雨の片隅で会えたなら。

終ノ刹那

雨の片隅で会えたなら。

 元号が令和になっても、ぼくは雨の日限定でDSをカバンのなかに入れている。任天堂が二〇〇四年に発売した携帯ゲーム機のDSを、今も持ち歩いている人がどれくらいいるだろう。

 話は十年前までさかのぼる。あれは、ぼくが小学生だったときの話だ。

 ぼくにはましろという女の子の友達がいた。あの時期は彼女とよく一緒に遊んでいたのを憶えている。

 ましろは自分のルールを持っていた。晴れの日は公園で遊ぶというルールを。

 雨の日はぼくの好きなゲームを一緒にやってくれるのだけど、青空が広がってる日の放課後に「今日はゲームがやりたい」と言っても、彼女はぼくの提案を受け入れてくれない。そのルールに例外はなくて、どうしてそんなにも厳密に守っているのかわからなかった。

 ぼくはその頃からすでに家のなかでゲームをする方が好きなインドア派の人間だった。だから、ましろと遊ぶ日は雨が降ればいいって、ずっと思っていた。

 雨の日に二人で遊ぶときは学校から近いぼくの家に集まる。両親が共働きだったから、家にはぼくたちしかいなかったけど、ましろといるときは静寂がなかった。雨音、DSから鳴り響く戦闘BGM、そしてぼくらの話し声。

 ましろとはダンジョンを攻略するゲームを協力プレイで進めていた。彼女が「最初から最後まで一緒にクリアしようね」と笑いながら言ったとき、ぼくは「わかった」とうなずいた。

 その瞬間、ぼくたちのあいだで、最後まで一緒にこのゲームをクリアするっていうルールが作られたんだ。勝手に破ってしまったら怒るだろうな、と思って、ましろがいないときは別のゲームをやっていたけど、ほんとうは続きをプレイしたかった。晴れた空や星がくっきりと見える夜空を見てはそう思ったものだ。

 雨の日を重ねていって、ようやく最後のボスの前までダンジョンを進めることができた。でもその日はもうましろが帰らなくちゃいけない時間になっていて、あともう一日あれば、ゲームをクリアすることができるはずだったんだ。

「わたし、言わなきゃいけないことがある」

 あの日のましろは不自然だった。笑顔を浮かべていた数秒後には悲しげな目でゲーム画面を見る。かと思ったら急に元気に声を張り上げて、明るく振る舞う。きっと、もっと前から不自然なところはあったんだろう。ぼくが見逃していただけで。幼いぼくにはささいな違いがわからなかったんだ。

「わたしね、転校するんだ」

 ぼくは辞書を引くような丁寧さでその言葉の意味を噛み砕いた。そうしないと自分のなかで受け入れられないほど、衝撃的な告白だったから。

 ましろが転校する。つまり、学校から、この街からいなくなるということ。

「いつ」ぼくは詳細をたずねるためにおそるおそる口を開いた。「いつ、転校するの?」

「一週間後。ごめん。ほんとはもっと前から決まってた。なかなか言えなかったの。一緒に遊ぶの、楽しかったから」

「……ゲームは? まだ、クリアしてないよ」

 あのとき、なんて言うのが正しかったのか、今でもわからない。でも、ゲームのことをまっさきにたずねるのは正しくなかったと思う。

「この一週間のあいだに、雨が降ったらやろう?」とましろはルールに沿った発言をした。ぼくにはそれが、我慢できなかった。

「明日でもいいでしょ? 晴れの日に一緒にゲームしたっていいじゃん」

「ダメ。お父さんと、決めたことだから」

「でも、雨が降らなかったら一緒にクリアできないんだよ?」

「守るよ」ましろは力強く、少女独特の高い声で言った。「わたし、決めたことはぜったいに守る」

 納得はできなかったけど、ぼくは彼女の意志の強さに負けて、うなずくことしかできなかった。



 転校を告げられた次の日からましろとはほとんど会話をしなかった。したとしてもどこかぎこちなくて、いつものようにいかなかったことを憶えている。

 学校が終わったあと、ましろが他の子と公園で遊んでいたのは知っていたけど混ざる気になれなかった。もし雨が降ったらそのときは声をかけようと決めていた。

 けれど雨は、一度も、降らなかった。そんなふうにしてあっという間に一週間が過ぎていったんだ。

 ましろがぼくの通っていた小学校に登校する最後の日、放課後になるまでぼくは彼女に話しかけにいけなかった。「またね」とか「ありがとう」とか、なんでもいい。最後になにか言いたかったけど、ましろの周りには別れを悲しむ女友達がずっといて、近づけなかった。

 ならせめてと思って、ぼくはノートのページをハサミで切って、そこにお世辞にもきれいとはいえない字で手紙を書いた。ゲームのことは触れないよう意識して。

 その手紙をましろの使っているげた箱に入れて、帰ろうと思ったそのときだ。うしろから走って近づいてくる足音がした。振り返ると、ましろだった。

「待ってよ!」立ち止まった彼女の呼吸は、全速力で走ってきたからか乱れていた。「どうして話しかけてくれないの?」

「ごめん。周りにましろの友達がいたから」

「渡したいもの、あったのに」

「渡したいもの?」

「これ」

 ましろはポケットから桜の花びらがプリントされた、薄桃色の便箋を取り出した。それをゆっくりとぼくに向かって差し出す。

「手紙、あとでぜったい読んでね!」

 ぼくはその手紙を受け取り、ましろの顔を見た。今でもその表情は、忘れていない。別れのさびしさはまったく感じさせない、晴々とした笑顔。

「また遊ぼうね。約束だからね!」

 たいしてぼくは、今さらこの一週間をもっと大事にすればよかったと思って、さびしさがこみあげてきたんだ。だから、ぼくの声は震えていたはずだ。

「うん。約束」

 それがぼくたちの交わした最後の言葉だった。


 この手紙は、ごめんなさいとありがとうがしたくて書いてる!

 まずね、わたしのわがままで遊ぶばしょ決めてごめんなさい。

 ずっと前に事故でしんじゃったお父さんとのやくそくなんだ! 

 晴れの日は公園で遊ぶのがやくそくです。

 わたしと遊んでくれてありがとう!

 これからは晴れの日もたくさんゲームしてね!

 こんど会ったときにDSのボス倒そうね!

 約束だよ!


 !が多くて、どこか違和感があるけど、子どもらしいまっすぐな文章が手紙に書かれていた。ぼくはそれを読んで、ましろの自分ルールの真実を知った。

 晴れの日は公園で遊ぶ。それはルールじゃなくてお父さんとの約束だったんだ。

 だからぼくは今でもましろとの約束を守るため、雨の日にはDSを持ち歩いている。次に会ったとき、最後のボスを倒すために。彼女がもう忘れていたとしても、ぼくが忘れるその日まで、この習慣は続けるつもりだ。



 そして七月のある雨の降った朝、ぼくは駅のホームで電車が来るのを待っている。ぼくの隣に偶然、DSを持った女の子が並ぶ。DSの画面には十年前にましろと一緒にプレイしていたあのダンジョンを攻略するゲームが映っている。

 雨に濡れた街の片隅で、ぼくはその女の子に声をかけた。


                                    <了>

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