甘美な給餌

デッドコピーたこはち

月光の中で

 満月の光に照らされて、ナギの白い肌は眩しいほどに輝いていた。その陰りのない肌はベッドのシーツやキャミソールよりなお白く見える。彼女の身体はベッドに押し倒され、金糸の様な長髪は投げ出されて広がったままだ。彼女の赤い瞳はこれから始まることへの不安と期待で悩ましげに揺らいでいた。

「じゃあ、始めようか。ナギ」

 私はナイフを鞘から抜きながら言った。ナイフの刃は月光を反射して、きらりと光った。

「うん……ユイ」

 ナギは不安げにそう応えた。

 私はナギの腰に馬乗りになり、浮き出た鎖骨にナイフの刃先を撫で付けた。刃先がナギの皮膚を僅かに傷つけ、その傷口から赤い血が滲み出てくる。ナギは痛みに息を呑み、彼女の薄い胸板が上下した。

 ナギの真白い肌に真紅の滴が滴る。その対比コントラストは素晴らしい。だが、それも束の間のこと。見る見るうちに、滴った血はそれ自体が意思を持つように傷口に帰っていき、傷口もまた何事もなかったかのように塞がってしまった。


 ナギは吸血鬼だ。夜の闇を歩き、人の血を吸い、陽の光を疎む生き物。特別な武器を使わなければ、殺すことはできない。

 私はナギと契約を交わしていた。『ナギの身体を好きにして良い』という条件と引き換えに、彼女の吸血を定期的に受け入れることになっている。今日はひと月ごとにある給餌の日だった。


 今度はナイフをナギの脇腹に思い切り突き刺した。筋肉の繊維を切る小気味いい感触が手に伝わってくる。

「……!」

 ナギが声にならない声を漏らす。彼女はナイフを突き立てられた瞬間、ギュッと目を閉じた。その仕草が堪らない。歯を食いしばり、一生懸命痛みに耐えているようだ。我慢できなくなった私は、脇腹に突き刺さったナイフをそのままねじり上げた。

「ヒッ」

 痛みによって反射的に筋肉が収縮し、ナギの喉から声が漏れた。

 彼女の顔は玉のような汗に塗れ、眉は強く寄せられていた。下げられた眦からは涙がこぼれていた。

 私は彼女の眉間を舐めた。寄せられた皺の凹凸を舌先でなぞり、浮かんだ汗を堪能した。汗はしょっぱく、わずかにナギの甘い体臭の風味があった。

 私はナイフを勢いよく引き抜き、ベッド下に放り投げた。

 ナギは苦痛に呻いた。ナギにつけられた傷は数秒のうちに塞がり、彼女の肌に跡を残さなかった。まるで、何事もなかったかのようだった。

「頑張ったね」

 私はナギの形の良い頭を抱き寄せ、彼女の上体を起こした。左で頭を撫でてやり、右手で彼女の涙を拭った。

「我慢したからぁ。はやく飲ませてぇ」

 ナギは目に涙を浮かべながらそう言った。

「んふふ、いいよ」

 私が首を傾げて、ナギに首すじを差し出すと、ナギの顔色がぱっと変わり喜色に包まれた。

「本当にいいの?」

「うん、いいよ」

 私がそう言い終わらないうちに、ナギが牙を私の首筋に突き刺した。

「あっ」

 ナギの牙が私の首すじの皮膚を突き破って、静脈を傷つけた。

 そこへ、ナギはすかさずしゃぶりつく。

「ん、ん、ん」

 ナギがこくこくと喉を鳴らして、私の血液を飲んでいく。幼子のようなその姿が愛おしい。

 ナギの血を啜られる度に私の命が奪われていくのがわかる。本能が吸血をやめさせろと叫ぶ、だがそれを抑え込み、簒奪を享受する。美しい生命に命を捧げる。なんて甘美なのだろう。ナギが私の血液を飲む度に甘い痺れに身体が包まれる。

「ああ」

 思わず声が漏れてしまう。

「ごちそうさま」

 十分私の血を飲んだらしいナギは半ば恍惚としてそう言った。

「美味しかった?」

 私がそう聞くと、ナギは勢いよく頷いた。


 私はナギの血に濡れた唇に唇を重ねた。彼女の口内に舌をねじ込み、彼女の歯列をなぞる。甘い彼女の唾液のほかに、私の血の生臭く、鉄っぽい味がした。私にとって私の血は血でしかないが、ナギにとっては堪らない甘露であるらしい。

 ナギの牙の先に自分の舌をひっかけ、あえて傷をつける。わずかな痛み。鉄の味がより強くなる。舌先からの出血をなすりつけるようにナギの口蓋をなぞっていると、ナギが私の舌に彼女の舌を絡ませてきた。私もそれに応じた。


「ッはあ……」

 長いキスだった。息をするのも忘れていた私たちは二人で荒い息を吐いた。息を落ち着かせようと深呼吸をしていると、私の身体の力が不意に抜け、ナギを巻き込んで、ベッドに倒れ込んでしまった。

「あれ?」

 腕に力をいれ、上体を上げようとするも、できない。少々、血を吸われ過ぎてしまったようだ。私は虚脱感と倦怠感、そして抗いようのないほどの眠気に襲われていた。まぶたが重い。

「ねむい?」

 横に一緒に寝転ぶ形になったナギが、さっきとは逆に、私の頭を自分の胸元に抱き寄せて言った。

「うん……すごく」

 私の意識は既に朦朧とし始めていた。

「おやすみ、ユイ」

 ナギは優しい声でそう言った。

『おやすみ、ナギ』と返す前に私の口は動かなくなった。私の意識が闇に落ちていく。

 ナギの甘い香りに包まれながら、意識を失う。きっと良い夢が見られる、そんな予感がした。

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甘美な給餌 デッドコピーたこはち @mizutako8

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