禅士院雨息斎のゴーストバスター劇場

尾八原ジュージ

禅士院雨息斎のゴーストバスター劇場

 とある洋館の前に、3人の男がやってきた。


 右端の、上品な白髪の痩せた紳士が説明を始める。彼はこの屋敷の現在のオーナーで、某大企業の重役を務めていると名乗った。


『先生、こちらが先ほどお話した、旧・葛木邸であります。大正時代に建てられたこの二階建ての洋館は、規模こそ大きくはありませんが、当時の建築・美術・工芸の粋を集めたものであります。この屋敷自体が美術品と言えるほどの逸品なのです』


 先生と呼ばれた真ん中の男は、3人の中では一番若い。泥染めの細かい縞模様の着物に黒い無地の羽織。羽織の背には「雨」の字を崩した紋が染め抜かれている。背が高く、俳優のように整った顔立ちをした彼の名は禅士院雨息斎ぜんしいん うそくさい。今、巷で話題のイケメン霊能力者である。


『ご覧ください先生。この繊細な手摺のデザインは、アール・デコを取り入れ、モダンかつ優雅な……』


『いや、建築様式の話はひとまず結構。素晴らしい建物であるということはよくわかりました』


 雨息斎は右手を伸ばして、オーナーの説明を遮った。『私はこちらで、何をすればよろしいので?』


『はぁ、ここはその、幽霊の噂がございまして……というか、出るのです。私もこの目で見ました。誰もいないのにドアが開け閉めされたり、足音やうめき声が聞こえたり、クッションが宙を飛んだりするのです』


 オーナーはそう言いながらハンカチを取りだし、いかにも困っているという体で額を拭った。


『ほほう、クッションが』


 雨息斎は興味深そうに聞き返した。


『クッションでございます。これも昭和初期、一流の職人がひとつひとつ仕上げましたもので……あの、クッションが何か?』


『いえ、ポルターガイストといえば、皿だの何だのが飛ぶのが定番ですから』


『皿は飛びませんな。飛んでいたら、今頃真っ青になっているところです。何しろあれが割れたら、日本陶芸史に残る損失……』


 雨息斎はオーナーの嘆きを断ち切るかのように、ふん、と鼻を鳴らすような声を立てた。


『つまり屋敷の中は、さながら美術工芸品の展示会というところですか』


『さ、さようでございます』


 雨息斎は形のいい顎に軽く手を当て、鋭い目で屋敷を眺め回した。さながら、獲物を物色する虎のような目付きである。


 オーナーはその横顔を不安そうに見つめながら、なおも話を続けた。


『現在、この屋敷をギャラリーとカフェを兼ねた施設にすることを検討しているのですが、心霊現象が収まらない限りはそうもいきません。今まで何人もの霊能力者に除霊を依頼しましたが、どなたも力及ばず……こうなっては禅士院先生にお願いするほかございません』


 そのとき、3人目の男の口が微かに動いた。これはガタイのいい中年男性で、この屋敷を管理する不動産屋の社長という触れ込みである。それと同時に、雨息斎の右頬が一瞬、ぴくりと痙攣した。


 オーナーはそれにまったく気づかない様子で、雨息斎に深く頭を下げた。


『お願いいたします! どうぞ除霊を!』


『ふーん……よろしい、やってみましょう』


 このようなやり取りを経て、雨息斎は単身、この「幽霊屋敷」に乗り込んだのである。




 オーナーと不動産屋を一旦帰らせた後、雨息斎は預かった鍵で屋敷の玄関を開けた。


 大きな一枚板の扉を開くと、そこは広いホールになっている。


 雨息斎は、大きな七宝焼の花瓶や、夭逝した洋画家の美人画などに彩られたホールの真ん中に立って、しばらく目を閉じ、静かに佇んでいた。


 そして目を開けると、突然『よーし!』とやたら大きな声を出した。


『とりあえず、最もポルターガイストが目撃されているという2階の客間に行こう! 確か2階の南端だったな!』


 そう言いながら彼はドタドタと足音を立ててロビーを通り抜け、深紅の絨毯が敷かれた階段へと、草履を履いた足をかけた。


 また目を閉じる。


 と、彼は突然踵を返し、1階の通路を北の方へと突っ走った。目指す先は食堂と、それに隣接したキッチンである。


 食堂の観音開きの扉を開けると、大きなテーブルがどんと出迎える。雨息斎はその脇をすたすたと通り過ぎ、キッチンに通じるドアを開けた。


『やはりここが拠点か』


 片隅に備え付けられた薄汚れた電子レンジと電気ケトルを見て、彼はにやりと笑った。それからキッチンのドアの脇に、ぴたりと体をくっつけて立った。


 少しして、バタバタと足音が近づいてきたかと思うと、無精ひげの生えた薄汚い、若い男がキッチンに飛び込んできた。


 雨息斎は一瞬のタイミングを狙って、男の着ているヨレヨレのTシャツの襟元を掴むと、『エイ!』と気合一発、見事な背負い投げを食らわせた。ふいを突かれた男の体は空中に弧を描き、キッチンのタイル張りの床に背中から落下した。痛みで動くどころか、声も出ない様子である。


『思った通り、生きている人間が住み着いていたんだな。この屋敷に似合わない電子レンジやケトルを使って、ちょっとした自炊までしていたと見た』


 そう言いながら雨息斎が流し台の下の扉を開けると、カップ麺がどさどさと出てきた。


『どうやってこの屋敷に忍び込んだか知らないが、なかなか快適そうな住まいじゃないか。え?』


 そう言いながら倒れている男の手の甲をグリグリと踏むと、男は苦し気な息の下から『ス……スイマセン……』と声を漏らした。


『いやいや、俺に謝ることはない。君はなかなかいい管理人だね。キッチンは汚れていないし、ドアの開閉もスムーズだ。ポルターガイストを演じるときも、高価な食器や調度品が壊れることを恐れて、クッションなんかを投げていたらしいな。人が住んでいない屋敷というのは荒れるものだ。君のような自称幽霊がひとり住み着いているくらいがちょうどいい……とは思わなかったのがこの屋敷のオーナーだが』


『マジスイマセン……住むとこが……なくて……』


『そんなことだろうと思ったよ。しかし君、見所があるぞ。よく誰にもバレずに今日まで過ごしていたな』


『俺、ボルダリングとパルクールが得意で……窓枠にぶら下がって隠れたり、屋根に上って屋敷の中を移動したりしてたんです……ほんとスイマセン。なんでバレたんすか』


『俺は人より耳がいいんでね』


 雨息斎は、芝居がかった仕草で自分の耳を軽く引っ張った。


『さっき屋敷に来た時、君がキッチンの窓辺に隠れて、また霊能力者が来やがった、とかなんとかボヤいていたのが聞こえたのさ。とりあえず移動させようと思ってデカい声で嘘を吐いたら、君が素直に2階に向かってくれたんでホッとしたよ』


 これを聞くと、男は床に倒れたままシクシクと泣き出した。雨息斎はいかにも優しそうな声を出して、男に語り掛けた。


『なぁおい、君。名前は?』


『や、柳です』


『柳くんか。知ってるかもしれないが、俺は禅士院雨息斎という者だ』


『はぁ、見たことあります。テレビとかで……』


『そうかそうか。なぁ柳くん。この家を出て、その辺のマンションにでも引っ越したらどうだ?』


 雨息斎はそう言いながら、柳の脇にしゃがみこんだ。


『そんな金ないっすよぉ』


『何、俺が出してやるさ。家賃も払ってやろう』


『え?』


『その代わり、俺の仕事を手伝ってくれないか?』


 雨息斎は整った顔に邪悪な笑みを浮かべて、『実は、俺はインチキ霊能力者なんだ』と言った。


『あ、やっぱり』


『おいおい、やっぱりって……そんなに怪しいか? さっきも不動産屋の親父に、インチキ野郎だの、全身が嘘臭いぞだのと、ボソボソ言われたところなんだが……』


『じゃあ、今までやってきた除霊や霊視は、全部ヤラセだったんすか?』


『ヤラセもあるが、ほとんどは俺の聴力とコミュニケーション能力、そしてハッタリと暴力で何とかしてきた』


『マジすか。雨息斎さん、転職した方がよくないすか? 私立探偵とかいいじゃないすか』


『それじゃ今ほど稼げないだろうが!』


 雨息斎は演説する革命家のように拳を握り、一際大きな声を上げた。


『とにかく我々は、さらなる利益を得るために協力すべきだ。柳くんはその身体能力を生かして適当な建物に侵入し、「心霊現象」を起こしてくれ。俺はそれを「除霊」する。その代わり俺は君に給料を払うし、住むところも提供する。win-winの関係ってやつだと思うがねぇ』


 柳はタイルの上に、ようやくその上体を起こした。


『ほ、本当ですか?』


『本当さ。俺もこのままじゃいずれジリ貧だ。助手を雇うくらいのテコ入れをやってもいいじゃないか』


『いや、しかしあの、本当に俺のこと警察に突き出したりしませんか?』


『今の提案を飲んでくれたらしないさ。俺も後ろに手が回ったら困る。ニセモノ同士、うまくやろうじゃないか』


『で、でも……』と言いながら、柳はチラッと右上の方向を見る。『うまいこと言って、俺をハメようって魂胆じゃないでしょうね?』


『そんなことしても得にならん。とりあえず、この屋敷からポルターガイストを追い払う芝居からやろう。俺が適当に祈祷をするから……君、やるよな?』


 雨息斎は指の関節をポキポキと鳴らした。


『はっ、ハイ! やりますとも!』


 柳は慌てて答えながら、またチラリと右上を見た。さすがに雨息斎もその様子を不審に思ったのか、同じ方向に目をやる。立ち上がり、眉をしかめ、目を細めて……。


 そして彼の顔色が突然変わったのを、私は隠しカメラのレンズ越しに見た。




「バレたか。柳のバカ野郎、カメラをチラチラ見やがって」


 私は溜息をついてモニターを消した。


 とはいえ録画データは、屋敷中に仕掛けた隠しカメラから、すでにクラウドに転送されている。例え怒り狂った雨息斎がカメラを壊し、柳を絞め殺したとしても、奴がインチキ霊能力者だという自供は、この手に掴むことができたわけだ。


 さっきのオーナーも不動産屋も、もちろん柳も、このために私が雇った役者である。それもこれも、利用価値のありそうな雨息斎をハメるためだ。期待通り、なかなかうまくいったようだが……。


「さて、こいつをどう使うかな」


 私は鼻歌を歌いながら隠れ家を出て、旧葛木邸に向かった。

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