すっかり忘れていたその話。だが、狙ったかのように、不安になった夜、落ち込んだ晩にふと思い出す話。心の臓に痛まぬ楔を打たれたかのように、ずっとひっかかり続けていた話。


 あれから五十余年が経ち、私も老いた。

 その後も二度の昇進をし、結婚し、家族や孫にも恵まれた。順風満帆でまずまずの人生を送ってこられたのだと思う。

 けれど、決して話さなかったその話を今誰かに話したい誘惑に駆られている。それは、黒い装束を着た自分と同じ顔の男がベッドの足下に座り込んでいるのに気付いたからだ。

 八十を過ぎた私は今更死神など恐れない。

 だから彼に話しかけてみる。

「あの男の話は本当なのかね? 死神の呪いなんてあるんだろうか?」

 そいつはニヤリと笑うと私に答える。

「お前が私の姿を見る前に誰かに話してみればよかった事だ。臆病者は分からないまま死んでしまうがいい」

 もっともだ。私は「もしかしたら」に怯えて誰にも言えなかったのだから。


 昨日の夜死神は足下から枕元に来た。とうとう私も危ないらしい。

「ああ、お前も年のわりにはしぶとかったね。死にかけたからとせっかく急いで来たのに、なかなか御陀仏しないからあんな場所で何日も過ごす事になってしまった。だけど、お前の曾孫がちょこちょこ話しかけてくれたから退屈はしなかったよ」

 ニタリと笑う死神。

「お前がしぶとかったお陰でわたくしはすっかり力を使い果たしてしまった。良かったね。今はあの子を連れて行けない。けれど、姿を見られたからには呪いをかけよう。誰かに言えばすぐにわたくしがあの子を迎えに来られるようにね」

 今頃死神の呪いが本物だったと知ったところで、打たれた楔を抜くことの出来ないまま過ぎた五十年間は戻らない。

 ならばせめてあの子がやすさんの話していた女性のようにならないようにしてやらなければ。


 私は曾孫を呼んで言い聞かせる。

「いいかい? 死神との約束は決してたがえてはいけないよ。人に言ったらば最後、お前は本当に死んでしまうのだ。記憶が薄れようとも、決して、決して言うのではないよ」

 まだ、3つにもならない彼女が私の言う事をどれだけ理解したかはわからない。

 私はただ、祈るだけだ。あの子が私の言う事を決して忘れないように。それで無ければ、いっその事全て忘れてしまえばいい。何もかも、全て。

 私は死神と一緒に高みへ昇りながら祈り続ける。あの子が私のようにこんな恐怖に何年も煩わされる事がないようにと……。


 最後に見た曾孫は無邪気に笑っていて、それが妙に切なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死神 麻城すず @suzuasa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ