インディーズ作家
座椅子で扇風機に当たり寝てしまった。二階からの音が消えた。
目覚ましは深夜一時半だ。注意されて寝たのだろう。
郁人は布団を引き直し寝ることにした。ベッドは越すことを考えると邪魔だ。
布団というがマットに敷きパットだった。軽くて寝られるし文句はない。ただマットは二年ほどで破れてしまう。そこで新品にチェンジする。
コップを洗っていると外にだれかがいる気配だ。足場が掛かるから泥棒も狙いやすい。コンクリート造りの築四十年では、懐も寂しいことはわかるはずだ。
たまたま通りかかった人だろうか。玄関へ行きドアをゆっくり開ける。すると、丸めた背中が階段を上ろうとしている。ジジイだ。
越してきたばかりで探索か。一階を見ても仕方ないだろ。窃盗でもしようとしたのか。あの背中からしてそんな体力はなさそうだ。大きなあくびが出た。
変なジジイが越してきたものだ。初日からこれだと先が思いやられる。
前にも騒音の奴らがいた。集合ポスト付近へ高校生なのか自転車が何台も雑にとまっていた。なんだこいつら。高校のシールがはってあり、そんな奴が越してきたのか程度だった。月日が経てば自転車はバイクとなり、これが騒音の始まりだった。自転車なら許すがバイクだ。四〇〇クラスは集合管にしてあり、夜中に走り回っている。やがて音のうるさい原付も増え、たまり場となっていた。これには不動産へ何度も電話をした。安アパートだと、こういったことも起きてしまうのかと。その後は出て行ったが、置き土産があった。二〇一の茶髪女性の黒い軽自動車へ、白のペイントで罵詈雑言を書いてあった。犯人は瞬時でわかった。警察も来て一軒ずつ問うと、みんなバイクの奴といったらしい。
二階の女性は、なにか注意をしたのだろう。そんな奴らなら確実に仕返しはあるとわかるのに。夜中の帰宅時、集合ポスト横で五、六人が円陣を組んで座っていた時には腹が立った。そんな時に注意をしたのかもしれない。
天井を見ると静かに寝ている様子だ。まだ酔いが残るのでこのまま寝られそうだ。
なにかが聞こえていた。目覚ましは六時。
「……なに考えている、糞ジジイ」
まだ眠いのにジジイのせいで起こされた。目をつぶっても騒音に悩まされる。
警察もダメだったのか。生活圏を荒らしているのだから殺意も出る。
昨日の午後からたった一日でこれだ。二〇二は三階建てのど真ん中となるので全員被害に遭う。郁人は不動産へ伝えてもダメと判断した。直接いってもムダに終え、警察もだった。これから毎日続くと、死んでくれと思う。一気に忘れる痴呆症か。でもテレビのボリュームを上げることは頭中にある。
今日は日曜なので家にいそうだ。といってもあの年では無職だろう。
トイレへ起きた。糞ジジイへ悩む。まだ夏になったばかりで、毎夜の網戸は当たり前だ。便座に座っていると深いあくびが出た。寝足りないのか、小便しか出なかった。これでは体調も崩してしまう。
早朝から周りの住民を考えないとは、カラスにも匹敵する。郁人の夏はいままでそうだった。が、それ以上の奴が現れたということ。
扇風機はかけっぱなしだ。タオルケットへもぐり目を閉じる。生活を脅かす奴は死んでくれ、と三度思った。
『二階の人、静かにしてくれませんか……』
ベランダから聞こえた。三階の新川の声にも似ている。たぶんそうだろう。
するとボリュームが下がった。夏でほぼ網戸だろう。住民へ聞こえたはず。
この作戦なら楽ではないか。ただ時間の経過でまた騒音だろうけど。
目を閉じるがジジイのことで開いてしまう。害虫野郎め。
郁人は派遣で工場勤めだった。土日は休みで交代勤務はなく、残業も月十時間以内とさほどない。勤めて一年と少し、その冷蔵庫をつくる工場で働く。もしかすると深夜に睡眠の妨げになる恐れもある。
明日の昼休みには、不動産へ騒音被害を伝えるつもりだ。
起きると目覚ましは八時半だった。二階の音はない。ようやくわかってくれたのか。それとも外出だろうか。郁人は後者と思い顔を洗いに向かう。
今日も物語の続きで図書館へ向かうつもりだ。飯は近くのショッピングプラザでいい。昨日も食べた安いうどん屋がある。
身支度をしてパソコンのコードを外しバックへ入れた。
冷蔵庫は締め忘れてはないか、水は流れてないかを確かめた。洗面所の蛇口から流しっ放しの時が何度かあった。
鍵を閉めて出ると、隣のおばさんが植木に水を与えていた。
「おはようございます」
小柄でメガネを掛けるおばさんへ向けた。
「あら、どこかへ」
隣なのに滅多に会わなかった。というか会うと長話しになりそうだし避けている。ドア向こうでおばさんの話し声が聞こえた場合、仕事の時以外は出なかった。
「図書館へ」
「ああ、あそこのね」
以前は図書館近隣へ家族と住んでいたようだ。なぜか独り暮らしにさせている。またはそれを望んだのかもしれない。おそらく嫁と姑の関係とわかる。郁人の友人にもいる。結婚のため姑のいる家を増築したのに、新婚夫婦は三カ月以内で出て行った。こういう場合、夫婦へ増築代を請求されないのか。
「そうです。あっ、二階に越してきた人うるさいでしょ」
同情を期待する。
「うるさいけど、仕方ないかね。せっかくここへ住んだし」
と、じょうろを傾けながらいった。郁人は両目を見開く。
「仕方ないって、あんなにうるさいんだ」
あのジジイの肩を持つとは。
「ごめんね、実はね……、わたしが紹介したんだよ」
郁人は両目を見開いた。夏の大型台風の時、駿河湾を直撃する進路だったので、小学校へ一緒に避難させたというのに。
「なんであんなやつを……」
これではおばさんを敵にしそうだ。
「いやね、デイサービスで知り合ってアパートに困っているというから、ここ安いし」
「最悪だよ。うるさい奴だし」
二階を指した。
「知らなかったのよ、あんなに大きな音を出すとは。わたしからもいっとくから、しばらく様子を見て」
たった一日、昼夜のことで直らないことを知った。
「警察……」
といいかけ、その場を去った。駐輪場へ向かうと、ちょうど赤い自転車が戻って来た。
「奴め」
怒鳴るか迷った。が、やめた。後輪へカギを入れる時、背に声を掛けた。
「おじさんさ、ボリュームまた上がったじゃんか」
こちらを向かないまま駐輪場を出るではないか。
「おっさん!」
力がこもった。だが振り返らず歩いている。
元々猫背なのか、それとも年で曲がったのか、やすし似のジジイは聞いていないふりだ。しかし隣のおばさんはろくな奴を紹介しない。
郁人は赤自転車のタイヤへひと蹴りする。サドルにまたがると、不愉快極まりなくペダルを踏んだ。二〇二号のドアをにらみながらだった。
ショッピングプラザのうどん屋は込み合っていたので、百円バーガー二個を買い、そこでいそいそと食べた。日曜の図書館は学生がコンセントのある席を占領することが多い。郁人は自転車を停めるとウインドウをのぞく。やはり中学生がコンセントのある三席を埋めていた。こういう場合はスマートフォンだ。
アプリでパソコン内のワードと同期してくれるので便利だ。ただスマホの場合、筆は遅くなる。
郁人は空いている席を探す。子どもコーナーの長いすしかなかった。そこは主に幼時から小学生の子どもが多く、結構な話し声がする。集中するには難しいが、そこしかなかった。長いすに座りスマホを開いた。
同期アプリのメモのところへ書く。前回の続きもそこでわかる。
数分の経過だが二階のジジイのことで進めない。これからあいつが生活の邪魔をする。物語ヒントにもならない奴だ。
辺りの親子の会話も耳へ付くなか、郁人はなんとか五行書いた。作家はどんな場所でも書けないといけない。これも試練だと心で思った。
インディーズ作家はとても多くの投稿がある。漫画家の方が多いけど、みんな無職で一日書いているように感じる。投稿が異常に早いからだ。それだけ作家志望者が多いということか。若者は外でのびのびと遊ばないのか。
郁人は四十七歳まで一人でサーフィンをやっていた。十七歳の頃、駿河湾の河口で友人と波に戯れ遊んでいた。そこにはサーファーが次々と来る。邪魔になるようで波打ち際で見ていた。友人の兄もサーフを始めたようだった。その兄のサーフボードを友人が持って来た時があり、二人で波に乗れるか行うとなかなか乗れない。翌年、高校を卒業し初任給で買ったのは、中古サーフボードとウエットスーツ。計十万近かった。それと車をローンで購入する。道具はそろい、友人と牧之原市の静波海岸で毎週練習した。そこからはまったのだった。
四十七の時に今のアパートへ住んだ。だが翌年に母が亡くなり気落ちする。
その後、そのまま尾を引き五年勤めたタクシードライバーを辞めた。
一緒に住んでいたわけではない。当時の母は一人暮らしで四十五歳くらいの時から会っていなかった。死因は熱中症。七十五という死は早かったのだろうか。
その後、二百万の借金が発覚。隠していた借金があったのは、さすがに憎しみが沸いたけど、妹と相続放棄をすれば取立人は来なかった。それからだ、気持ちが沈んでいて、市立図書館で小説を読み漁っていた。そんな頃、目標が出来た。作家を志そうと。月間文芸誌によると、各出版社には新人賞という登竜門がある。とにかく書こうと、図書館通いをした。心は徐々に回復し、日々ワードへ文字を打つ。応募し落選でも内容はどうであれ、物語を書いて応募した。
二年という歳月は、貯金の底をつく。そこでタクシーをやるか、工場か悩み、工場にした。タクシーは夜がきつかったからだ。ただ自由はある。が、客との料金トラブルや嫌なことも多かった。それはネタになった。主人公をタクシードライバーにしては、客となって運転手を脅かすことを書けた。
何作も落ちていた時、掲示板の書き込みで投稿サイトを知った。こんなことが出来るなら、もっと早く知りたかった。それに販売も出来る。
それからは投稿サイトへ向けていて、いつのまにか海より図書館が趣味となった。
五十三では瞬発力を求められるサーフよりたまに行く水泳でいいだろう。
インディーズ作家はそんなに稼げないだろう。自分で価格を決められ、一冊五百円以下としている。五百円の定価なら、その半分が印税とてもいう二百五十円だ。
それならユーチューバーが稼げるのではと思うが、機材を買ったり、顔出しをしてはとリスクは大きい。今の時代、いろんな稼ぎ方があることを知った。
一部のみ食っていけるだろう。絶対働かない、ヒモのような職業もあったが郁人には出来ない。作家がもっとも合う。
スマホで打っているとやはり遅い。切りのいいところで保存した。
パソコンの席を見に行くと、今度は小学生がいた。変わったということは、いつだったのか。タイミングを逃したことを残念がる。仕方なく買い物をして帰ることにした。ジジイの騒音のことを、明日の昼休み、不動産屋への電話を決めた。
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