そろそろおちる

大鳥居平凡

本編

 なんだか思うにまかせないと気づいた次の瞬間には体が勢いよく横倒しになっており、そういえばしばらく食べてなかったなとクメはようやく思いいたる。もうそんな時節だったか。

 空腹のせいか、強いて起きあがる気力も湧かない。体勢はそのまましばらく漂っていると、「おーおーやっぱりあぶなかったか」と声をかけられる。顔を向ければ淡青の空を背に直立の姿勢で浮いているのは予想通り、ナルカミだ。

 挨拶なんぞしてやる柄でもない。それより一応、聞いてみる。「くいもんくれるの」

「ないよ。だいたいおれがもってきてやれるくらいなら、おまえもじぶんでみつけてくえたろ。わかりきったこときくな」

 そうか、わかりきったことだったのかとクメは苦笑した。やはりもう春は終わりらしい。

「いやじつは、さっきまでくってないことにもきづいてなかったくらいで、きせつのことがすっぽぬけてたんだ。もうなつがくるなんておもいもよらなかった。だもんでぼくはちゃんとさがしてなかったけど、なるかみはまじめにあつめてんじゃないかなとおもって。わけてくれるのかと」

 ナルカミが露骨に呆れた顔をする。顔のみならず、言葉でも伝えてくれる。「くめ、おまえ、ばかか」

「いやー」

「ざんねんながらもうはるもすえのすえ、みんなくいもんなくなってとっととおちようとしてるところだよ。おまえそんなとぼけてるとほんとにしにかねんぞ。ちかごろどこもかしこもとしかがすすんではるでさえくいもんなくなってるっていうのに。せめてきせつにゃちゃんときをくばれ」

 ナルカミの小言を聞き流しながら、クメは自分が何を求めて漂っていたのか、ようやく承知した。ただ風に運ばれているようにみえて、無意識にはきちんと目指すところがあったらしい。ナルカミにも聞こえていることだろう。

 次第に大きくなってくるせせらぎ。

 そう。川だ。空腹を知って、夏が来るのを知って、自分は川に行きたかったのだ。

 自覚しながら、横に半回転して仰向けになる。水音に耳を傾けつつ、視線は空にあそばせ、愚痴ってみる。

「だってまえはさあ、なつになるとにんげんがこんなかわにはいってさあ、じゃぶじゃぶぬのをあらってたじゃんか。ふくたくしあげてさあ、ふとももみえんのよね。それがまた、みずにあらわれてまっしろなのよ。おれあれすきだったなあ。それみてあーなつがくるなーってまんぞくしながらおちてったもんだよ。ほんと、いいふともも……なのにさ、あれ、どこいっちゃったのさ」

「おれもすきだったよ。だがとらわれたってしょうがねえ。としかっつったろ。かすみとおなじさ。くいもんも、なつのしらせも、めっきりみなくなった。きえてくんだよ。そんでも、なんとかめはしきかせてじゅんのうしてくしかないだろうが」

「なるかみはまいどまいどにたようなことばかりいうね。あきないの」

「おまえがまいどまいどにたようなことばかりやらかすからだよ。まえもはらすかせてんのにふとももふとももいっておちようとしなかったろ。おれにかんしゃしろよ、ほんと。ほらよ」

 ナルカミは懐から冊子を取り出し、クメに放り投げた。過たず手元に飛び込んできたので、クメも逆らわず受け取る。さすがのコントロール。

 冊子を目の前に持ってきて、印字を読む。

 ——『三宮の奇跡、帰還。18歳Hカップ、高校生活の集大成! わがままボディをたっぷりご覧あれ☆』

「うへえ」

「えろぐらびあ。これみてさっさとおちやがれ」

「だからさ、かわでせんたくするおんなのふとももはどこにいったのかな? なつのふうぶつしだよね、あのしろいうつくしいすはだは。ふくのしたにこぼれる。いやこのしゃしんをうつくしくないというつもりはないよ。きれいだろうとおもう。でもさ、なんかちがうとおもうの。なんかねんじゅうみずぎだし。ほんとさいきんのにんげんはきせつかんないよね。だからかすみもかわもなくなるんだよ。ほんとありえん。なるかみ、ぼくはだんここうぎする。だいたいきみね、これね、しゃしん? そんなことでいいとおもっているのか。しゃしんによくじょうするなんてね、そんな、ちゅうしょうてきな。こうどなちてきゆうぎですよそんなもの。よくじょうってのはね、ちがうんだ。このせかいのじつざいのてざわりにぜんしんがかんのうしながら、ああなつだ、ああひとはだだって」

「うるせえ。まえもやったことだろが。わきまえろ」

 まくしたてるクメを一喝して黙らせ、それからナルカミは大儀そうに付け加えた。

「……まあいってしまえば、よくじょうはきっかけをつくるまじないにすぎないからな。みたくなきゃみないでかまわん。りくつからいえば、おちることをこころからうけいれたじてんで、おまえはちじょうむけにへんたいするはずだ。でもおちるのはちゃんとおちてくれよ、へんないじはらずに。はらへってんだろ。くいもんはもうみつからんぞ。……ぐらびあ、いらないならかえしてくれ。おれがつかうんだ」

 しばしの沈黙ののち、はあ、とため息をついてクメが直立の姿勢に浮きあがる。そのままナルカミのそばに寄る。

「わかったよ」

「いいこだ」

 二体寄り添うと、クメは冊子をつかんだ腕を持ち上げ、どちらからも紙面がよく見えるようにする。ちらりと視線を交わして呼吸を合わせると、ともに紙面を凝視する。


「いっしょにおちよう、なるかみ」


 直立の姿勢から瞬く間に反転、二体は地上へ真っ逆さまに落ちていく。




 仙人。空を飛び、霞を食べて生きる生物だ。

 ところで、春しか産しない霞を主食とする彼らが、その他の季節をどう過ごしているかはあまり知られていない。結論からいえば、彼らは春を終えると変態する。

 生物が季節の変化を感知する手法は、日照時間や気温など様々だが、仙人の場合は、ヒトの雌のふとももを基準としているとされる。

 春のあいだ飛行し霞を食べて暮らしていた仙人は、気温と水温があがり川に入って洗濯するようになったヒトの雌が、ふとももを晒したことをもって、夏の到来を知る。〈欲情〉なる特殊センサによってふとももを感知した仙人は、地上形態に変態し、飛行をやめて墜落する。そして翌春までを、飛ぶこともなく地上で過ごすのだ。

 しかし近年環境破壊によって、霞やふとももの発生は減少の一途をたどっている。生息環境の激変のなかで、仙人たちも難しい適応を迫られているとされる。




 いつの間にか二体抱き合っていたようだ。

 鈍い音とともに衝撃が走る。落ち着く。ややあって目を開けたクメは、ナルカミと絡まりあった肢体を解きほぐし、地面に立って伸びをする。

 変態の前後で時間感覚もおかしくなるのだろうか。ある程度高くを飛んでいたとはいえ、ちょっと落下時間が長すぎた気がする。毎度のことだが、慣れない。ともあれ、すっかり地上用の変態は完了したようだった。

 二体がいるのは、どうやら無人の河原だった。気配がしたので目を戻すと、ナルカミも回復して地面に腰を下ろしている。傍らにはグラビア雑誌。衝撃で傷んではいたものの、バラバラになることなく無事冊子の形態を保っているらしい。

 クメはナルカミを正面にとらえるよう向き直り、顎に手をやる。ナルカミがじろりと視線を投げ返し、問う。

「なんだよ」

「いや、変態がうまくいったか観察をね。いや、立派なもんだ。まあどこからみても高校生男子ってとこだね」

「お前もな」


 仙人の生態は夏感知に加えてもう一点、ヒトに依存するところがある。いや、夏感知とどちらが主でどちらが従だったかは、鶏卵の先後にも等しい進化史上の難問なのだが。

 仙人の地上形態は、服を着たヒトにしか見えない。彼らは夏から冬のあいだを、ヒトに擬態し、人間社会のなかで過ごすのだ。


 ふと顎から手を外し視線をそらすと、クメは嬉しそうに声をあげる。

「あ、モンシロチョウだ」

 ナルカミが目をこらすと、確かに白い羽に薄く墨の紋をいれた小さな蝶がひらひらと、迷子になったように飛んでいる。

「なんだ急に。好きだったか」

「キャベツばっか食うだろ、こいつら。夏には見なくなるし。空飛ぶ偏食仲間として、ちょっと親近感覚えちゃうよね」

「はん。なにが。こいつら昔はいなかったろ。それがいつの間にか大繁殖して。絶滅危惧種の俺らとはえらい違いだよ」

「キャベツと一緒に広まったんだろ。人間に寄生して生きてんのさ。僕らと同じだよ」

 クメの声音はいつの間にか、どこかしみじみとしたものを含んでいた。ナルカミは肩をすくめると、手で腰についた土を払って立ちあがる。

「じゃ、行くか」

「はいよ。あ、グラビアって前回どうしたっけ。置いてっていいのかな」

「……俺が持っていこう」

 二体の影が遠ざかり、河原の草に隠れて見えなくなる。

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