最終話 武装放棄
意識がぼやけてる。いや微睡んでる。それに腰とか体の節々が痛い。
「ん……」
「ねえ、ねえってば。ちょっと」
はっきりとは分からないけど、どうにも誰かに体を揺すられているようだ。それで起きたのだろう。
ん? 起きた?
肩を叩かれ、体を揺さぶられて、俺は目を覚ました。
「やば」
覚ましたということは起きたということ。つまり俺は眠っていた。慌てて目を擦り周囲を確認すると、既に教室は夕焼け小焼けに染まっていた。あんな手紙を出しておいて、放課後に呼び出しておいて、俺は──寝ていた。徹夜明けだったからとかそんな理由じゃ釈明の余地がないくらいに、完全に寝過ごしてまったのだ。
「これ、書いたのって……アンタ?」
若干の苦笑いを含んだ声が、背後から聞こえる。
「……そうだ」
「呼んでおいて寝てるって、どんな神経してんの?」
「ごめん」
振り返って、そこに居た彼女を見て安堵した。俺が懸命に書いた手紙を掲げて苦笑いをする彼女を見て、どうしようもないほど、胸が締め付けられた。
彼女が──陽衣鳴子がそこに居てくれて、起こしてくれて本当に良かったと。
鳴子は少し視線を外しながら、頬を掻いて尋ねる。
「それで……何の用事?」
十中八九検討が付いているであろう、そんなことを尋ねたのだ。高校生の男子が放課後に女子を呼び出す理由なんて、決闘か告白くらいのものだろうと、聡い彼女なら分かっている筈。
それでも彼女が尋ねたのは、本心では思っているからだろう。接点もそれどころか話した事さえ無い自分に、何故告白をするのか。彼女が尋ねたのは内容ではなく、その理由についてだ。そう疑問に思っても仕方がない。
鳴子は──忘れているから。
俺との日々の何もかもを綺麗さっぱり忘れてしまっているから。都合が良いように塗り替えられて、都合が悪いように塗り潰されてしまっているのだから。
「告白したい。だからお前を呼んだ」
そう、今から俺は告白する。と言ってもそれは俺の気持ちを告白するわけじゃない。
「いやどんな前置きよそれ」
「何の用事かと聞かれたから」
「もしかしなくてもアンタって馬鹿? つーかアタシら別に話したこととか無いよね?」
「……ああ、そうだな」
「だったらなんで?」
確かにちょっと突飛な前置きだったが、今から告白するというのに、彼女はまず関係性を否定し、告白の回答をするよりも前に、まず理由を聞く。首を傾げて媚びることなく、毅然として聞いて来た。
記憶を失っているくせに、彼女はやはり彼女のままだった。
俺の好きな──鳴子のままだったのだ。
「てかさっきから胸ばっか見てない?」
「ごめん」
「いやそんな素直に謝られてもムカつくんだけど」
「俺の名前を知っているか?」
「知らないけど、それがなに? おちょくってんのアンタ」
「俺の名前は屋平歳平だ」
「だーかーら、何がしたいのアンタは」
記憶を少しでも刺激出来ればと考えて、出会った日の言動と行動をなぞってみる。決して胸を見たかったわけじゃない。これは必要なことなんだ。そうなんだよ。
鳴子は案の定、呆れて、苛立って、溜息を吐き出した。
「本当に告白する気ある? つーか表情筋ゼロ過ぎん? よく言われるっしょ」
「ごめん……ちょっと緊張してて……くっ」
「いや芝居下手過ぎ」
渾身の大根演技だったのだが、どうやらお気に召さなかったようだ。
ならばプランAを実行しよう。
「好きです付き合って下さい」
「ごめんなさい」
「えー」
「逆になんで今いけると思ったのか、アタシは不思議でしょうがないよ」
「お友達からでも」
「まあそれなら……いや、やっぱなし。彼氏とか今は作る気ないから」
「どうしてもか?」
「どうしても」
「じゃあ彼ピッピでも良いぞ」
「しつこい。しつこい男は嫌い」
どうやら嫌われてしまったらしい。
「じゃあ……悪いけど、アタシもう帰るから」
鳴子は何とも言えない微妙な表情を向けると、そう告げて去って行こうとする。プランAは失敗した。普通に仲良くなって関係性を再構築するという、一般的で普通の計画。銃も化け物も存在する余地がない完璧な日常。
「待て」
それが失敗した今、俺に出来ることはあまり多くない。
「……なんで?」
「どうしてもだ」
「……だから、しつこい男は嫌いだって」
きっぱりとした、思い切り良い迷惑顔。本当にもう面倒臭いのだと、そう表情がはっきりと告げていた。
今だけで良い、もうこれ以上は何も期待しないから、今だけ──今が必要な時なのだと、思いを込めて手を伸ばす。
そして俺は、その可愛らしい顔に──銃を向けた。
「……なんの真似?」
当然、鳴子は怪訝さを露わにしていた。きっと、彼女の瞳には銃口など写っていないのだから当然。
プランAとは言ったが、他のプランなどない。ここから先には何も期待していない。何もかもが自分次第のノープラン。自分本位の自分中心のエゴイスティックな、筋書きの無い計画。見えている結末などありはしない。
「お前は俺が好きだ」
自分勝手に彼女の思いを、知ったように口にする。そんな歪んでしまった可笑しな、他人の気持ちの告白から始める、完全なる蛇足だ。
現代では失われてしまっているであろう、紙媒体での恋文。そんなものを書き殴っている際、俺はずっと考えていた。クラヤミとは何か、銃とは何か、何故俺に見えたのか。そんな答えが出そうにも無い事に、延々頭を悩ませていたのだ。鳴子の行動や言動や、思い出を振り返って、何の役に立つかも分からぬまま、考えて、偶然にも答えを出した。
鳴子は取り憑かれる寸前、銃を取り出そうとした。
しかし手にすること叶わず、抵抗する間もなく彼女は取り憑かれた。不眠で撃ち殺し回り、逃げ惑っていた彼女が──逃げることなく、助けてと叫ぶことなく──受け入れたのだ。
だから、恐らく、銃とは彼女の抵抗の証だったのだろう。理解出来ぬもの、恐ろしいものから身を守る為の、拒絶の意思だったのだろう。最後に彼女はそれを失った──つまり、受け入れた。
だとすれば、鳴子が受け入れたものは何か。
それは──自分の思いだ。恋とか愛とか嫌悪していたそのもの。最後に彼女はその思いを信じた。だからこそ、拒絶の証たる銃を手にする事が出来なかったのだと。
クラヤミとは──彼女が見ていた化け物とは、つまりそんなものだったんだ。
「……鳴子。ごめん、やっぱり全部──俺のせいだったよ」
恋、愛、思い。
それは誰かに受け入れてもらって、初めて成就するもの。形になるものだ。
俺が銃を手にしたのは、臆病だったからだ。あれが思いだと気が付かずに、ただ恐怖してしまったからだ。救う為、守る為だと自分に言い聞かせて、彼女の歪んでしまった恋心を目の当たりにして、恐れてしまったから。好きだ何だと言って、いざその時が来たら、俺は我が身可愛さに逃げ出していた。
俺に化け物が見えてしまったのは、それが俺に向けられたものだったから。俺へと、受け入れて欲しいと、だから俺に見えたのだ。彼女の──思いが。
今、こうして彼女が取り憑かれてしまっているのも、全部俺のせい。
「だから……」
鳴子だったクラヤミ──いや、これが、これこそが彼女の思いそのもの。それを目の当たりにして、自分の答えに確信を持つ。
真っ直ぐに頭部へと銃を向けると、撃ち殺して欲しいと嘆くように、試すように、化け物は動かない。黒く沈んでしまった、ドロドロの液体、体を曲げ、首を直角に拗らせ、ゆらゆらと、ただ──その場に立ち尽くしている。
「これで最後にするよ」
伸ばしていた手を下げると、掌がフッと軽くなった。もう必要無くなったのだからと、忽然と軽くなった両手を広げて、迎え入れる。温度など無く、初めから何もそこに存在していないように、まるで存在感のないそんな感触を受け入れて、包んでいく。
思えば簡単なことだったんだ。
受け入れるだけで、拒まないだけで、もう済んでいた話だったんだ。それだけで充分、俺達は完成していた。
劇的じゃなくて良い、ロマンチックじゃなくて良い。山場も見せ場も無いような日常で充分だ。
「ごめんっ……ごめんっ……」
「……ホントに、アンタってバカ」
この暖かささえあれば、他に何も期待しない。
彼女は腕の中で小さく笑い、俺は顔を見られぬように静かに、涙を流した。
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