新川
お盆休みとなった。九日もあるのは嬉しいけど、日当なので今月の給料は安い。こんな時代なので、派遣会社は重宝するだろう。ただなり手は少ない。
二階のジジイはもちろんいる。音量が下がったというか、ヘッドホンのようだ。不動産のプレゼントかもしれない。外れたのか、二度大音量が出た。とにかくいるだけで迷惑になる人物なので早く出てってほしい。というが、あの高齢ではここが最後の住み家だろう。越すのは金が掛かり、そんな労力もなさそうだ。
昨日からのお盆休みで郁人は、まず無料のプールへ行った。開場からの四十分ほど泳ぐ。混んできたら上がるパターン。ここ夏場は、数年ほど通っていた。
そもそも泳ぎは腰にいいといわれ始めた。だがそれほど緩和しないのが現実だった。
午後は図書館とお決まりのコース。シャワーを浴びた後はパンツ一丁だった。ソーメンを煮ていると泡立った。お湯を切る。横の部屋が賑やかだ。
たまにおしゃべりが聞こえるため、友人知人が多いのだろう。
ショウガとネギを入れた器へ麺つゆを入れる。昨日の図書館は夏休みなのでコンセントのある机が占領されていた。パソコン用として欲しいことをご意見番へ投書した。が、それは適わないだろう。今日もスマホで打つしかないと残念な気持ちだ。遅いし、瞬間の書く思いをまごまごすると忘れる時があった。
図書館ならクーラーが効いている。子どもたちの声はうるさいけれど家よりだいぶいい。
恵美へ送金したら、その後はなにもない。日々の生活に追われ金はないはずだ。サラ金でもしていればたまったものではない。身内だ。追ってはこちらにもやがて来る。三親等までなので、もしそうなれば妹への相続放棄も考えるしかない。
だがそこまでバカではないだろう。郁人へ十万という借金を求めるくらいだ。
家族や親族なら利子がいらないためだろうし。でも利子のある消費者金融が気兼ねしないですむのではないか。後々あの時貸しただろう、などいわれ兼ねないため、身内の貸し借りはよくなかった。
麺をあっという間に食べた。ショウガは欠かせない。これがないとソーメンのうまさも半減する。
食器を洗っているとチャイムが鳴った。郁人は宗教と即感じるので出なかった。だが二度鳴り戸も叩かれた。うんざりしながら裸のままドアを開けた。
「なんだー」
隣のおばさんだった。手にはラップに包まれた四分の一に切られたスイカを持っていた。
「今ね、友だちと食べてたの。余ったしもう食べれないからって、隣の兄ちゃんへねと」
スイカを持ち上げた。リウマチで指が曲がっているのは何度と見ている。
「ああ、いつもすいません」
手作りの肉じゃがや、賞味期限切れのカップラーメンなどをもらった。肉じゃがはおいしかった。それは郁人の母よりだ。
「みんな食べきれんかったんでね」
「何人来てるの?」
隣の部屋も同じ一DKだ。
「四人で食べてた。これ以上食べたら下痢になるよ」
「たしかにね、ならいただきます。ああ、ちょっと出かけないとならないので」
おばさんと話すといつも長い。
「あんたいい身体してるね」
胸を見た。
「いやいや、ではまたね」
「わるいっけね」
郁人はドアを閉めた。が、開けた。
「そうだ、おばさんがいってくれたの?」
ドアを開けようとしたところだった。人差し指で二階を指す。
「いったよ、今はイヤホンしてるだって」
「それだと、イヤホンなくなるとうるさくなるなー」
なくせば大音量へと戻る。ジジイの性格をどうかしないとならない。
「年も取ってて耳がわるいようよ」
「でもあの音は異常だ」
「また大きくなったらいっとく」
といい、部屋へ入った。
片手で持つスイカも温まってしまう。今は食べたくないので冷蔵庫へ入れた。
Tシャツと短パンを履いて図書館へ向かった。五十三でこの格好でもいい。
このごろ年寄りでも短パンにTシャツ姿が目立った。昔は夏でもスラックスや
ジーンズで足を隠しているように思えた。時代の流れか、その時のスタイルでいい。
図書館に着くと自転車は多い。やはり涼しいため市民は無料施設に来ている。
会社のお盆休みと夏休みが重なって、席を探すのも一苦労のはずだ。コンセントのある席はダメ。子どもコーナーの長いすなら空いていた。ただとても低く、百七十六センチの郁人は座りづらい。一時間座れるかだ。とにかくそこしかないので座ってスマホとの格闘だった。
一時間半は打った。足を組んでは姿勢を変えていたら、それほど辛くなかった。だが騒々しい。パソコンの席を見に行くと二席空いた。今だと郁人は急いでバッグを置いた。これで確保でき、電源を入れると新聞を読みに向かった。
図書館は新聞も読め、情報は入るし満足だ。読み終わって返すとき、隅に同僚がいた。部署が違うし話したことはない。社員ではなく派遣というのも昼休みの休憩場でわかる。会社が休みだとこんなことも珍しくない。
向こうも気付いただろうか。ネガティブ思考の郁人はパソコンへ戻った。続きを埋めていると、キーが快速なので集中できる。電子書籍への投稿作業が面倒だけど、応募しても作家になれないのなら、そこを舞台にしている。
インディーズの漫画家が多いこと。とても上手な絵なのに、出版社の新人賞を落ち続けているとしか思えなかった。
節を終えたのが四時二十分だ。そろそろ終えてもいいのだが、ちょうど乗り出している。ここを無駄にできない。次の節も続ける。次々に埋めた方がいいのだが、時間も早く過ぎていく。あと五分だ。まだ書ける。もったいないが次はあのこと、このことを下段に書き電源を落とした。
結構書いた方だ。まったく書けない時もあるので穴埋めになった。
短パンのポッケからスマホを出すと、恵美からメールが入っていた。
郁人は顔をしかめてメールを開く。
『お願いします。また一万でいいので、貸してください。わたしも仕事の面接をしています』と。ドラッグストアはどうなった。
これでは何度と来るかもしれない。郁人は外に出て自転車の前で打った。
『こっちも日雇いだ。今は休みで今月は最低の給料となる。悪いが他を当たってくれ』
と、送信。兄を冷たく思っただろうが、これで請求は来ないだろう。これが現状なので仕方なかった。夫も家族や知人を当たっているはずだ。それでも足りないというのだろうか。夫はなぜ辞めたのかも疑問だが、聞けばついでに貸せといいそうだ。
自宅まで十分ほどで着いた。駐輪場に赤の自転車はないが、代わりに黒の自転車がある。新品の自転車を売ったとは思えない。見知らぬ人が空いた場所へとめたのかもしれない。ベランダの裏へ向かった。静かだ。こんなことを気にする自身がおかしいと首を捻った。でも異常者を入居させるのは不動産も人を見られなかったのか。郁人が入居する際、ギャンブルをやるか聞いてきた。もちろんやらないと伝えた。大体高齢者を入れるのは先がないため、以前のような孤独死されたら困るだろう。部屋の掃除代は大家が払うのだ。
部屋に入ると窓へ急ぐ。網戸にした時、微かな音が聞こえた。ヘッドホンから漏れた音がこれか。
郁人は眉をひそめながらパソコンを設置する。このような頑固ジジイはどのような仕事をしていたのか。こういうのに限って公務員だろうか。
年金がいいならここへは住まないだろう。家族はいるのか。が、偏屈ジジイで見捨てられたのかもしれない。自宅でも毎日音量を大きくし、家族へ迷惑を掛けたのではないのか。
ワンセグテレビの調子がわるいので、ユーチューブにする。お茶と氷の入るグラスを持って来る。このごろお笑い芸人を事務所側から解雇された芸人がよく出ている。解雇されても知名度はあるので、食べていけるのはいい。しかしユーチューバーってそんなに稼げるものなのか。二百万、五百万など聞く。人気になるまでがしんどそうで、機材や編集能力もいる。飲みながら芸人動画を観ていると、やはり書いて投稿がいいことを思う。
夕飯はカップうどんにし、八時となりシャワーと思ったが、休みで夜更かしが出来る。ただ明日の昼もソーメンかと思うと、工場食堂のそばが懐かしい。
座椅子で寝ていた。時間は十一時三十分を過ぎた。外が騒々しい。ベランダではなく、台所の方の外だった。またジジイのことではないか。郁人はドアへ向かうと小窓を少し開く。踊り場の方から声がし、急いでドアを半開きすると、 新川が胸ぐらをつかみ、今にも殴りそうな状態だった。相手はジジイだ。急いで短パンとTシャツを着る。慌てたせいか炊飯器へ小指を当てた。くそ、と炊飯器へ向けた。そしてサンダルを履き飛び出た。
「新川さん、ダメだ」
ポストのある踊場へ向かった。すかさずいう。
「とうしたの」
新川の顔は赤いので酒を飲んでいる様子だ。
「このジジイ、そこへタバコを捨てたんだ。三階から目撃した」
踊り場の隅に踏みつぶした吸い殻がある。まだ胸ぐらをつかんでいるため、背の低いジジイは背伸びをする格好で見た目は哀れだ。本当は賛同したい。が、ここで殴れば警察沙汰だ。
「とにかく胸をつかむのはやめようよ」
耳たぶまで赤い新川と目が合った。興奮な表情から、なぜ止め入る、といいたげだ。
変な時間に寝てしまい、まだ頭がふらふらするが、彼の手を軽くつかむ。
「穏便にね」
と向けると、手が下がった。
「タバコくれー、なんだ」
ジジイが高い声でいう。
「なにー!」
と、また胸ぐらだ。ジジイは唾を吐き出しそうだ。
「やめろ!」
郁人は中に入り二人を離した。と、同時にジジイはよろよろと下がってポストへ背をぶつけた。両足を投げ出しポストへ背にあずけ座った。
「いたいっ」
悲鳴までいかない。が、郁人はまずいと寄り添う。
「大丈夫ですか」
華奢で干からびたようなジジイの曲がる背をなでた。
「こんなやつ死んじまえ」
新川がポケットに手を突っ込んでいった。酔うと結構な豹変する男だったのか。
「とりあえず、じいさんを部屋に連れて行く」
猫背の飛び出た箇所をさすりながら立たせた。まだ痛む表情だったが、年寄りのちょっとの場合が骨折だったりする。
「大丈夫ですか」
と、いたわる振りをして階段をゆっくり上がった。
「ああ、あんなやつもいるんだな」
小声でいった。
「とにかく、あまりテレビ等大きくしないようにしてださい。あの人はいつもいい人なのに、酒飲んでるらしくて。それとやっぱ吸い殻もその辺に捨てないことです。小さい吸い殻入れあるの?」
ジジイはうなずいた。階段を上がれるのなら大丈夫だろう。二〇二の前だ。
「部屋へ入って背中見ますか?」
ジジイは首を振る。
「じゃ、大丈夫ですね」
ドアを開けてやる。
「ありがとう」
痛む表情が消え、小声でいった。ドアを閉めるとホッとした。郁人が巻き込まれるところだった。
「水本さん、ごめんなさい」
振り返ると階段にうつむいた新川がいる。
「殴ったら、死ぬかもしれないから」
小声で向けた。
「あの時は許せなかった、でもこれでよかったかもしれません。お休みなさい」
新川は反省したようで上がって行く。
ため息が交じり一階へ下りた。何度も思うがとんでもない奴が越してきた。
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