物語の終わりに
エピローグ
この世界を作る基になった乙女ゲーム。
その全てのイベントが終わり。
執事になってから、六十数年の歳月が流れた。
主人に子が生まれて、孫が生まれて。
自分も妻との間に子を授かって、孫が生まれて。
時代の移ろいを感じながら。
床に伏した主人の世話をするのが私の日課となっている。
「アラン、窓を開けてくれないかしら」
「……お体に障ります」
「いいのよ。開けて」
ベッドの上に横たわりながら、静かな声でリーゼロッテ様は言う。
今日は少し体調が良さそうだが。
本来なら離宮ではなく、医療設備の整った王宮にいるべきだと進言しても。終ぞ進言を聞き入れてはいただけなかった。
『ここからなら。あの人が愛したこの国が、よく見えるから』
郊外の丘に建てられた小さな離宮。
そこからは、エールハルト王の下で発展を続けたアイゼンクラッド王国の。
私と、そしてリーゼロッテ様の故郷が一望できる。
何でもない日だというのに。今日は酷く感傷的になる。
ある種の予感があった。
そしてそれは、彼女が一番よく分かっているように見える。
「ね、アラン」
「……少しだけですよ」
窓から吹き込む風を浴びて、彼女は気持ちよさそうな顔をした。
まだ冬と春の境目であり、冷たい風を浴びるのは良くないのだが。
何はともあれ、ここでは穏やかに時が流れている。
全てが遠い昔のことと思えるほどに。
いや、事実。
全ては遠い昔の話だ。
『アラン。あとのことは任せるよ』
一昨年の暮れに、エールハルト様が老衰で亡くなられた。
残された息子と娘。
そして孫と、妻を頼むと言い残して。
『アラン様、永遠の命は諦めます。ですが……御身は長生きしてくださいね』
昨年はクリストフだ。
最後まで、一介の子爵である私に尽くしてくれた。
身体を機械化して無限に生きる計画を立ち上げていたようだが、それは流石に止めざるを得なかった。
「時の流れとは、残酷ですね」
今では私も老執事だ。
公爵家の家令だったエドワードさんの歳など、既に超えてしまった。
親世代はもちろんのこと。
近頃では見知った仲の者が次々と天寿を全うしていくのを見送ってきた。
それは辛いことだ。
「でも、みんな笑っていたでしょう?」
「ええ、誰も彼も。本当に幸せそうな顔をして……」
パトリックも数年前に旅立ち。
生涯を好きなことに捧げられて満足だ。
けれども、少し激動過ぎたかなとボヤキながら。それでも笑って逝った。
『ま、若い頃は色々あったけど。何だかんだ言って、転生できてよかったと思うわ』
メリルは、ラルフを見送ってからすぐだったか。
あの二人はおしどり夫婦として、社交界でも長らく有名だった。
私たちは主従共々、生涯に渡って親交が続いた。
サージェスは三十手前で結婚し。
相手が同級生の菓子屋の娘というのだから驚いた。
孫に看取られて死ねるのは意外だと言い残して、この世を去って行った。
「分かっていても、辛いものがありますな」
「そうね」
「こんなことなら、クリストフの研究を続けさせるべきだったのかもしれません」
「あら、それはダメよ」
窓の外を眺めて感傷に浸っていれば。
楽しそうな声色で、リーゼロッテ様はその考えを否定した。
「こうして旅立ち、また次につながっていくものだから」
「……左様でございますなぁ」
この一生は、常にこの主人と共にあった。
彼女が命を落とし、転生するという巡り合わせがなければ。
妻との縁に恵まれ、孫ができることもなかった。
己の一生を生き。
新しい命を紡いで時代に渡す。
それが正しい摂理かと思い直した私に、リーゼロッテ様は言う。
「生きているうちにやりたいこと。全部、一つ残らずできたわ。アランのお陰よ」
感謝の言葉など要らない。
謙遜ではなく、それはまるで――
「いえ。言うだけ野暮、ですか」
「ふふっ、そうね。でも、野暮と言うなら……ついでに一つ、いいかしら」
「なんなりと」
少女であった時と同じ、屈託なく無邪気な笑みを浮かべて。
その口から出てきた言葉は。
「私、悪役令嬢で良かったと思うの」
という。何とも不意を突かれるような言葉だ。
「ヒロインだったら、選ばなくてはいけなかったでしょう?」
「……ええ、誰かは」
「そんなの、選べないわ」
不遜な考えだが。主人が誰と誰を天秤にかけているのかも分かる。
彼女が主人公として。
ヒロインとしてこの世界に生まれていれば、そういう道があったのかもしれない。
「光栄です、リーゼロッテ様。ですが、私にも愛する妻がいれば、息子も娘も、孫たちもおりますので」
「ふふっ、私もよ」
「……過去に戻ったとして。私は、何とかして妻たちと結ばれる道を探すと思います」
もしかしたら、今以上に幸福な道を歩めたのかもしれない。
しかし、今までの人生で築き上げてきたもの。
その全てと引き換えだとしたら――
「何度やり直しても、何度生まれ変わっても。私も、結局あの人のことを選ぶと思う」
ああ、お似合いだ。
パズルのピースが嵌まるように、それがあるべき姿だと断言できるくらいには。
彼女だけでなく、私からしても。
それ以外の未来など考えられない。
「だから、お互い。悩まなくて……いいでしょ?」
「ええ、本当に」
確かに。
それなら最初から悪役令嬢のままでいい。
結果が決まっていたとして、選択肢がある分は悩むだろうから。
今さらながらに思う。
私とリーゼロッテ様が結ばれる可能性もあった。
そんな未来も、あったのだろう。
だが、リーゼロッテ様はエールハルト様を選び。
私はエミリーとマリアンネを人生の伴侶に選んだ。
今が幸せで、これ以上はない。
今ならそう思える。
「ふふっ、そうでしょう? ……ねえ、アラン」
それは確認だったのだろう。
今からするお願いが、恋愛感情に基づくものではないと。
ただ、確かめただけだ。
「頭、撫でていてくれないかしら。いつか、子どもの頃に、してくれたように」
「……畏まりました」
神様から直々に「夢を諦めろ」と言われ。
塞ぎ込んだリーゼロッテ様の頭を撫でたこともあった。
てっきり寝ているものだと思っていたが、起きていたようだ。
主人の頭を撫でるなど、若気の至りもいいところだが。
「まさかこの歳で、再びやることになるとは」
「驚いた? 七十年越しの秘密だったのよ」
「……いくつになっても、お嬢様には敵いませんなぁ」
ベッドの横に椅子を置いて腰かけ。要望通りに、髪を梳くように撫でる。
暫くそうしていたところ。
黙っていた彼女は、ふと口を開いた。
「ねえ、アラン」
「はい、お嬢様」
ゆっくりと。
万感の思いを込めるように。
「私ね、私はね……。貴方がいてくれて、みんながいてくれて――」
彼女は、噛みしめながら言の葉を紡ぐ。
今までの人生。
その感想は、一言にまとまったらしい。
「……とても。とても幸せだったわ」
前世では不幸な生まれを呪い。
異なる世界で生きること、八十余年。
彼女は、今が幸せだと言った。
確かにそうだ。
記憶を辿れば、彼女はいつだって全力で。
輝くような笑顔で走り抜けていた思い出しかない。
「よい人生で、ございましたな」
「ええ……とても」
それきり。主人は口を開くのを止めて、目を閉じた。
いつか彼女は言っていたはずだ。
私は己の歌唱力に誇りを持っている、と。
春の陽気の中。
窓から吹き込む風の音。
そして鼻歌だけが、静かな部屋の中に響いていた。
どれくらい、そうしていただろうか。
気が付けば、歌は止まり。
ただ、風の音だけが静かに鳴っていた。
「おやすみなさい、お嬢様。どうか、良い夢を」
そっと布団をかけ直し、これからのことを考えようとした。
国葬の準備が必要なら、王族への連絡も必要だ。
しかし、少しくらいならいいだろう。
何もする気にならず表へ出れば。彼が待っていた。
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