本当にこれで何とかなるんだな!?』

『はい、あとはあたしたち次第です!』


 見れば山から下りくる激流はすさまじい光景を作り出しながら迫っていた。樹々と土砂を大量に含んだ濁流。その濁流が激流となって大地を削る。

 流れの速さと村までの距離を考えれば、残り時間は五分程度。


 だが、ルチルも山ヌシも悲惨な眼つきはしていなかった。

 諦めない。

 ここには無数の命がある。

 ルチルは山主と視線を合わせて頷いた。


『じゃあ、行きますよ……ッ!』

 ルチルの掛け声の直後――竜神の咆哮にも負けない馬鹿げた音が、二ペソの山々に鳴り響いた。

 体当たりである。

 山ヌシの巨体を生かして巨大すぎる大岩にぶつかっていく。ルチルも隣で一緒にぶつかりに行くが、山ヌシのような、まるで岩と岩が喧嘩するような馬鹿げた音は出ない。


(すごい、これなら……!)

 ルチルはそう思うが、しかし巨大な岩はびくともしていなかった。

(へんっ、一回でどうにかなるなんて思ってないもんね!)


 二人はもう一度距離をとり、再び一気にぶつかりに行った。大きな音が鳴り渡る。


 そんな光景を後ろから見るマメとキノコは、動物たちが一体何をし始めたのかすぐには気づけなかった。村に向かっていたと思ったら急に進路を変えて、大きな岩に突撃し始めれば、おそらく誰しも困惑を隠せないはずだ。けれど、動物も意思があると考えた途端、答えが分かる。


「まあ、キノコ、これぁ……」

「ああ、たまげたことだが、あまりにデッケェ岩を倒して、水の勢いを殺そうって腹積もりらしいな。この巨猪と子牛は」

「まさか、まさかだぜ。こいつら動物だぜ? なのに、あっしら人間がしでかしたことで、あっしら人間を、村の連中を助けるって……? ああ、キノコ。あっしはよぉ、さっきから震えが止まらねぇんだ」

「ああ、この行動が何を意味しているのかなんてぇのは、実際動物にしかわからねぇことだけどもよ。うちも胸がカッと熱くなっていらぁな」

「ならよ、キノコよぉ」

「おお、マメ。することが決まったなあ」


 二人は腹をくくるように互いに頷くと一気に走り出した。


「どっちだっていい、二人のどっちかで構わねぇんだ! 大岩の足元にダイナマイトを仕掛けられれば!」

「あっしかキノコどっちでもいいのさ、下の荷物にあるダイナマイトに火を入れられれば!」

「「それがいま、「うちの」「あっしの」やれることだぁあああああぁぁあぁぁぁぁ!」」


『マメさん! キノコさん!』

 突如雄叫びを上げて崖下へと飛び出していった二人の行動に、ルチルは思わず声を上げた。斜面になっているとはいっても崖は崖だ。崖下まで無事に下りられるとは限らない。いいや、そもそも。ほんの僅かの差であの激流に飲み込まれる事だってあり得るはずだ。


 けれどルチルは信じる。聞こえてきた叫びに決意を感じた。


『あやつら、崖下に下っていったがまさか逃げたのか?』

『ううん、違います。二人は、あたしたちの手伝いの為に行ったんです』

『……そうか』


 そう言って、山ヌシは再び距離をとった。そして。

『ならばこちらも休んではいられないな!』


 一気に岩へと突貫していく。何度も、何度も。

 だが――。

 一分が経ち、全力で体当たりしていた二人の身体からは血が噴き出していた。

 二分が経ち、崖下に激流が到達しても大岩は動く気配はなかった。

 三分が経ち、下に降りて行った二人も戻ってこない。


 体中から血を吹き出すルチルと山ヌシは、ただ無言で巨大に過ぎる岩へと体当たりを続ける。あと二分もたたないうちに、流れは村へと行き着き何もかもを飲み込んでしまうだろう。


 そうなったとき、村は――マルコたちは――?

 巨大な岩へぶつかる回数が増えるたびに嫌な未来が脳裏を過ぎる。焦りと不安で、ルチル体は末端から凍えていく。


(もしだめだったら……そもそも、この岩が倒れるような〝巨大な一個〟じゃなかったら……ちょっとしたきっかけで倒れそうな見た目とは裏腹に、大昔に隆起して、その根元は大地の奥深くに食い込んでいたとしたら……ッッッ!)


 絶望が心に喰らいついてくる。岩を倒そうと考えたせいで村人を殺す結果になったとしたら。マルコを、アニールを、濁流に放り込むようなことになったとしたら。怖さが寒さに変わっていく。ガチガチと歯の根が合わなくなっていく。心に力強さが失われていく。


 ――そのとき。


 頼もしく、そして力強い声が二人に届いた。

『おまたせ。遅くなったわね!』


『ミルク姉さん!』

『ミルク殿っ!』

 ミイ姉さんはその場に着くなり足を止めることなく巨岩に突っ込んでいった。

『ぃ―――――――――――――――――――ヤッッッ!』


 それは、突っ込んだミイ姉さんの頭蓋骨が砕けるんじゃないかと思うような爆音を生んで、たとえミイ姉さんが常識の埒外にいる存在だとしても無事では済まないだろうと思わせる激烈な衝撃を辺りに撒き散らした。

 そうであっても。


『とっても硬いのね。相手しきれるかしら』

 無事。ミイ姉さんは傷一つなく、健在だった。

『ミルク姉さん、すごい……』

『さすがミルク殿。ならば、山ヌシとして負けられん!』


 その光景に感化されたのか、弱気に飲まれそうだったルチルも、傷だらけの山ヌシも、さらに激しく岩に突っ込んでいく。三人がいっぺんに、全力をぶつける。


 すると、今までピクリとも動かなかった巨大な岩がグラリと、小さく揺れた。


『あ、動いたよ。ミルク姉さん、山ヌシ様!』

 けれどその揺れもすぐに収まり、また巨大な岩はその威容を屹立させてしまう。

 だが、変化はあった。小さな変化ではあったけれど、確かな希望だった。


『手応えはあった! 間違ってなかった!』

『そうね。少しだけれど、動かせた』

『ならばもう一息か!』


 三人は息を合わせて何度も岩にぶつかっていく。もうすでに一分を切ろうかというタイムリミットの中で、何度も自分の身体を岩へとぶつけていく。

 もう少しで二ペソが救える。崖下の激流の勢いを殺して、守ることが出来る。

 三人はそう思いながら、何度でも巨大な岩に自らをぶつけた。


 だが。

 しかし。

 そうであっても。

 圧倒的に時間が足りなかった。


 全員の心にあるのは、あと一分早くこの場についていれば――。

 後悔に似た焦燥。募り増えるのは、悔しさと体の傷ばかり。


 体当たりすればグラリと揺れるようになった。

 けれど、足りない。

 あと一つ。何か一つが足りない。


(倒れて……倒れてよ……もうっ!)

 もう何度目か分からない体当たりを繰り返し、繰り返し、繰り返して。

 タイムリミットを過ぎようという頃に。

 ーー来る。


 ズガオオオオオオオオォオオォォォオオオォンンンンンンンッ! と。


 天地をひっくり返したような爆音が、巨大な岩を大きく揺らがしたのだ!

「「いまですぜぃ、お三方ぁああああああぁぁ!」」


 声を聴くが早いか、三人はそれが人間の言葉如何にかかわらず、残った気力と体力の全てつぎ込んで一斉に岩へと走っていた。


『『『いっけぇっぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!』』』


 息をピタリと合わせた三人の突撃は大岩に当たると同時に爆発の音にも負けない轟音を発し、ぐらりと揺らいだ巨大な岩は揺り返すことなくゆっくりと、しかし確実に崖下の激流を遮る形で倒れていく。


 どっぱあああんっ! としぶきが上がり、倒れた岩につられて巻き起こる波が崖に当たって細かく弾ける。


 慌てて下を覗き見れば、巨大に過ぎるその大岩はルチルの見立て通りの役割を十全に果たして、即席の堤防へと姿を変えていた。


 ルチルとミイ姉さんはしばし呆然とした表情でお互いを見合わせ、直後、ルチルが飛び跳ねて喜び、山ヌシは静かに口角を持ち上げて、ミイ姉さんはほっと胸をなでおろした。


 けれどルチルの意識が保てたのは、この時までだった。何十度に及ぶ体当たりで肉体は極度に疲弊して、為すべきを成せたことによる緊張の糸はとうに切れていた。「やったあ。やったよぉ!」と飛び跳ねている途中で気を失ったもんだから、ミイ姉さんが慌てたのは言うまでもない。


 ただ一つ、奇妙なことは。

 気を失ったルチルの表情が、穏やかな笑みを作ったままであったことだ。

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