エピローグ 無くし物
女の子の暖かみとは、柔らかさとは、こんなにも──こんな感じだったのだと、俺は絶句した。
鳴子を抱き止める、受け止めている全身が痺れているようだったと、絶句して、チェックした。
「……歳平」
「お、おう」
頭頂部をぐりぐりと擦り付け、彼女は小さく呟いた。
不意に名前を呼ばれ、動悸が加速してしまう。このドキドキが彼女にバレていないだろうか、なんて在り来たりな恋愛ソングみたいな事を考えていた。ついついノリと勢いでこんな体勢になっているが、一体いつまでこの体勢なんだ。
いや──いつまでこの体勢で居て良いんだ?
ふわふわと熱を帯びていく全身、しかし彼女は一向に、腰に回した腕を離そうとはしてくれない。押し付けるようにしな垂れる重みを、ほんのり香る甘い匂いを、いつまで堪能して良いのだろうか。
そんな時だった。
ガラガラと大きな音を立てて、無遠慮な音を立てて、無粋に──教室の扉が開いた。
熱暴走を始める思考を断ち切るように、沈黙と灼熱を断ち切るように、
「あー!! 先輩がギャル系とイチャイチャしてる!!」
御伽ちゃんがダイナミックに入室して来たのだ。
「中庭に来ないから怪しいと思えば、教室で不純異性交遊の真っ最中とは驚きです」
地に足を叩き付けて、ズカズカと踏みしめながら、入室して来た。
余りの衝撃に思わずもう絶対離さないとか、そんな感じだった両腕を、パッと離してしまう。当然鳴子の表情は不服そうに、怪訝さを露わにしている。
そしてまた、当然の如く、次にその視線は不躾な少女へと向けられた。
「……誰、このチンチクリン」
「チンチクリンとは失礼な方ですね。私は先輩の運命共同体ですよ。お前こそどこの馬の骨ですか?」
「アタシが馬なら、アンタを蹴り飛ばしても良いよね?」
「出来るもんならやってみるが良いです。爆乳ギャル子さん」
「アンタみたいなチンチクリンより、アタシの方が絶対強いと思うけど?」
「生憎、もう110番の準備は出来ています。私の通報速度は、貴方よりずっと早い」
グイグイ近付いて、遂に二人の距離が目と鼻の先まで到達していた。
さっきまであんなにお花畑だった空間が、一瞬にして殺伐とした修羅場と化している。
なんとかしてこの場を治めないと、
「二人とも落ち着け」
そう思い、的確に冷静に述べたつもりだったが、
「先輩は黙ってて下さい。これは我が闘争なのですから」
「御伽ちゃん、その人が前に言っていた武器を持った女の子だ。つまり仲間だ。喧嘩するな」
それは正しく、本当に火に油だった。
鳴子は俺の言葉を耳にして、その険しく可愛い顔を、ギョロリとこちらへ向けたのだ。
「お、と、ぎ、ちゃん? なに、その呼び方?」
「あ」
「アタシの名前を忘れてたアンタが、御伽ちゃん、って言った? それって名前だよね?」
「ええ、私の名前は雨木代御伽ちゃんです。忘れられていた貴方とは違って、私は名前を呼んでもらっているのです。しかもちゃん付けされた挙句、小さくて可愛いと感想も頂きました」
御伽ちゃんが、彼女の炎にどんどん燃料を焚べていく。人体において有り得ない事だが、鳴子の髪の毛が徐々に逆立っているような錯覚さえ抱いた。
「へ、へえ──そうなんだあ」
「な、鳴子。違う、違うんだ」
「いいえ全部事実ですよ。否定出来る材料が先輩にありますか?」
この少女は一体何がしたいんだ。
「御伽ちゃんやめてくれ。このままだと鳴子に蹴られるのは俺だ」
「それも良いじゃないですか。ヒロインの数と系統は色んな数を用意した方が楽しいですよ?」
「……勘弁してくれ」
「お、主人公っぽい」
訳分からん言葉を並べる御伽ちゃんに、焦りを募らせる。
「……本当に邪魔な奴」
そう言って間に割って入ったのが──鳴子だった。
文字通り俺と御伽ちゃんの間に割って立ち、背中を見せて。
「なんでも良いけど、とりあえずアンタは邪魔だからさ。どっか消えてよ」
「鳴子……」
「歳平は後で色々聞かせてもらうから」
「はい、すいません」
鳴子は、言ってしまえば初見ではギャルである。そして御伽ちゃんは、恐らく目立たないタイプの、それも下級生だ。彼女の凄みで怯むかと思った、動揺してしまうのではないかと危惧した。
しかし俺の予想に反し──御伽ちゃんは退くどころか寧ろ前進する。
「その人は、私の先輩なんです──返して貰わなきゃ困るんですよ」
「そして私の幼馴染み──返品は受け付けないよ、ギャル子ちゃん」
「ん?」
そんな中で何が最も予想に反していたか、それは
「って、まくり……なんでお前まで」
教室への侵入者その2。姫沼まくりの存在だった。いつから話を聞いていたのか、ずっと室外で待機していたのか、タイミングよく収拾が付かなくなりそうな、そんな時に彼女は扉を開けて入って来た。
「恋患いは治ったみたいだね。二人とも」
優雅にも微笑みを浮かべて、ゆったりと這い寄る彼女。
「ま、く、り? 何その呼び方?」
「いやそれはもう良いから」
「そ、私の名前は姫沼まくり。トシくんとは幼馴染みをやらせてもらってるの」
ああ……ダメだ。
「トシくん、だって? アンタ……友達いないわりには、随分と女の子の知り合いが多いみたいじゃん? それも名前呼びとか、あだ名呼びとかもう──本当に、どうしてくれようか」
「落ち着け。まくりは知り合いとかそういうんじゃない」
「だったら何?」
「まくりは──そう、お姉ちゃんだ」
お姉ちゃんにしたいランキング、実の姉を抑えて堂々の第一位なのだ。
「違うけど?」
本人は即座に否定するが、これっばかりは俺の主観なのでどうしようもない。
「違うみたいだけど?」
鳴子の目からはもうビームが出てるんじゃないかぐらい鋭い。多分思春期の男子が女子の胸を見つめている時、こんな感じなんじゃないかな、という感じのやつだ。
「私は妹でも良いですか?」
御伽ちゃんに関してはもう知らん。
「とにかく!! もう──帰ろう」
俺は収拾の付かない現場を無理矢理拾い上げるように、大声で一纏めに括る。
鐘が──鳴っているからだ。
楽しい時間はもう終わりだ。それがこんな日なら、尚更のこと。
19時のチャイム。それが鳴れば、学生は帰らなければならない。オチがなかろうと、山場が無かろうと、見せ場がまだ来ていなくても、どうしても帰らなければならない。
それが決まりだ、それが規則だ。守ってこそ、守られてこそ、俺達は枠の中で青春を謳歌出来る。
だからだろう。
あれだけ騒ぎ立てていた彼女達も、自然と口を閉ざした。沈黙して帰る準備を始めたのだ。
そしてきっと、帰り道はまた騒がしくなるのだろう。道が分かれて、それぞれが家路に着くまで、きっとまた俺は責め立てられるんだろう。そのことを考えると──無意識に笑みが溢れた。
本音を言えば、鳴子ともっと触れ合っていたかった。だってそれっぽいことが出来たのは、ほんの短い間だったから。だけどもそれで良いのかもしれない。
これから先、色んな思い出を作れるのだから。今日くらいは良い。
夜景、公園、お祭り、映画、海、プール、クリスマスとかバレンタインとか、そんなイベントに一喜一憂する日々が来るのだろう。それで充分だ。それだけの期待を持つことが、許されたんだから。
例えば今日の夜も夜通しで電話やメールを──電話やメール……連絡先、
「あ」
俺──鳴子の連絡先、消しちまった。
ぼっちな俺は放課後、転校生ギャルのとんでもねえ秘密を知ってしまった 咲井ひろ @sakui
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます