昼休みは早々に食道を出た。二百五十円のそばとおにぎりはうまかった。土日も食道のみ開いていたなら来るかもしれない。

 喫煙所には二人いる。そこを通り過ごし娯楽室に向かった。畳の部屋が十以上あるので、ほぼここに集まるのではないかと。工場外へ出てもいいが守衛へ外出の理由を書かないとならない。

 郁人はトイレ付近で不動産へプッシュした。

「……あ、プレジールユーカリの一〇一の水本です」

トイレの便座が割れ、その修理依頼振りだった。いつも丁重な女性が出る。

『お世話になります』

「あの、越してきた二〇二のことでちょっと頼みがあります」

 昨夜は九時ごろまでうるさく、たぶん新川が苦情をいいに行っただろう。急に音が下がった。だがチャイムのみで出なかったのかもしれない。何度もの連打で功を奏したのだろうか。

『騒音のことですよね。実は水本さんで四件目です……』

 やはりそうだったのか。

『……午前中にその菊田さんへ電話したのですが、留守なのか出ないのです』

 今の時代電話をだれでも持っている。

「たぶん居留守ではないでしょうか、昨日ぼくが駐輪場で直接いったのですが無視されまして」

 ほかのアパートでも騒音苦情を無視していたのだろう。あのジジイはそんな奴だ。

『そうでしたか、申し訳ありません』

「いえいえ、生活のリズムが狂わされます。どうにか伝えてください」

 どセンターに越してきたのだし、四方八方への騒音だ

『相当大きいということですね』

「鉄筋造りですし、今まで横や上から音など聞こえませんでした」

 横のおばさんにも憎しみが出てしまう。

『そうでしたか、午後も何度と掛けて出ないようでしたら、アパートへ向かいますので』

 納得した。

「警察へも伝えてもダメでしたから、相当な厄介者です」

 声を大にしたせいか、トイレに入る作業員と目が合った。

『警察でも小さくなりませんか……、わかりました』

「越して二日でこんなです。よろしくお願いします」

 言葉を強めたことを恥じながら、スマホをポケットへ入れた。

 郁人は畳の部屋を見渡す。雑誌を寝転がって読む者、オセロゲームをやっている者、スマホをいじっている者、テレビを寝転がって見る者と様々だ。

 ここのエヤコンは効いていなかった。各部屋には大きな扇風機のみで、Tシャツとなって過ごすしかなかった。

 郁人のいつもの場所は占領されていたので、すき間を探していると、

「みっちゃん、ここにしな。おれジュース飲んでくるから」

 会社は違うが同じ派遣同士の六十を過ぎた角刈りの種田だ。

「ありがとう」

 派遣同士は同じ部屋で、社員も社員同士だ。これが社員はエアコンの効いた部屋だったなら、差別としてだれかが苦情をいいそうだ。そんなご意見箱も食道にはあった。比較的、派遣も社員と同等に扱っている。ただ社員は同じ部署でも残業は多く、会議もあったりと、それなりに郁人の上司も忙しいようだ。

 郁人は図書館で借りた本を持っているので、それを寝転がって読む。

 自分では書けない推理作家の小説だ。なにげに不動産が注意してもムダだろうと思った。



 月曜は六時まで三十分の残業があった。スリードア冷蔵庫の冷凍庫内部カバーを付ける部署だ。その出入口にあるタイムカードを押した。ロッカーで着替え、自転車で帰宅する。二十分後には自宅となる。夕食はソーメンにする。帰りがけのスーパーで野菜調達をした。

 買い物袋を提げて駐輪場へ入った。辺りへ夕日が照らされ、赤の自転車も目に入った。ジジイは不動産屋とどうなったかだ。

 午後も苦情電話があったかもしれない。邪魔な足場から二階を見た。

台所の窓へ明かりは灯っていなかった。ここからではカラスの鳴き声だけ。どうなったのかと部屋へ向かった。入ると買い物袋を台所近くへ下ろす。ベランダへ直行だ。なにかの結果を知りたいよう、急いで窓を開けた。こちらもカラスの鳴き声と犬が吠えているのみ。不動産の申し出は効いたのか。不思議に感じたが、相当なプレッシャーを掛けたのかもしれない。それは出ていけー、という意外ない気がする。ただ時間の経過ですべて忘れ、テレビは大きくなる可能性はある。

 麺をすすりながら、缶ビールを一本飲んだ。酒というかお茶割りを毎日飲んでいた。日々のストレス解消のほかはないだろう。

 八時を過ぎたころ、シャワーを浴びた。ずいぶんと上が静かだ。というが、これが本来の日々だった。

 九時を過ぎてから五行ほど文字を埋めて電源を切った。ほろ酔い加減が覚めると、少しでも書いておく。

網戸でエアコンは入れていない。

 ジジイの部屋からなにも音がないというのはどういうことだ。郁人はベランダへ出た。正面の建物から二階の電気はついている。エアコンでもかけているのか。それでも音は漏れるはず。

 隣のおばさんがガツンといったのか。ジジイがそんなおばさんのいうことを聞くはずはなさそうだ。

 とにかく不動産が効いた。郁人は歯を磨きに洗面所へ入ると、これが正常なアパートと思った。あのジジイは痴呆で頭がどうかしているだけ。

 寝ながらテレビを見入っていると眠くなった。

 目覚ましをセットし、タオルケットを胸まで掛ける。扇風機は回ったままだった。

『……よーし!』

『あっ、あー……』

 見開いた。台風の波にテイクオフしたが、次の瞬間、波が盛り上がり背丈の三倍となって、そのまま飲まれた夢だった。サーフィンをやめるとこんな夢を見る時がある。

 目覚ましは深夜二時半。二階の音はない。郁人は便所へ向かう。

 ボーっとしながら手を洗った。布団へ入って目をつぶる。

それは突然の悲鳴。

「うぇーーーーーー」

 郁人は飛び起きた。例の二階からだった。寝言だろうか。網戸なら各階の住民に聞こえただろう。だが余計なことを考えると仕事に響くので再び横たわった。

 耳に響き目覚ましをとめた。眠い。すべては二階のジジイのせい。

騒音は不動産屋のおかげだが、今度は変な声で迷惑をかけた。

 郁人は目を擦りながら洗面所へ向かった。

 七時五十分になった。部屋を出ると塗装屋のトラックがちょうど駐車している。八月いっぱいまでかかる塗装だ。職人たちの顔を覚えるだろう。駐輪場へ向かうと、新川がちょうど下りて来た。

「おはようございます」

 郁人からいうと、新川は不機嫌そうに頭を下げるだけだった。ゴミを持っているのを見て、出すのを忘れた。完璧にリズムが狂わされている。

サドルへまたがると、あくびをしながらペダルを踏んだ。

 昼休みは寝ていたので、午後はそれでも体調を戻した。今までとは違った、こんな生活は望んでいなかった。駐輪場へ自転車を入れると、赤の自転車がなかった。いちいちジジイのことを気にする生活は、もうどこかへ吹っ飛んでほしい。



郵便ポストには水道代の請求書と一枚の封書。裏を見ると水本美恵だった。

九つ離れる妹は、夫と子供がいて富士市にいる。何の用だ。あまりいい内容ではなさそうな気がする。汗が気持ちわるく、まずはシャワーだ。

 浴びながら妹と何年前に会ったかを思い出す。母の死は五年前、その時以来だった。葬儀ではずっとハンカチを目に当てていた。

シャワーを出ると、扇風機を強にした。

お茶割りを飲みながら手紙を読むとこうだ。夫が会社を辞めたのは三カ月前。その間は貯金で食いつなぐがなかなか就職できないままだと。要は金を貸してくれだった。それも十万だ。

 いくら兄妹でも金の貸し借りはどうか。子どもは一人いるので、職へ就かなければ食べてはいけないだろう。夫はたしか製紙工場の班長だったはず。なにかあったのだろうか。アドレスと電話番号はスマホへ入っているのに書いてある。五万でも無理だと早めにメールを送った。

 洗濯機を回し、夕飯の準備で台所へ立った。ベランダへ出てもテレビ音は聞こえなかったので、ヘッドホンをしたのだろうか。

 レンジで冷凍チャーハンを温め、インスタントみそ汁を食べる。

 すでにメールが入っていた。電話していいかと。夕飯時なので十五分後にしてくれと返信する。

 二十分後に電話が鳴った。

「はい……」

『恵美です。どうにか頼みます』

 いきなり金とは、かなり切羽詰まっていそうだ。

「五万でも無理といっただろ」

『それなら四万でもいい?』

「そういうことではない、身内では返金しないと思うから。それに職へ就くにも長引くと、余計採用されないのが現実だ。給料の要求を下げたらどうだ」

『たしかに面接へ行っているのだけど、なかなか条件が合わないといわれてたの……』

「自分のように、いつでも切れる低賃金の派遣しか採用されないんだ」

 子どももいて、三十万以上ないと辛いのではないか。班長ならもっとあっただろう。

『わりのいい給料はないといっていたし、わたしもドラッグストアのパートに出ることになったの。いくらならいいの?』

「こっちは低賃金なので貸しても一万だ」

 返金されない条件でそう提示した。

『それだけ……。わかりました、それでいいのでこちらに振り込んでください……』

 振込銀行を聞いた。手数料も払わないとならないけど、ネットの銀行なら月一度のみ振込み手数料が掛からないため、その銀行へ加入している。無職が長かった時、様々なネットで情報を知った。

 電話を切ると、一万で済んだことにホッとし、残ったお茶割りを一気に飲んだ。


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