エピローグ 執事の物語にタイトルを
「アラン。長い間お疲れ様」
久方ぶりに会う、物語の神だ。
彼は私が少年だった頃と、何一つ変わらない姿でやって来た。
「今日は、向こうに行くにはいい日だな」
「いい日。そうですかな。まだ寒くて……少し寂しい季節ですが」
もう少しすれば、花が咲き誇り木々も青々と色づくだろう。
しかし、今日が少し暖かいとしても、まだ冬と春の境目にある。
できることなら、もう少し暖かい季節に見送りたかったと思えば。
「ああ。ここは少し温暖な気候だけど、リーゼちゃんの前世では今日が立春。春の始まりの日なんだ。ハルに会いに行くには、いい日だよ」
「そうでしたか」
言葉の上でのゲン担ぎ。
私と彼以外に、その縁起を知る者はいない。
それはこの上ない、別れの餞別だった。
原作が終了してからというもの、会う機会はあまり無かったが。
思えばこの神様とも長い付き合いになったものだ。
クロスの姿は当時と全く変わらないが。
そうか。
物語が終わってから六十年は経つ。
私も歳を取るわけだ。
と、不意に自分の歳を実感した。
「アラン、こんな時に言うのも何だけど。おめでとう、君の勝ちだ」
「勝ち……で、ございますか」
「ああ、いつかメリルに言っていただろ? あの二人が子どもを産んで、寿命で死ぬまでの未来を守り抜けたら。って」
二人の未来を守り抜き。
寿命で亡くなるまで大過なく過ごせた。
「はは、安心しました。下手をすると、私も向こうへ行ってしまいそうですな」
若き日に。己に誓った約束を果たすことが、できた。
そう理解すると共に。
不思議と気が抜けてしまった。
「もう八十歳過ぎだ。年齢的にはおかしくない」
「……いえ。まだまだ死ねません。妻より先に行くわけにもいけませんし、ね」
エールハルト様が亡くなった後の、リーゼロッテ様の悲しみようを見た後だ。
妻にそんな思いをさせたくない。
意地でも妻より長く生きたいというのは、我がままだろうか。
だが、いいだろう。
少年の頃からずっと誰かに仕えてきて、反抗期すらなく。
「物語」以外のところでは、我がままらしい我がままも言ってこなかったのだ。
これくらいは許してほしい。
そんな心境を知ってか知らずか、彼は話の結論に入ろうとしていた。
「悪役令嬢の物語なんかとっくの昔に終わっているし、転生者の物語もこれで本当にエンディングだ。でも、君の物語なら、もう少しだけ続けられるんだよな」
「私の、物語ですか」
この世界は。
メリルとリーゼロッテ様を中心に回っているものだと思っていた。
この世界は。
原作を元にして回っていると思っていた。
しかし、どうやら少し違うらしい。
「ああそうさ。滅茶苦茶やっても罰を受けなかったのは「乙女ゲーム」、「転生者」の物語に加えて、「執事」の物語を生み出したからだ」
しかしそこに自分の物語があったと言われて。
意外な一言に。
一瞬、思考が止まった。
「これで結構大変だったんだぞ? 何も無いところから、無理やりアランが主人公の物語を作るのは」
「はは、それは……また」
クロスは苦笑しながら話すが、それは大変だっただろう。
逆の立場なら、アラン・レインメーカーという男とリーゼロッテ様が起こす数々の事件を、どう処理できただろうか。
何だか急に申し訳無い気持ちが芽生えたが、彼は「気にするな」と言わんばかりに手を振って言う。
「ま、掛けた苦労と得られたもの。天秤にかけたらほんの少しだけ、ギリギリ黒字ってところだ」
「その節はご迷惑をお掛け致しました」
「いいってことさ。あれから六十年も付き合ってくれたんだ。ここから先は本当に自由だよ」
そして、彼が言いたかったこと。
結末の言葉が告げられる。
「老執事は主を見送り、静かな余生を過ごしました……で〆るとしよう」
己の物語。
それは主人を見送ると共に、終わりを告げたのだろう。
「感動的なエンディングなんていらない。その分は多少赤字でもいい。残り短い人生だろうが。――アランは、アランの人生を生きるといい」
誰かのために働き、誰かに仕える一生だった。
自分の六十年が達成された瞬間だ。
唐突な話に頭が付いて来ず。
昔のように、彼を茶化すので精一杯になる。
「珍しく大盤振る舞いですな」
「珍しいは余計だっての。……さて、それじゃあ俺は行くよ」
彼はいつかのように、亜空間のようなものを作るでもなく。
皮肉気な表情のまま歩き出して、私の横を通り過ぎていく。
「墓に花を添えるくらいはしに来るけどさ。もう会うこともないだろう。……これが今生の別れってやつだ。エミリーとマリアンネにもよろしくな」
「しかと申し伝えます」
後ろ手に別れを告げながら去っていく物語の神。
これで、本当に終わりだ。
そう察して、何となく。
彼の後ろ姿に、執事としての礼をした。
「では、長きに渡る我々の物語も。これにて終幕と致しましょう」
「ああ。じゃあな、アラン。君も最期の時に、いい人生だったと言えることを祈っている」
そう言って、歩き始めたクロスは。やがて霧のように――虚空へと消えた。
後には自分ひとりだけが残り。
少し冷たい春の風が、頬を優しく撫でていく。
「クロスは、私の物語があると言ったか」
思えば、激動の一生だった。
齢は八十を越える、今になっても。
平穏無事な毎日など、終ぞ訪れることはなかった。
私を主役にした物語があるのなら、リーゼロッテ様を陰から応援し。
日向を走る彼女の行く道を助ける。
そんな物語になるのだろう。
太陽と月などという、詩的な表現は似合わない。
私たちの関係を表すならば。もっと荒々しいものになるはずだ。
「こう名付けるには、少し歳をとり過ぎたが。まあ今日くらいは……いいか」
己の人生に。
私が主人公だという物語にタイトルをつけるとすれば、こうなるだろうか。
「やっちまえ、お嬢様」
何てタイトルだと苦笑しながら。
その物語の完結を見届けて、老執事は一人空を見上げる。
執事としての役目は終えた。
これで終幕だ。
これから先のことは蛇足であり、語るまでも無いだろう。
そんなことを考えながら。彼は、残りの人生を歩んでいった。
完。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
ご愛読、ありがとうございました。
少ししんみりして、この物語の毛色とは違うかと思いますが。
この終わり方だけは、連載前から決めていたりしました。
もう少ししたら、物語の神様が主役のお話を投稿しようと思いますので。
いずれまた、彼らの姿を見ることがあるかもしれません。
何はともあれ、延長戦も含めて。
これにて完全に完結となります。
続編や書籍化など、追加のご報告は無いと思いますが。
思い出に、フォローを置いておいてもらえると嬉しいです。
ここまで読んで下さった、全ての方に感謝を。
2021/5/9 やっちまえ! お嬢様!!
完結。
やっちまえ! お嬢様!! ~転生して悪役令嬢になった当家のお嬢様が最強の格闘家を目指し始めてしまったので、執事の俺が色々となんとかしなければいけないそうです~ 山下郁弥/征夷冬将軍ヤマシタ @yamashita01
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます