春が来ませんように
天野蒼空
春が来ませんように
春が来る。
来て欲しくないけど、来てしまう。なぜ、来てしまうのだろう。
春は別れの季節。終わりの季節。
桜の蕾はまだ固い。春一番も吹いてない。
まだ時間はある。でも、もうすぐ春が来てしまう。
急がなきゃ。終わってしまう。
「つつじヶ丘ー、つつじヶ丘ー、です。」
バスの運転手が間延びした声で告げる。
ドアが開いて少年が一人、入ってくる。紺色のマフラー、少し寝癖のついている黒髪、臙脂色のネクタイの制服。
「あ、冬根さん、おはよ。」
「おはようございます、藤宮君。」
「隣、いい?」
「ええ。どうぞ。今日、寒いですよね。」
「でももうすぐ暖かくなるよ。春が来るから。」
藤宮君。同じクラスの男の子。初めて私に声をかけてくれた男の子。そういえば、初めて声をかけてくれたのも、こんな寒い日の朝のバスだったな。
『ねえ、えっと、君。確か転校してきた……。そうそう、冬根さん!隣、いいかな?』
って。転校してきたばかりで、知り合いもいなかった。人見知りで誰とも話せなかった私は、藤宮君がそう声をかけてくれただけで何だかほっとした。
それから毎朝こうやって同じバスに乗って一緒に学校に登校している。
「そういや冬根さん、転校してきて1ヶ月半くらいだっけ?そろそろクラスは慣れた?」
「はい。クラスの皆さんと少しずつですが話せるようになりました。」
「三学期から転校してくるとクラスに馴染むの大変じゃないかなって。でも慣れてくれてよかった。」
「最初は緊張しましたけどね。」
藤宮君が笑う。目をきゅっと細めて笑う。そんな顔を見ると胸がドキッとする。
だから私は……。
「次はー、緑ヶ丘高校前ー。緑ヶ丘高校前ー。」
運転手の間延びした声の後にチャイムがなる。「次、停ります」の赤いランプがつく。
「もう学校か。」
「そうですね。外は寒そうです。」
窓ガラスがうっすら曇っているのを見て私は言った。
窓の外には同じ制服を着た生徒達が、ずらずらと列を作って歩いている。バスが停ったらあの列に混ざって歩くのだ。藤宮君はバスを降りたら、バス停の前のコンビニでご飯を買ってから学校に行くので、一緒に話せるのはバスに乗っている間だけ。
なのに私はあまり話せていない。いつも藤宮君の話に返事をしているだけ。本当はもっと、もっと話したいと思っているのに。
──シュー。
バスが停まる。
定期をかざせば聞きなれた電子音が鳴る。
「じゃあ俺、お昼買っていくから。また、教室で。」
「ええ。後で。」
冷たい風に伸ばした髪がなびく。空は寒い灰色だ。吐く息は白い。こんなに冬のようなのに、あと何日で春が来てしまうのだろうか。
教室はいつもと変わらず、ざわざわしている。教室の何ヶ所かでグループが出来ている。これは多分どこの教室でも同じなのではないだろうか。
「冬根さん、おはよ。」
「おはようございます。」
隣の席の赤津さん。何かと私に話しかけてくれる。転校してきたのを気遣ってくれているのだろうか。
「皆、クラス替えのことで頭がいっぱいみたいね。」
「クラス替え、ですか。」
クラス替えをしたら、藤宮君とも違うクラスになるのかもしれない。それは、嫌だな。
「冬根さん、来年も同じクラスだといいね。」
「そうですね。」
がらり、と、ドアが開いて教室の中に藤宮君が入ってくる。他の男子と話している様子は、クラスが変われば見れなくなてしまうだろう。それに、クラスが変われば人間関係も変わってくる。今までみたいにバスで話すことも少なくなるかもしれない。
黒板に書かれた日付は二月二十六日。春はもうすぐそこまで来ている。
窓の外の桜の木は寒そうに固くなっている。でもあと少ししたら咲いてしまう。
お願い。咲かないで。
咲いたら終わってしまう。
春が来ませんように 天野蒼空 @soranoiro-777
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