第60話 何処へ行くのだぁ


 寧波の港を目前に、足止めされた博多からの船は一艘、二艘ではない。散らばる島のあちらこちらに嵐逃れをしている。

 風除けしていても、停泊していても船は揺れる。留吉探索団は荷物の隙間に身を竦める。

 吉郎はまたまた青ざめ、伸びている。

 あちらこちらの隙間で、もぞもぞと動き出した気配が伝わってくる。

 勝次が、南針を促して船端へ動いた。

「島へは上陸せず、寧波へ向かうでしょう」

「おれは、船酔いはしないようで、助かります」

 勝次の手が南針の手に触れ、何かを握らせた。

 小さな竹筒のような、ああ笛かと南針は指先で確かめた。

「それは、南海の玩具おもちゃです。おれが、京都の屋敷を出るのに荷造りしていると、それを突っ込みましてね。南海も行く気だなと思いました。翌朝、草鞋を履くと背中に飛びついてきましてね、ほんに可愛いやつで‥‥‥」

 両手で撫でさすっていた南針が、口元に近づける。

「あっ、それは汚ねえですよ。南海の涎で汚れたままで」

 それでも笛は小さな音をたてた。

「元気者で、ふとん坊で、悪戯者で、ほんに可愛いやつで」

「ありがとう、勝次どの。これは、わたしが頂いて良いのでしょうか」

「へぇ、ささやかな京都の土産で、お恥ずかしい」

 錨を上げて船が動き出した。


 留吉は、寧波近くの山の上にいた。

 阿育王寺の庫裡の囲炉裏近くで、初老の典座てんぞが作ってくれた粥を夢中でかき込んでいる。

「粥は逃げぬぞ、ゆっくり食え」

 宋語だが、その音調に倭語の匂いがする。

 椀の縁から目を上げ、見つめると優し気な目が笑っている。

「ご坊は、日ノ本の方でございますか」

 留吉の倭語が通じなかったのか、答えはない。

「こちらに、日ノ本の将軍さまの舎利があると聞きました。本当でございましょうか。この少年は日ノ本より勉学に来た者で、鎌倉の生まれでございます。もし、将軍さまの舎利があるなら、お参りしたいと遥々ここへ来たのです」

 粥をすすり終えた照磨が、早口で話している。

 留吉の事なので、良く分かる。話の内容が掴めると、会話を解する力になる。

 典座の後に従い、少年二人が寺院の中を歩いている。先導者がいなければ、間違いなく迷子になる広さだ。

 ギギィーと小さな音を立てて、扉が開いた。

 辿り着いた塔頭たっちゅうにある小さな厨子だ。

 これが、舎利かと目が点。

 小さな白っぽい塊が、薄っすら埃をかぶり鎮座している。

 やがてそれが、髑髏しゃれこうべの形をした彫像と見てとれた。

「これが、鎌倉将軍の髑髏とされている。昔火事があって、焼け落ちた塔頭の中からお出ましになった。書き付けなどは焼けてしまい、この水晶の像だけが残ったのだ。当時の僧侶はもはやいない」

 留吉は、畏まり思わず両手を合わせる。

 照磨が美しい声で経を唱えてくれた。

 丸磨が待っている。臨安に戻るのだ。

 戻りたくない留吉は、ここで小坊主になるか、なれるかと模索する。

 いじめっ子の陽針から逃げているのか。

 お世話になった人々に、背を向ける恩知らずか。

 優しい人たちに恵まれ、のほほんと生きることが、希なのか。

 憎い陽針だが、と大書した団扇を盛大に振って、留吉が前に進むのを煽ってくれる。

 前に向かう勇気がなければ、海嘯の大波を乗り越えられない。

 そうだよなと、成長著しい少年留吉がそこいた。


 嵐をやり過ごした船は列をなしていた。

 じっと待つしかないようだ。時たま、列を離れて前に進む船がある。南宋の船らしい。

「謝涛屋の船なら、あの後に付いて行けそうですけどね」

「ほう」

 吉郎と勝次が囁き合っている。

 翌日になって、やっと船が動き出したが、この船は寧波止りだ。

 三人は、道案内を頼んで陸路臨安に向かうのだ。


 それぞれの思いを胸に、波に乗る男たち。

 この時から数年後、文永十一年(一二七四)、大元と名を改めたフビライ蒙古は、九州に攻め寄せる。

 波丸こと南針は、二十九歳。息子の南海は九歳でまだ戦力とはならないが、留吉は十八歳で一人前だ。果たして何処で如何に戦うのか。武器を持たぬとも降りかかる火の粉は払わねばならぬ。好むか好まざるかに拘わらず大きな力に挑むであろう。

 南針の双子のような異母兄弟菊池武房は、その雄姿を「蒙古襲来絵詞」の中で讃えられている。

 蒙古に痛めつけられた南宋復活の後ろ盾に鎌倉幕府を誘導することを目的に放たれた間者は数多く、南針はその末端の一人で、二人目は陽針か。

 難民のように渡って来た僧の多くも、同じ意識を持っていた。高僧なれば、執権北条時宗に近侍し、その思想まで操ることも可能だ。

 モンゴルは、頻りに書簡を持った使者を送ってくる。返事をよこさない極東の小島を攻める価値があるのか。

 隣の宋国や朝鮮国は、武力で従える必要があるが、荒海の向こうにある小さな島国などは仲良く和を結ぶだけでも良かったのかもしれない。

 少年の頃から、父親第七代執権北条時頼の傍で、渡来僧の文化知識に触れて来た北条時宗は、強気の姿勢で蒙古の使者を切り捨てた。


 逃げてはいけない。

 戦わなけれならない。

 誰もが、そう思ったわけではない。

 しかし、降りかかる火の粉は払わねばならなかった。



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波乗り間者かまくら譚 千聚 @1000hakurin

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