光の言葉の魔女
魔女の森の全ては魔女のもの。そこに人の法は無く、生きるも死ぬも魔女次第。
――だからこそ、魔女の森に入る者は、失うことを恐れない勇者か、失うものを持たざる貧者ばかりである。
しかしその日、ある魔女の下を訪れたのは身なりの良い一人の男だった。
灰色の背広を着て、髪を整髪剤できっちり撫でつけたその男は、数人のボディーガードを従えていた。森の中まで籠を引かせてきたのだろう、服にも靴にも汚れ一つついていない。
「お前が光の言葉の魔女か?」
その男は、呼び鈴を聞いて玄関先まで出てきた魔女に向かってそう尋ねた。男の背後には、彫像のように黒い背広を着た男たちが並んでいる。それが見えているのかいないのか、魔女はぼんやりとした視線のまま、無言で頷いた。
「光の言葉の魔女に何用か?」
そう尋ね返したのは、魔女の華奢な肩に乗った一羽の白いオウムだった。自ら語ろうとしない魔女に男は少し鼻白んだ様子を見せたものの、魔女を怒らせれば、いくら地位や金があろうとも命の保証はできないと分かっているので、大人しく用件を語った。
「お前の魔法をかけられた者の言葉を聞いた者は誰もが釘付けになり、その者が話し終わるまで魅入られると聞く。その魔法を俺にかけてくれ」
「何故、魔女の魔法を欲する?」
男は今度こそ、不快感をはっきりと顔に出した。しかし魔女は軽く首を傾げ、柔らかな栗色の髪を揺らすばかりで何も言わない。使い魔のオウムだけが回答を急くように「何故、魔女の魔法を欲する?」と再び問う。男はふん、と鼻を鳴らして、
「決まっているだろう、世の中の馬鹿どもに言って聞かせなければならないことがある。俺の言うことをよく聞いて動けば、間違いなく世の中は良くなる。だというのに、俺の話を聞く者は皆、話の途中で席を立つのだ! 俺は真実を語っているというのに……連中は決まって『うるさい』だの『言葉が汚い』などと言う!」
「己を顧みようとは思わないのか?」
「何故俺が自分を顧みなけりゃならんのだ! 俺は単に正しいことを言っているのに、責めているように聞こえたり、悪口を言われているように聞こえる奴らの方が悪いに決まってるだろう。いいか、そんな奴らは何か後ろめたいものがあったり、あるいは俺の言う真実が世に広まると不利益が出るからそんなことを言っているんだ。しかしそんな害悪どもが、話を聞きもしないのに蝿のように俺の周りに集るんだから、まともな神経をした奴が寄り付かないんだ。いや、まともな奴も馬鹿に感化されて馬鹿になってるのさ!」
オウムはあくびを一つした。すると男は激怒して「客に向かって何だ、その態度は!」と声を荒らげた。すると、オウムは先ほどの男がやったように、不機嫌そうにふんと鼻を鳴らした。その音は驚くほど男の出した声とそっくりだった。
「客というのは魔女の家に招き入れられた者を表す。いつお前が客になった?」
「何だと!」
「ここをどこと心得る。ましてお前は懇願して魔女の慈悲を請う側だ。地に膝を衝き、頭を下げて頼むのが筋だろう」
男は怒りに顔を赤くしてオウムと魔女を睨み付けた。魔女は静かに、まるで感情を失ったような透明な瞳で男を見つめる。
不意に男は恐怖を覚えた。
魔女はいままで一言も発していない。そして光の言葉の魔女と言うからには、言葉に作用する魔法を使えるのだろう。もしその口を魔女が開いたら? 言葉一つで人間を呪い、殺すことができるのだとすれば、ここで怒りにまかせてあれこれと言い募ってはならないのではないか?
男の脳裏に、魔女に逆らった愚かな人間たちの末路が過る。領地の森に攻め入り森を焼いたことで、常に全身の細胞が焼け焦げる呪いをかけられた領主。若返りの妙薬を奪おうとして、枯れ木のように老いさらばえたまま不死にさせられた富豪の女。誰もが凄惨な末路をたどっていた。
ここは下手に出るしかない。下手に出て魔法さえ与えられればこっちのものだ。
男は冷静を装いながら、その場に片膝を突いて頭を垂れた。
「お願いします、どうか魔女の魔法を俺に授けてください」
「ふむ――どうする、ヨハンナ」
オウムに問いかけられた光の言葉の魔女ヨハンナは、一歩足を後ろに出した。
「入ってよい。お前の声に合わせ、光の言葉の魔女は薬を調合する。護衛の者たちは外で待たせよ」
「ありがとうございます」
取り繕った礼の言葉にも、ヨハンナはほとんど無反応だった。男が家の敷居をまたぐのに合わせてくるりと踵を返し、部屋の奥へと入っていった。
薬の調合は、十数分ほどで終わった。その間、男は水の一つも出されず、カウンターで半分ほどが仕切られた部屋で待たされた。部屋の隅にある小さな木造の、決して座り心地が良いとは言えない椅子に座った男は、不機嫌極まりなくカウンターの向こうを睨んでいた。
硝子窓で上部が仕切られたカウンターの向こうでは、ヨハンナが薬の調合をしていた。テーブルの上にはフラスコが一つ、中に黒いもやを抱えて鎮座している。この部屋に着くなり渡されたフラスコに、薬を使って伝えるはずの言葉を話すように言われた男が従った結果だった。ヨハンナはフラスコの中に、集められた星屑の如く光る白い粉を振りかけ、珊瑚礁の海のように碧い液体を注いでいく。
そうして出来た薬を、ヨハンナはカウンター越しに男に渡した。申し訳程度の、早口の礼を言った男は、そそくさとそれを持ち去ろうとする。
「待て。対価も払わず去るつもりか」
「なに、対価だって? 金を要求するなら先に言うのが筋なんじゃないのか」
「お前は医者に体を見てもらった後になって、診察にいくらかかるか先に言わなかったじゃないかと言って踏み倒すのか? どれほどの対価が必要になるのか、そこまで気にするのなら聞けばよかったじゃないか」
オウムの言葉に馬鹿にするような嘲笑を感じ取り、男は憎しみすら込めてオウムを睨んだ。しかし、オウムもヨハンナも、特に男の視線には取り合わず、ただ男の行動を待っていた。
やがて男は諦めて、財布を投げるようにカウンターに置いた。
「いくらだ」
つっけんどんに聞く。誰も答えなかった。言葉ではなく行動でヨハンナは示した。それまで薬の調合と移動以外で自発的に動く様子を見せなかったヨハンナは、いきなり男の財布を引っ掴んだ。男が驚いて「おい!」と言うのも聞かず、財布をひっくり返して小銭入れのところを開け、一枚の銅硬貨を取り出す。そして興味を失ったかのように、男の財布をカウンターに投げ出した。
「……それだけでいいのか?」
拍子抜けして男は聞き返した。オウムもヨハンナも答えなかった。オウムは『さっさと帰れ』という風な視線を男に向け、ヨハンナは銅硬貨を初めて見たような素振りで、室内灯に硬貨をかざして眺めている。「失礼な魔女め」と男は呟いて、魔女の家から出て行った。
家に帰ると、男は薬を入れた紙袋を開けた。中には白い粉末剤と、薬の用法を書いた一枚の紙があった。
『光の言葉の妙薬
輝かせたい言葉を発する前に、コップ一杯の水またはお湯でお飲みください。一回分につき、飲み始めから十分程度が経過した後に効果が現れ、約一時間持続します。』
市販薬では無いため、成分については何も書かれていない。男は少し恐れを抱きながらも、その薬を捨てるような真似はしなかった。銅貨一枚で買った薬だ。大した効果が無くとも、文句は付けないでおいてやろう。そう、本当に文句を言わなければならないのは、そのままの言葉を受け止めようともしない人間たちなのだから――。
◆ ◆ ◆
男に薬を調合した翌日、ヨハンナは自分の部屋でテレビを見ていた。ヨハンナの家は外観こそ木造の、古く重厚な、いかにも森の魔女という姿をしていた。廊下や調剤室も外見に違わぬ、埃っぽいような空気を生み出すくすんだ木に囲まれていたが、ヨハンナの私室だけは別だった。
ヨハンナの部屋はまるで町の中の、どこにでもあるような一軒家のような内装をしている。動物を丸ごと一匹使った絨毯も無ければ、見るものの心を掻き乱す絵画があるわけでも無い。白木のフローリングにライムグリーンの壁紙、収納ボックスを三つ並べて作られたテレビ台の上に置かれた、二世代ほど前のあまり薄くない薄型テレビ。ほとんど使われていないインテリア同然の黒電話だけが、魔女の家らしい古さを申し訳程度に醸し出している。
テーブルセットの椅子に座っているヨハンナが見ているのは、昨日この家を訪ねてきた男が出るテレビ番組だった。ヨハンナは男のことを知っていた。一週間に一度、この討論番組によく出てくる。しかし、今日は生放送らしい。まず初めに挨拶から入り、討論の議題となるVTRが流された。そして専門家や、いわゆるご意見番と言われている芸能人が口を開き始める。口々に何かを言おうとする彼らを司会はコントロールしながら、ついに昨日の男に話を振った。
『分かりました、分かりました。では一旦話を戻しまして――はい、エーサン代表にお話を伺いましょうか』
満を持して、というような表情で、男は軽く胸を反らし、口を開いた。そして語り始める。
『 』
ヒュ~……パン! ドパパパパパ!
男が数語の言葉を発した途端、何かが爆発するような音が鳴り響いた。と同時に、男の口元から四方八方に向けて光の筋が放射され、かと思うとその光は弾けてさらに色取り取りの光を方々に放った。一見すると花火のようにしか見えないその光と音に、スタジオ内の空気が凍り付く。
「――――」
それを見て、ヨハンナは笑った。
すると、その口元からふわりと、蛍の光のような緑色の光の玉が浮かび上がった。ヨハンナがくすくすと笑い続けるので、彼女の周りには蛍火が幾つも漂った。
対照的に、画面の向こうでは、薬の効果に気付いて怒り狂った男が何か言葉を発しているのだろう。その大きく開かれた口から光が弾丸のように放たれては炸裂している。しかし、男の言葉は聞こえない。それもそのはず、言葉は全て光に変わっているのだから。
『え~……あっ、し、CM入りまーす!』
唖然としていた司会が慌ててそう言ったところで、ついにヨハンナは声を上げて笑い始めた。椅子の上で腹を抱えて笑うヨハンナの口から光があふれる。妖精のように燐光を振りまきながら揺らめく光の玉が幾つも生まれ、かと思えば泡のように揺らめく水色の光が、笑いすぎて切れ切れになった息と共に吐き出される。一つ咳をすれば、それは黄色く弾けてぱちぱちと瞬いた。
部屋中にヨハンナの光の言葉があふれていく。身の置き場も無くなるほどだったので、ヨハンナの白オウムは鬱陶しそうに、側に漂ってきたその光を翼ではたき落とした。
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