呪い花の王国

 ある時、魔女の力を求め、怒りを買った国があった。



 魔女の力を借りようとしたある国の国王は、魔女の森に使者をやった。しかし、力を貸すことを拒んだ魔女は使者を送り返した。それが三度も続いたある日、王は使者ではなく兵隊を送った。

 甲冑の軋むような金属音と共に、苔むした大地には深く足跡が刻まれる。木々の間を縫うようにして、細くうねりながら伸びる道を二列に並んで兵隊は歩く。しかし、一向に彼らは魔女の屋敷にたどり着けなかった。

 道を間違えてしまったのだろうか? 訝しんでいた彼らの前に、一羽のフクロウが現れた。

「おや、兵隊さん。君たちはいったい、どこに行くのかね?」

 喋る獣や鳥は魔女の従者。兵隊の隊長はそれを知っていたので「魔女の屋敷だ。魔女の屋敷へはどう行けばいい」とフクロウに尋ねた。それを聞いたフクロウは、一声ホーゥと鳴き、

「君たちはそんな金属臭い体で、ご主人のところに行くのかい。駄目だね、今日は一日森にいるんだ。そしたら君たち、きっと土と草木の良い匂いになるだろうね」

 そう言って翼を羽ばたかせると、森の暗がりの奥へ飛んでいってしまった。兵たちは怒ってフクロウを追いかけようとしたが、何故かあったはずの道が無い。いつの間にか生え茂った草の根が行く手を阻み、道を隠してしまっていた。


 仕方なく、兵隊は道を逸れて森の奥へとまた進み始めた。迷わないよう道に目印となるコインを道に置いて行ったが、道に撒かれたコインは、カラスが啄んで持っていってしまった。


 結局兵隊たちは、丸一日森の中をさまよい、魔女の屋敷にはたどり着けなかった。そして、翌日。草の根で隠された道をようやく見付けて森の中を歩いていた彼らの前に、一羽のカッコウが現れた。

「おや、兵隊さん。あなたたちはどこに行くのかしら?」

 兵隊の隊長は、昨日フクロウに言ったことと同じことを言った。それを聞いたカッコウは、一声カッコーと鳴き、

「あなたたちはそんな物騒な物を持って、ご主人様のところに行くつもりなの? 駄目ね、今日は一日森にいるのよ。そしたらあなたたち、きっと武器を手放してくれるに違いないわ」

 そう言って翼を羽ばたかせると、森の暗がりの奥へ飛んでいってしまった。兵たちは怒ってカッコウを追いかけようとしたが、何故かあったはずの道が無い。いつの間にか張り出した木の枝が、道を塞いでしまっていた。仕方なく、兵隊は木の枝を剣で切って前に進んだ。しかし木の枝は岩のように硬く、幾度か斬りつける内に剣は刃こぼれし、折れてしまった。


 結局兵隊たちは、また丸一日森の中をさまよい、魔女の屋敷にはたどり着けなかった。そして、翌日。硬い木の枝に阻まれながら森の中を歩いていた彼らの前に、一羽のトンビが現れた。

「おや、兵隊さん。あんたがたはどこに行くんだい?」

 兵隊の隊長は、昨日カッコウに言ったことと同じことを言った。それを聞いたトンビは、一声ピーヒョロロと鳴き、

「あんたがたはそんな愚かな考えを持って、ご主人のところに行くつもりか? 駄目だ、今日は一日森にいるんだ。そしたらあんたがた、きっと森に咲く花の美しさに心を奪われて、後はどうでもよくなるはずさ」

 そう言って翼を羽ばたかせると、森の暗がりの奥へ飛んでいってしまった。兵たちは怒ってカッコウを追いかけようとしたが、何故かあったはずの道が無い。木漏れ日に照らされた地面を埋め尽くすように、色とりどりの花が咲いていて、道が無くなっていた。

 それを見た兵隊は、行軍することを止めてしまった。数歩を歩いた者もいたが、その度に、足の下で潰れてひしゃげる花がたまらなく哀れに思えてすぐに歩けなくなってしまった。甲冑は泥と葉にまみれ、剣は折れている。もはや進む気力もほとんど尽きて、兵たちはその場に腰を下ろしてゆっくりと休んだ。


 その夜。見張りも立てずに全員寝入ってしまった兵たちは夢を見た。花の香りに包まれて目を開けると、木の葉の間から満点の星空が見えている。その星空をさえぎり、黒い影が差した。黒々とした長い影をまとったその人は、黒い外套を羽根のようになびかせていた。

「おや、こんなところに兵隊が寝ているじゃあないか。お前たち、朝日が昇ったら大人しく国に帰るんだよ。誰が来ても私の答えは同じさね……」

 そう言った言葉は、夢の空気に溶けてゆき、やがて眠りの淵へと消えてしまった。


 目を覚ました兵たちは、一斉に顔を青ざめさせた。夢に出てきたのは魔女に違いない。その魔女が国に戻れと言い伝えた。従わなければどうなるか分かったものではない。国王の命令に背けば罰せられるだろうが、魔女に魔法や呪いをかけられるよりかはよっぽどいい、と泡を食って森から出ていった。


 さて、森から逃げ帰った兵たちを迎えた国王は、魔女の力を借りられなかったと知ってかんかんに怒り、兵たちをみんな牢に放り込んだ。そして、別の者に魔女の森へと向かうようにと命令した。しかし命令を受けた者たちはみな行くのを拒んだ。三度のみならず四度も王の頼みを断った魔女の下へと赴けば、王に罰を受けるよりも酷いことになるに違いない。そう思って、誰も命令を聞かなかった。さらに王は怒り、兵たちの長である将軍の首を斬ってしまうと、改めて一人の兵に魔女の下へ行くよう命じた。

「さあ、お前の命と引き換えにしてでも、あの無礼な魔女を私の前に引っ立てて来い。もしできなければ、今度はお前の首をはねてしまうぞ!」

 可哀想な一人の兵は真っ青に青ざめながら、跪いて「心得ました」と震える声で言った。


 かくして一人の兵が魔女の屋敷へと旅立った。野を越え、山に入り、深い森の入り口へとたどり着いた。すると、森の入り口にある木の枝に、一羽のカラスが止まって、兵に声をかけた。

「おや、兵隊さん。たった一人で森に入るおつもりかい?」

 そう尋ねられ、兵士はこれまでのいきさつを全て正直に喋った。するとカラスは一声カァと鳴き、

「なるほど、なるほど。可哀想な兵隊さん。だったら道を選ぶがいいさ。このままご主人様の屋敷に来るか、もしくは背を向け、元来た道を戻ってお帰り。選ぶ前にひとつだけ、教えておいてあげるけど。このまま来れば死にやしない。ここから戻れば、国と一緒に呪い死に。どうするかはご自由に」

 そう言って翼を羽ばたかせると、森の暗がりの奥へ飛んでいってしまった。兵士は呆然としていたが、しばらくすると、意を決して森の中へと入っていった。

 国と一緒に呪い死に……その言葉の意味は分からずとも、死ぬことはとても恐ろしかった。どちらにしろ、魔女に会わないまま国に帰って王の前に出れば、首をはねられて死んでしまう。それだけは嫌だったので、意を決して兵士は森の中へと入って行った。


 ひとりぼっちの兵士を迎えるように、森の木々は道を空け、大地の苔は薄く光って道を照らした。一日と経たず森を抜けてしまうと、兵士の目の前に、端が見えないほど広い屋敷が現れた。兵士は立ち止まったつもりだったが、屋敷の扉が開くと勝手に足が動き、その中へと足を踏み入れてしまっていた。

 足が動くままに歩いていると、やがて兵士は一つの部屋に招かれるように入って行った。部屋の中には黒檀のテーブルや、黒い牛皮のソファがあり、暖炉の火がぱちぱちと音を立てている。部屋の四隅に置かれた燭台からは、橙色の光が投げかけられていた。そして、ソファには一人の黒い外套を羽織った女が座っていた。黒い髪を長く伸ばした美しい女だった。

「ようこそ、私の屋敷に。さあこっちにおいで。温かな紅茶を淹れてあげよう」

 魔女が指し示したソファに、兵士は腰を下ろした。部屋に入った途端、それまで感じていた恐れや不安は無くなり、代わりに夢を見るような柔らかな幸福が自然と胸に浮かんでいた。

「お前、自分の国がどうなったのか気になるかい」

 兵士は首を傾げた。呪いのことなどすっかり頭から抜けてしまって、国がどうなっているのかなど、どうでもよくなっていた。首を横に振れば、魔女は喉を鳴らして笑って「そうかい、そうかい」と頷いた。

「夢はいつか覚めるものさね。覚めない夢とて、夢の中で現を夢見ることもあるだろう。お前、私の従者におなり。そうすれば、夢から夢へと歩けるようになるだろう。ここにいながら国へ帰ることだってできるもんさ……」


 こうして兵は魔女の従者となった。魔女の屋敷には、失敗に怒って怒鳴り、首をはねるような王もおらず、とても平穏だった。屋敷で過ごすうち、起きてすぐのぼんやりとした時間のような心地に兵士はなってきた。夢と現の境にいるような気分で、その中で、少しだけ国のことが気になるようになっていた。


「ご主人様。私の国はどうなってしまったのでしょう」


 ある日、魔女の従者となった兵士はそう尋ねた。すると魔女は笑って答えた。

「いま、お前の国は私の呪いにかかっているよ。強い強い呪いさね……」

 その言葉は、たとえ夢現の心地でも恐ろしく感じ、兵士は震え上がって「その呪いとは、何なのでしょうか?」と尋ねた。魔女はまだ笑ったまま答えた。

「それはね、病を喰って花を咲かせる呪いなのさ。お前の国の人間は病を得ると、それを呪いが喰っちまう。けれど病を喰うとその分、体の中で花が育っていくのさ……今頃はもう、あの国には小さな森ができてるころさね」

「呪いを解くことはできないのでしょうか?」

「解けはしないが、逃げることはできるものさね……森から、花から、遠く遠く……逃げて離れて、拒絶することさね。その花が愛した人でも、その森が恋しい故郷でもね。……もしくは信じることさ。自分は絶対に、病に罹らないと……病食いの森は、病まぬ者を追いかけたりはしないのさ……」

「どうしてそんなことを?」

 兵士は問いかけた。魔女はその問いにもまた、笑って答えた。

「お前の国の王様は、自分の望むものを得ることが当たり前だと思っていた。それがどうにも気に入らなかったのさ。生きていれば沢山のものを得られる。望むにしろ望まざるにしろ……そして得られるものとは、ほとんどが誰かに与えられるものなんだよ。お前の剣は刀鍛冶が鍛え、刀鍛冶は鉱夫から鉄を貰い受け、鉱夫はつるはしをまた誰かから買って山を掘り……けれど王様はそれを忘れちまった。どうにかすれば、私の魔法が自分のものになると思ったんだ。与えられなければ、得られないものだというのにね……」

 兵士はそう言われ、魔女の心をようやく悟った。金銀財宝や名誉や地位。そして兵隊たち……魔女はどれも求めていなかったのに、それを得る代わりにと王は魔法を求めたのだ。そして王の国には呪いが与えられた。王は魔法を得る代わりに、魔女の呪いを得たのだった。



 かくしてある王国には森ができ、やがてそこには一人の魔女が移り住んだ。

 魔女の夢で訪れた故郷が花咲く森になってしまったことを嘆きながら、その魔女はいつまでも、かつての王城とそこに咲く花を護っているという。

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魔女の一頁 羽生零 @Fanu0_SJ

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