琥珀の森の宝石工房

 ――琥珀の森に住む魔女は、宝石の魔女。

 触れられた者みな、皮膚も臓器も、きらめきながら砕け散る――。


「けれど、どんなに汚い体でも、綺麗にしてくれる……それはそれは素敵な魔女だって――」


 わたし、そう聞いてきたんです。そう言った少女は、体のあちこちに擦り傷や切り傷ができていた。琥珀の森の草葉は硬い。準備も無しに踏み込めば、立ち所に薄く硬い硝子の葉に皮膚が裂け、琥珀の枝に体を打ち付けて痣を作ってしまう。少女はどうやらその身一つで来たらしかった。

「それで、そんな話を聞いて、何の用でここに来たの」

 つっけんどんな言葉で応じたのは、琥珀の森の魔女ラピーダだった。ラピーダは翡翠でできたソファの、柔らかなクッションの上に座って、工房を訪れた小さな客人を、横柄な態度で出迎えていた。客人は一人の少女だった。傷だらけの全身は、森を抜けてここまでたどり着けたのが不思議なぐらい華奢で、病的なほどに蒼白く、傷口に滲む血の赤が酷く目立って見えていた。磨り硝子のテーブル越しに立っている少女はすぅ、と軽く息を吸い込むと、意を決したように口を開いた。

「わ、わたしを宝石にして欲しいんです」

「……はあ、まあそうでしょうよ。この工房に来る人間は売るか買うかだし、買えるほどの金があるようにも見えないし。

 それで、念のために聞いておくけど。売るからにはお金を渡さないといけないんだけど、お金を遺したい相手はいるの?」

 少女は首を横に振った。ラピーダは面倒くさそうに溜め息を吐いた。親や保護者がいないならいい。けれど、家出した上での自殺の幇助なんてものは割に合わないのだ。前にそれをやって、遺族に散々に詰め寄られた。そこまで大事なら、ただ美しいだけの宝石より価値があると示して愛してやれば良かったものを――そんなことを回想しても、いま目の前にいる少女には関係の無い話だった。

「あの、わたしお金いりません」

「そういうわけにも、いかないんだけど」

「ただ、わたしの体を買いに来る人がいたら、タダであげてください」

 余計に嫌だ。ラピーダは心底そう思った。そんなことを言う、ということは、この少女は自分を『買いに来る人』がいると確信しているのだ。その人間に何を言われたものか。罵倒されるのも、喜び勇んで少女の宝石を持ち帰られるのも嫌だった。関わり合いになるとろくなことにならないだろう。

「……念のために聞くけど、どうして売りたいの。わざわざ宝石になるだけの理由があるの?」

「わたし、もうすぐ死んじゃうんです。骨の中がダメになってるって。でも、琥珀の森の魔女さんなら、そんな『ダメになった体』も綺麗にしてくれるって」

「誰から聞いたの、そんなこと」

 少しきつい口調で聞いても、少女は答えなかった。ああ、きっとろくでもないことになる。確信はいや増しに増していき、ラピーダは再び溜め息を吐いた。

「魔女さんの魔法で宝石にしてもらうと、ダメになったところが一番綺麗になるんだって……だからきっと、わたしのダメな骨は凄く綺麗になると思うんです」

「でしょうね。そこは否定しないよ」

 より深く病んだところが宝石になると、それはそれは美しい宝石になる。酒にやられた肝は大粒の石榴石ガーネットのように、煙草で穢れた肺は磨かれた黒曜石のように。濁った血の溜まる心臓は鳩の血よりも深く赤い紅玉ルビーのように、そして病みに病んで狂った脳は複雑な光彩を放つ蛋白石オパールのようになるのだ。だから、少女の骨髄はきっと、水晶に閉じ込められた珊瑚のようになるだろう。

「綺麗になる保証はするけどさ。それを君は見られないし、もし親や友達がいたら、宝石になった君を見て凄く悲しむと思うんだけど?」

 そしてひとしきり悲しんだ後、当たり散らすのだ、こっちに。だから嫌なんだけど、とまでラピーダは言わなかった。どうせ浴びるほど浴びた罵声と憎悪だ。雨の日に傘を差さずに出歩いて、水のコートを纏う時間が一分かそこら増えたところで不快感に大した違いは無いだろう。ただ、少女が本当に決意しているかどうか。それだけがラピーダの気にかけることだった。

「……お願いします」

 少女はそう言って、頭を下げた。ラピーダは本日三度目の溜め息を吐いた。



 ――琥珀の森に住む魔女は、宝石の魔女。

 触れられた者みな、皮膚も臓器も、煌めきながら砕け散る。

 水晶の骨、珊瑚の髄液、紅玉の心臓。

 真珠の歯、貝殻の爪、金糸の髪。

 月長石の瞳。蛋白石の脳。

 硬く硬く、冷たく冷たく。

 体中が輝き煌めき、粉々に砕け散る――



 そうして少女は魔女の手で、一人の生きた人間から、ただの宝石になった。



   ◆ ◆ ◆



 魔女ラピーダは、宝石になった人間に値段を付ける。生前の名前が付けられた値札を見たものは、大半が『なんと残酷な!』と嘆く。そう思うなら、そんな残酷な選択をさせる前に、死を恐れるほど愛してやればよかったのに。ラピーダは嘆くような、そうでないような気持ちで値札を書く。魔法で値札を作れる魔女もいるが、ラピーダはそういう魔法は苦手だった。

 手書きの値札は、何故かいつも右上がりになる。下に線を書いても、少しずつ上に上に向かっていく自分の字にももう慣れたもので、かなり汚いがどうにか読める文字でラピーダはいつも値札を書いている。

 そんな汚い値札を張られた硝子ケースの中に、宝石たちは静かに横たわっている。施術台にケースを被せて作られた陳列棚は、工房の販売スペースにいまは五台ある。自殺を志願する者や、病や老衰でもうじき死ぬという者が大半だ。


 その中に、あの少女の宝石は無い。


 宝石は値札もかけられず、そしてラピーダが名前を聞かなかったため名前も無く、工房奥の倉庫に横たわっている。こういった事例は今回が初めてで、倉庫はいつもよりも少し狭苦しい。

 そのまま月日は流れていく。

 時折、劣化していないかを点検するために見に来るラピーダ以外は、誰も少女の宝石を見たり、触れたりはしなかった。


 月日は流れていく。

 流れに流れて、十年が経った。


 十年が経ったある冬の日。一人の人間が工房を訪れた。まだ若い、二十を少し過ぎた程度の男だった。森がどういう場所かを知った上で来たのだろう。足には安全靴を履き、厚いコートを来て、顔の半ばを毛足の長いマフラーに埋め、頭にはヘルメットを被っている。

「あの、すみません」

 ヘルメットを脱いだ男は工房の奥の方へと声をかけた。ラピーダはソファに座って、本を読んでいた。出迎える言葉も無く客を放置していたラピーダは、男の声に本を置き、ソファから立ち上がった。

 いつもなら、相手が買うと言うまでラピーダはソファから立たない。

 男と言葉を交わすためにソファから腰を上げたのは、男が値札をざっと見るだけですぐに声をかけてきたからだ。ようやく来た、とラピーダは思った。

「十年ほど前、ここに女の子が来ませんでしたか? 金色の髪をした、クラリスっていう名前の女の子です」

「名前は知らないけど、来たよ。……君を待ってたよ」

 ラピーダはそれ以上は何も語らなかった。男も聞かなかった。ラピーダの先導に従って、工房の裏庭にある倉庫に向かった。倉庫の扉を開くと、外の光が差し込んで、白く光ながら舞う埃のカーテンを作る。扉を開けたままにすれば、差したままの光は道のように倉庫の中に伸びた。

 光の道を数歩だけ歩いて、ラピーダと男は足を止めた。道の脇、光の当たらない暗所に硝子のケースが置かれている。ケースの中には色とりどりの宝石が音も無く横たわっている。それは、もはや人の姿を保っていない。ただ無造作にばらまかれただけの輝く瓦礫だった。

「クラリス……」

 それでも男には、それがクラリスという少女の亡骸だと分かった。それまで保っていた硬い無表情を崩して、眉を寄せ、崩れ落ちるように硝子のケースに縋り付く。目からあふれた涙が小さな雨だれとなって硝子に打ち付ける音が、静かに倉庫の中に落ちていく。

「……クラリスとは……病院で出会ったんです」

 聞いてもいないのに語り出した男に、ラピーダは語らせるままにした。宝石となった人間と親しかった者が再会すると、大半はこうして語るのだ。一人では受け止められない感情は涙よりも早く、多量にあふれ出すもので、ラピーダはそういうことに慣れていた。

「僕もクラリスも、同じ病で……僕の方が一足先に手術を受けたんです。でもその手術は移植手術で……クラリスのぶんは、なかなか……見つからなくって……。クラリスは平気そうにしてたけど、でも、やっぱり本当は辛くて、ある日こう言われたんです。

『病と薬でぐちゃぐちゃになった、汚い体なんてもういらない』って。

 だから……だから僕は、励ますつもりで言ってしまったんです。琥珀の森の魔女なら、どんな体も綺麗な宝石にしてくれるって」

「そう。それで、どうするの? その子、タダなんだけど」

「……タダ?」

 愕然として振り返った男の目が、一瞬にして険しくなる。その視線を宝石にできれば、切れ味のとても良い銀の刃になるだろうとラピーダは思った。

「タダって、どういうことですか? クラリスには価値が無いんですか?」

「違うよ。お金はいらないから、自分を買う人がいたら自分をタダであげてくれってさ。どういう意味か分からないけど、まあ君が来るって思ってたんでしょ」

 男はまたクラリスの亡骸に目をやった。クラリス、と呟き、黙祷するように目を伏せる。頬を伝った最後の一滴の涙を拭うと、男は立ち上がった。

「彼女を……引き取らせてもらえますか」

「いいよ。持って帰るにしてもこの量だから、配送はこっちでするけど。あ、配送料は取るよ? それでいい?」

「お願いします。彼女がこうなってしまったのは、僕の責任です……」

 責任というのが、自分がクラリスからドナーを取ってしまったことなのか、それとも宝石の魔女のことを話してしまったことなのか――どうせどちらもだろう、とラピーダは聞き返さなかった。

「ところでさ、」

 ラピーダが尋ねたのは、別のことだった。答えがどういうものでも良かった。ただの好奇心で尋ねたことだった。

「君、この子のこと好きだったの?」

「えっ……ま、まあ、そりゃあ……病気が治ったら結婚しようね、とは言ってましたけど……」

「ふーん……。……じゃ、サービスいる? そっちは有料だけど、君に相応しいプランがあるんだ」

 ラピーダが内容を告げると、男は酷く心を動かされた様子でお願いしますと頭を下げ、それからありがとうございますとも言った。ラピーダとしては商売のセールスでしかない。少女を売る金が手に入らない分、損をしている。サービス料をふんだくらなくてはやっていけないのだった。


 配送先や譲渡契約の書類を交わすと、男は最後にまた深く頭を下げ、工房から去って行った。その左手の薬指には、ラピーダがカットし、研磨して作り上げた珊瑚の指輪がはめられていた。



 男を見送ったラピーダは倉庫に戻り、硝子ケースを開けると、亡骸の胸の辺りに指輪を一つ置いた。男に作ってやったものよりも二回り以上は小さい、記憶の中にある、病んで痩せ細った少女の指に合わせた珊瑚の指輪だった。

「十年ここで過ごしたのは、君が初めてだ。そして十年も一緒に過ごしたから、君のことは何となく分かるんだ」

 それまでつまらなそうな無表情をしていたラピーダは、この時ようやく相好を崩した。後押しした自分が言うのもなんだけど、きっとクラリスは、こうなることを分かって、死別ではなく宝石として遺る道を選んだのだろう。そんなことを思いながら。


「この工房に来た人間で、君以上の悪女はいないだろうねぇ」


 ――あの男、きっと君を捨てられない。君から一生離れられないよ。

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