魔女の一頁

羽生零

魔女の従者自慢会

 森の魔女たちは四年に一度集まって、自分の従者たちを自慢する。

 魔女の会合は珍しいものではなかった。決まった議題は無く、ただ好きなように話すだけの会合だ。四年に一度、冬の新月の日が訪れると、魔女たちは自慢の従者を一体だけ連れて、森の宮殿にやってくる。


 ネルケは従者会合が大の苦手だった。


 と、いうのも、魔女が従えられる従者は、魔女の魔力の質によって決まる。

 

 美しい毛並みの黒猫。

 大の男の倍以上は背丈がある巨大なゴーレム。

 人並みの知能を持つ賢いカラスやフクロウ。

 フラスコの中で育てられた妖精。

 異界から召喚された悪魔。

 

 実に様々な従者が宮殿のホールを埋め尽くしている。

 ネルケの隣にも大きな黒犬が一頭いる。艶やかな毛並みはところどころが光を照り返してきらめき、朧月夜の空のように。赤褐色の瞳はオニキスをそのままはめ込んだように、美しい。

 しかしその黒犬はネルケの『従者』では無い。

 家の前に捨てられていた犬を育てただけの『ペット』なのだ。当然、主人の魔法の力を通すことも無い。その瞳を通して物を見ることも、その口を通して話すこともできない。空を飛ぶことも無いし、寿命を迎えれば死んでしまうのだ。

 ネルケがそんなただのペットを連れてくるのは、ネルケの魔力が従者を作るのにまったくもって向いていないからだった。魔法そのものが使えないわけでは無い。ただ、服従の魔法だけはどうやっても使えないのだった。


「くすくす……ネルケはまた『ペット』を連れてきたのね」

「ネズミの一匹すら『従者』にできないのかしら。可哀想なネルケ!」


 直接言われることは無いが、方々からささめくような笑いと共にそんな言葉が聞こえてくる。だからネルケは、魔女たちの従者会合が嫌いだった。来れば必ず馬鹿にされる。かといって、来なければ『せっかく招待状を送ったのに無礼な魔女だ』と思われてしまう。だからネルケは、せめてもの見栄として、従者では無いものの立派に仕立てたペットを連れてくるのだ。

 ネルケの手で梳られた獣の毛並みは、金の山を積み上げて買うような絨毯よりも柔らかく艶やかになる。

 ネルケの手で香油をすり込まれたヘビやトカゲの鱗は、月光を浴びたステンドグラスのように光り輝く。

 ネルケの手で表面を磨かれたゴーレムは、どれほど醜い土塊で作られていても王宮の大理石のように滑らかになる。

 ネルケのペットは他の従者に負けず劣らず美しい容姿をしていたが、それでも従者では無いというだけで馬鹿にされるのだった。


 ネルケを放り出して、魔女たちは己の従者を自慢している。ネルケはただそれを、壁に背を付けるように小さくなって、ホールの端から見ていることしかできなかった。


 そうして夜が更けていき――


 会合の途中、ネルケはついにホールを飛び出してしまった。

 というのも、従者を持たないネルケを、ついに魔女だけではなく従者すらも馬鹿にするようなことを言い出したためだ。


『従者ですら従者を持てる者もいるのに、魔女なのに従者を持てないなんて。本当にネルケ様は我が主と同じ魔女なのでしょうか?』


 それに続く、魔女たちの嘲笑の声……あまりにも悲しくて、恥ずかしくて、惨めだった。ネルケが中庭にまで出てくると、後ろからペットの黒犬も追いかけてきた。しかしネルケはそれに気付くこともなく、まろぶようにして中庭のベンチに突っ伏してしまう。白い石造りのベンチはひんやりとしていて、涙に熱く濡れた頬を優しく冷ましてくれる。それでもネルケの心は静まらなかった。後から後からこぼれ出る涙が、ベンチの上にできた小さな水溜まりをどんどん押し広げていく。とうとうベンチの上からあふれた涙がネルケの黒いスカートを濡らしたところで、一羽の大カラスがベンチの背もたれに止まった。

「どうしたんだい、ネルケ。そんなにも泣き濡れて」

 ネルケはその声にも構わず、まだベンチに突っ伏したまま答えた。

「だって、また馬鹿にされたんですもの! 恥ずかしくて悲しくて、悔しくて……従者が持てないってだけで、こんなに酷い扱いを受けるなんて!」

 ネルケは叫ぶように言うとようやく顔を上げた。そして話しかけてきたカラスの姿を見て驚いた。その体躯は普通のカラスの十倍はあろうかという巨体で、カラスと言うよりその姿を借りた悪魔のようだった。こんな使い魔を連れている魔女は、間違いなく強い力を持った魔女だろう。おいそれと話しかけることも僭越な――けれど、涙も言葉も止まることなくネルケの口からあふれ続けた。

「どうして従者会合なんてものがあるのかしら。それさえなければ、私は他の魔女たちにだって負けない、力を持った魔女だって思ってもらえるかもしれないのに。私だって他の魔女に『素晴らしい従者ね』って言われたいわ!」

 そう言ってネルケはまたベンチに突っ伏した。涙はようやく枯れ始めていた。それでもあふれ出る悲しみと憤りを抑えるように、ネルケは背中を丸め、ベンチの上に置いた腕に顔を埋めていた。

「それがお前の願いかい、ネルケ」

 大カラスが静かに、そして厳かに語りかける。ネルケは黙って顔を上げた。

「魔女たちに『素晴らしい従者ね』と言われて一目置かれたいのかい。従者会合で、もう誰にも馬鹿にされたくないのかい」

「ええ……そうよ、当たり前じゃない。もうあんな思いはしたくないわ」

「ならば次の会合の時、そう言われるようにしてやろうじゃないか。私のところへおいで、ネルケ。今日の会合はもう終わりだよ。宮殿の正面に来るんだ。黒檀の馬車が私の馬車だよ」

 そう言うと、大カラスは飛び立っていった。ネルケはしばらく呆然としてその後ろ姿を目で追っていたが、心配そうにすり寄ってきた黒犬の頭をひとつ撫でると、意を決したように立ち上がった。


 黒檀の馬車は、すぐに見つかった。


 その馬車は他の馬車よりも一回り大きく、とても立派な馬車だった。二頭の二角馬が繋がれた馬車の御者台には、蛇の尾を持った長い髪の美女がほとんど衣服を身に着けずに座っている。そして、馬車の屋根には大カラスが止まっていた。

 ネルケが馬車の横に立つと、ネルケが何か言う前に馬車のドアが開き、一人の魔女が顔を出した。ネルケは思わずあっと声を上げた。

 そこにいたのは、魔女会合を取り仕切る一人にして、最も従者を上手く従えられると言われている大魔女、シュクルその人だった。


「おいで、ネルケ。私がお前を、従者会合で誰もが褒め称えるようにしてあげよう」



   ◆ ◆ ◆



 そうしてネルケが大魔女シュルクの手を取ってから、四年が経った。ネルケは四年で見違えるように立派になった。ペットに入れてばかりだった櫛を自らの髪に入れ、艶のある黒髪を腰まで伸ばしている。元から白かった肌は化粧で整えられ、街を歩けば誰もが足を止めて見てしまう真珠のようなきらめきを放っている。そして、シュルクによって様々な知識と魔法を教えられ、美しい容姿をも手に入れたネルケの目は、自信に満ちて光っていた。

「ごらん、ネルケ。この場で一番美しいのはお前だよ。もう疑いようも無いだろう」

「はい、シュルク様」

 初め、ネルケは美しいと褒められても謙遜どころか不信を露わにしていた。しかしいまではその、自信の無さから来る卑屈さも見る影を潜めていた。いまここで『一番』なのは間違いなく自分なのだ――この上ない喜びがネルケの胸を満たしていた。


 やがて宮殿のホールに魔女たちが従者を従えて集まった。誰もがみな自分たちの従者を、いつものように自慢する。毛並みや賢さ、歌の上手さに鱗の輝きを。しかし、どれほど自慢しても、ある魔女の従者を越える従者はその場にはいなかった。

 その従者を見た者たちは口々にこう褒め称えた。

「まあ、何て素晴らしい従者なの!」

 誰もがシュルクの従者を褒め称え、ネルケはシュルクの隣で、誇らしげに胸を張った。

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