第10話

「おーい、そっちの荷物はこっちに乗せてくれ!」


 春の風の中、鈴の音のような乙女の声が響く。

 貴族令嬢ハチリアーヌ・ジャスコは、馬車の前にて旅支度をしていた。


「いやぁ、一時はどうなることかと思いやしたよ!」


 殊更大きな荷物を肩に担ぎ、桃色のドレスを翻してグマニスが言う。


「アニキの魔法増幅体質がバレちまったかと思ったら、皆見てねぇフリをしてくれるなんて! あっしゃあ、涙がちょちょぎれちめぇました!」

「ああ。……まったく、あそこにいたのは気持ちのいい奴らばかりだったな」


 とはいえ、あれだけの規模の事件である。その中心人物となったハチリアーヌはしばらく家を離れ、友人であるミラーノ・イゼリアのもとに身を寄せることになったのだ。彼女の住むカステーリャ町は多少治安は悪いものの、活気あふれる町と聞きハチリアーヌはワクワクしていた。

 最後の荷物を積み終える。そうして、ハチリアーヌは父と母を振り返った。


「そんじゃおとっつぁん、おっかさん、オレァちょっくら雲隠れしてくるからよ!」

「うむ。気をつけて行ってくるのだぞ」

「また半年後ね」

「ああ!」


 ちなみに両親は、もうこれがハチリアーヌと受け入れることにしていた。言葉遣いは荒いものの、話してみれば竹を割ったような性格なのだ。五回は気絶した母も、最後には「中身はちゃんと私の優しいハチリアーヌに違いないわ」と頷いてくれた。

 ここで馬車の手綱を引いたグマニスが、思い出したようにハチリアーヌに言う。


「そういや、セブイレ校長のことなんですけどね。時々あっしらの様子を見たいってんで、町に来てくださるそうですよ」

「おう、そりゃ楽しみだな! ミラ公も喜ぶぜ」

「シャシャシャ!」

「ハハハ、そうかダチ公、オメェさんも嬉しいか!」


 荷物と一緒に詰められたゴッツェエが、楽しげにゆらゆらと揺れる。最後にもう一度だけ積荷を指差し確認して、ハチリアーヌは馬車に乗り込んだ。


「出発だ! おいトカゲ、抜かるんじゃねぇぞ!」

「ギャオオオオオオオオ!!!!」


 天を覆わんばかりに両翼が広がり、バサバサと上下する。やがて、ふわりとドラゴン馬車が空に持ち上がった。


「さぁ、目指すはミラーノのお町だ! 落っこちるなよ、クマ!」

「合点承知!!」


 金色の髪は青い空によく映える。それもあっという間に見えなくなって、空に溶けてしまった。


「……王子、娘に挨拶をしなくて良かったんです?」


 それを見守るのは、ハチリアーヌの両親とトノラ王子。彼は物陰から出てくると、共に空を見上げた。


「ああ、構わない。……私は、まだ彼女に釣り合うだけの男になれていないからね」

「そんな! 王子様ほど立派な方が滅相もない……!」

「事実だよ。故に、私も早く彼女に追いつかねばならないと思っている」


 指笛を鳴らす。すると、真っ白な馬が彼の隣に駆けてきた。

 それにまたがり、王子は爽やかに笑う。


「では、私も行ってくる」

「あ、追いつかねばならないって物理的な方ですか」

「待っていてくれ、ハチリアーヌ……! 君が町でどんな善行を成し遂げるのか、これからも近くで見させてもらうよ! ハイヨォッ!!」


 トノラ王子の掛け声と同時に、ペガサスが空へと舞う。彼の向かう先もまた、カステーリャ町だ。






「……なぁ、クマよ」

「なんです、アニキ!」


 海の上を行く馬車の中。ずっと景色を眺めていたハチリアーヌはふと顔を上げ、手綱を引くグマニスの背中に問いかけた。


「ミラ公は学園を卒業して、オレは投獄されずに済んだ」

「へぇ、そうです!」

「するってぇと、これでオレはもう悪役令嬢とやらからはお役御免ってことなのかね」


 それは、ハチリアーヌらしくない問いだった。……役割を成し遂げないまま、自分はゲームのシナリオ分を終えた。ならばこれからの自分は一体どうなるのか。

 ずっと手のひらで潰していた小さな不安を、彼女は少しだけグマニスに開いて見せたのである。

 しかし、ジャスコ家の庭師にしてハチリアーヌの忠実な従者グマニスは、やはり快活であった。


「何を言ってんですアニキ! ふざけちゃいけねぇよ!」


 グマニスの言葉にハチリアーヌは驚く。彼はハチリアーヌを振り返り、日に焼けた顔いっぱいに人懐っこい笑顔を広げてみせた。


「アニキは悪役令嬢なんかじゃねぇ! いつだってアニキはアニキそのものでしたぜ!!」


 その一言に呆気に取られ、すぐに吹き出す。よく分からない照れ隠しの代わりに、「馬鹿野郎、悪役令嬢だの何だの言い出したのはオメェだろうが」と小突いてやった。

 強い風にたなびく金色の髪を、手で押さえる。彼女の瞳に映るのは、真っ青な空と海。どこまでもどこまでも続いていく世界に、否が応にも胸が高鳴っていた。

 ――それはまるで、運命をねじ伏せ未来を切り開いた自分の未来そのものであるかのようだと。そんなガラにも無いことを思い、ハチリアーヌは一人微笑んでいたのだった。





 「するってぇと何かい!?悪役令嬢に転生したってぇのかい!?」 完

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するってぇと何かい!?悪役令嬢に転生したってぇのかい!? 長埜 恵(ながのけい) @ohagida

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