夏の始まり、世界の終わり

虎渓理紗

夏の始まり、世界の終わり

「本当だったら来週からオリンピックだったんだ」

 と、窓の外を見ながら彼が言った。

「何を言ってるんだ」

 期末試験を控える七月中ほど。先生は自習を生徒に言い渡し、さっさと職員室に戻る。ジーワジーワと外からはセミの泣き声が聞こえる。前の授業はプールだったからほんのり塩素の匂いも立ち込めている。残された生徒は真面目に自習をしているものもいれば、そんなことお構いなしに遊び呆ける生徒もいる。

 彼らの騒ぐ声が聞こえ始めた。彼らのテンションは普段よりも高い。

 なぜならば。

「オリンピックは来週からだろ」

 今日は二〇二〇年七月十七日。

 世界中が浮かれまくるスポーツの祭典まであと一週間。

「オリンピックは来週の二十四日からだ」

「……この世界ではな」

「なにを、まるで並行世界にでも行ってきたみたいだな。なんだ? 中二病? ハッハッ、俺ら高三だぜ? 来年は大学受験だろ」

「その大学受験も危うい状況になっているのにな」

 彼の目は重く歪んでいた。

 疲れ果てた老人のような振る舞いに俺は動揺する。

「お前、さっきから変だぞ?」

「不思議だよな。去年までは待ちわびていたオリンピックだってのに、延期どころか開催も危ぶまれていて、去年までは受験に向けて勉強しなくちゃなんて考えてたのに、受験どころか学校も通えなくなってさ、誰が予想できたんだろ」

「なんの話をしているんだ」

 彼は、いや、そいつは、……。

 本当に俺のクラスメイトだったろうか。

「でも、良いんだ、やっと正常に戻った。オリンピックが開催される二〇二〇年の夏。世界中の誰もが信じて疑わなかったっていうのに、訪れることがなかった奇跡の年がようやく訪れた」

 そいつの目はくすんでいた。

 まるで何度も何度も果てのない絶望を味わったかのように。

「……でも、未練が一つだけある」

 その時、チャイムの音がなった。その瞬間、静寂の時間が生まれる。

「俺は、あのウイルスをなかったことにできなかったんだ。あれは存在する。きっと。だから、オリンピックを開催することはできても……」



「世界が滅びることは変えられないんだ」




 終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏の始まり、世界の終わり 虎渓理紗 @risakuro_9608

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ