第10話 特別二等車でのビールと監督の訓戒

 戦地の代わりに特別二等車に送られた私は、若村さんや浜中さん、それに、コーチ兼任の小野田さんと中林さんに深田さん、それに、大ベテラン選手だったが、契約で二等車に乗れることになっていたスタさんたちと合流した。いろいろなお話を聞けて、その日は確かに、いい勉強をさせていただいたのは間違いない。

 列車の前のほうに連結されていた特別二等車の車内に入ってそうそう、私は浜中監督の隣に座れと言われた。


 「長崎クン、ビール飲むかい?」

 大柄なスタさんが、ビールを勧めてくれたのよ。

 「じゃあ、スタさん、いただきます」

ってわけで、まだ空いていないビールの瓶の栓を開けてもらって、手渡された。

 スタさん、名古屋でビールを3本ほど買っていて、1本飲み終えたところだった。スタさんもビールの栓を開けて、瓶のまま、通路を挟んで向かい側のスタさんと乾杯して、ビールをいただきながら、朝飯の駅弁を食べることにしたのよ。

 浜中監督は酒飲みを嫌っているはずだったが、スタさんと、それから私だけは、例外だった。酒を飲んでも崩れないというのが一つと、まあ、私がもともと野球選手じゃなかったこともあったかもしれん。

 「わしには勧めなくていいからな、わしはそもそも酒飲まんし、嫌いだからね」

 「わかっていますよ、監督」

 スタさんが返答された。


 スタ公はなぁ、戦前はあんなにも飲まなかったはずだが、いろいろ思うところがあったのだろな、進駐軍で働いていた頃から、酒を覚えて、大酒飲みになってしもてなぁ・・・。わしは酒飲みは基本的に嫌いだが、あいつにだけは、さすがに、そうそう強くは言えん。あいつのこれまでの人生を思うとな、とてもじゃないが、酒を飲むなとか、言えんよ。酒でも飲まなきゃ、やれんだろう。それはわかっとる。

 さすがに飲みすぎは毒だから、少しは控えろと、常々言ってはおるけどな。

 それから長崎、君はいずれ川崎翁の後を継いで政治家になる予定だと聞いておるが、それなら、ある程度は飲めた方がいいだろう。嫌いでもないなら、な。

 別に野球選手ほどの体力は必要ないが、肝臓は、今からでも鍛えとかんとな。


 酒飲みを嫌っているはずの監督からそんなことを言われて、さすがに、面食らった。

 「横で飲ませていただいて、恐縮です・・・」

 「そんなことより、なあ、長崎、うちの若い選手の服装、何か感じないか?」

 「服装ですか? 特に問題があるとは思えませんが・・・。皆それなりに、小奇麗に洗濯された服を着ていますし、困った筋の方々のような変な服装もしている人も特におりません。第三者としてみても、不快感を受けるような要素は、特にありませんけど・・・」

 スタさんから頂いた紙コップの中のビールを飲み干して、さらに継ぎ足したところで、浜中さんがおっしゃるには、こうだ。

 「そうだな。若いうちからきちんとした身なりができていることは、いいことだ。だがなぁ・・・」

 「だが、何か、あるのです? 監督」

 「みんな、どこか、物足りんのだよ。わかるかなぁ・・・」


 この時の浜中さんの「物足りない」という言葉の意味、そのときは、まったく分からなかった。だけどな、その言葉の意味に秘められた何かがあることは、すぐに分かった。でも、その正体は、今もってわからないところもある。

 改めてビールを一口飲んで、尋ね返したよ。


 「何か問題でも?」

 「いや、問題というわけではない。これは、私の個人的な印象だから、特に君から彼らに何か注意してやることはない。されたほうも、対処のしようがないだろう。そんなことでわざわざ彼らの反発を買う必要もなかろう。それにしても長崎、おまえさん、背広がよく似合うな、カフスボタンまでして、時にダブルカフスの仕立てのシャツまで着ているじゃないか。君なら、ダブルの背広なんかも、似合うだろう。うまく着こなせば、水原なんかよりはるかに男前になれるぞ。君は愛媛の田舎者ですなんて言うかもしれんが、かくいうあの水原だって、慶應ボーイで鳴らしよったけど、もとをただせば、言葉は難だが、香川は高松の田舎者だからな」

 「ですけど、今から水原さんのようないい仕立ての服を着たら、反感でも買いやしないかと心配ですし、私自身書生上がりで、そんなに、お金もないです」

 そんな回答を見越していたのか、浜中監督は、私にアドバイスをしてくださった。

 

 そうだな、そんな中で長崎は、しっかりした服装をして、日々仕事に励んでおる。その服装は、彼らのごくごく無難な服装と違って、一段とびしっとして見える。

 君の服装からは、ビシッと一本筋の入った信念が感じられて、非常によろしい。

 その部分に、君は、さらなる磨きをかけるべきだ。

 誰もが、見ただけで、これぞ長崎弘だ、そう言われるだけのものを、確立してみたまえ。

 そうだな、ダブルの背広と言ってもすぐにすぐは仕立てられないだろうが、これならすぐにもできるだろう。

 まずはひとつ、ネクタイを、蝶ネクタイにしてみなよ。さらに目立つし、それをトレードマークにだってできるだろう。


 「蝶ネクタイですか・・・」

 「浜中さん、それいいね、長崎君に蝶ネクタイ、似合うと思うけどな、私も」

 阪神で監督を務めて日本一にもなった若村さんまでが、そんなことをおっしゃる。

 「それ、いいな。ぜひ、やりなよ。岡山にもデパートがあるだろう、そこの紳士服売場でも行ってみな。結ぶのは若干難しいが、慣れればすぐにできるよ」

 スタさんも、その話を聞いていて、ぜひやってみろとのこと。進駐軍の軍属時代に、何度か結んだことがあるという。


 「そうそう、一つアドバイスだ。長崎クン、ネクタイは汚れた手で触ったり、ましてや結んだりするなよ。特に蝶ネクタイは、汚れたり痛んだりするのも早いからね。もう少しで京都じゃないか。ホームで手を洗ってからにしたらどうかな?」

 ちょうどまがったネクタイを直そうとしたとき、スタさんが、そんなことをおっしゃった。ちょうどトンネルに入っていて、石炭の煙が車内にほんのり入ってきた時だったのを覚えている。当時は特別二等車と言えども冷房はなかったし、窓からはすすが入ってきていた。東海道の電化区間を走っているときの三等車のほうが、石炭のすすが入ってこない分、快適だったね。ほどなく京都について、ホームの洗面台で顔と手を洗ってから、ネクタイを直したさ。

 「スタ公の奴、いいアドバイスをしてくれるなぁ。いいか長崎、ちょっとの積み重ねというものは、どんなことにも大事だぞ。君も、若い選手には、そういう姿勢で臨んでもらいたい」

 京都を出発して間もなく、浜中さんが私にしみじみとおっしゃった。


 岡山には、その日の昼頃に到着した。それからタクシーに分乗して、街中を移動すること数分で、宿舎になる滝沢旅館に到着したね。

 キャンプをする1か月ほどの間、ここが私たちの宿舎となるわけだ。

 結局ユニオンズは、解散するまでの4年間、この宿にお世話になることになった。

 旅館の女将さんにはまだ小さな息子さんがおられてね、中内さんと同じ名前で卓司君といって、中内さんに限らず、選手や首脳陣のみんなから可愛がられていたね。


 旅館について挨拶をした後、まずは、1本でいいから蝶ネクタイを買った。

 旅館の人に、それなら近くのデパートに行ったらいいと言われていたので、早速、歩いてすぐのテンヤマデパートの紳士服売場に行ったら、幸い蝶ネクタイがあってね、何本かあったけど、色合いも濃い赤系統の者が気に入った。

 汚れも目立たないし、悪くなさそうだ。この色なら、結構目立つだろうと思った。

 もちろん結び方なんかわからないから、買ってそうそう、中年の男性店員さんに教えてもらって、何度か練習して、おおむね要領は得られたから、そのまま、蝶ネクタイをして宿舎の旅館に戻ったよ。

 スタさんが指導してくれたおかげで、程なくきれいに結べるようになって、鏡を見なくても楽に結べるようになった。

 井元君から、俺らは野球の練習ですけど、長崎さんは蝶ネクタイを結ぶ練習が岡山キャンプの課題ですね、なんて言われて、若い選手たちから大いに冷やかされたよ。


 ダブルの背広のほうは、さすがにすぐにすぐというわけにはいかなかったが、ユニオンズの1年目が終わったときに、新しく紺の二つ掛けのダブルを仕立てた。それからは、背広は、ほとんどダブルだね。

 米河君はサイドベンツのものが多いようだが、当時は、ノーベントだったな。今は私も、あなた同様、サイドベンツのスーツが多いけどね。

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球界の孤児と養護施設 与方藤士朗 @tohshiroy

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