ルミノウスモス

坂水

*

 ・・・・・・すべて回答できましたか?

 まだ未回答の設問がある方がいるみたいですね。あと五分延長します。

 ――自分はもう終わった? 雨が降りそうだから帰りたい? 早く部活に行かせろ? 

 ああ、八倉君はバスケ部のレギュラーになったそうですね、おめでとう。でも、もう少し待って下さい。

 これは、あなた方の心理的な負担の程度を把握し、健全な学校生活を守るためのアンケートです。未回答の項目があると正確な結果が出ません。どうか、真剣に取り組んで下さい。

 ……西川君のタブレット、画面が割れていますね。操作しづらいでしょう。あとで代替品を取りに職員室まで来てください。

 それにしても今日は蒸し暑いですね。こんな日に空調が故障するなんて運が悪かったです。週末には業者さんを呼んで直しますので今日だけ辛抱して下さい。


 え? いえ、残念ながらデートの予定はありません。最近、理科の五島先生と仲がいい? 五島先生には仕事上の依頼をしているからそう見えるのでしょう。髪を下ろしているのはいつも使っているバレッタが壊れてしまったからです。見苦しくてすみません。皆さんも留め具がこすれて首筋が痒くありませんか? もっともこればっかりは我慢してもらうしかないのですが。

 

 ……さて、全員回答できたようですね。では、送信して下さい。これで第十三回ストレスチェックを終わります。


 ――こんなアンケートに意味があるのか? お金と時間の無駄遣い。馬鹿馬鹿しい。


 そうですね、正直なところ、私もこのアンケート自体には意味がないと思っています。

 驚きですか? 教師がそんなこと言うなんて。

 ああ、他のクラスに迷惑になるので、お静かに。

 そうですね、そろそろこの取り組みについて、きちんと説明をすべきなのでしょう。


 元々、ストレスチェックは労働安全衛生法の元、五十名以上の従業員がいる全事業場に義務付けられた制度です。高ストレス者を抽出し、メンタルヘルス不調を未然に防止する一次予防を講じて、より働きやすく健康的な職場へと改善することを目指していました。結果は本人に通知され、高ストレス者は医師と面談して改善を図る――タブレットに概要図を送ります。導入はもう半世紀以上も前ですね。

 あなた方が受けているのはその中学生用に改良されたアンケートです。我が校が青少年心身健康向上モデルプログラム研究指定校にされているのは知っていますね。ちなみに国からそこそこの補助金が出ています。

 それはさておき……こちらのグラフをご覧下さい。

 この国の十五~十八歳の死因の一位は自殺です。五歳刻みの年齢階級死亡数で三十九歳まで一位は自殺が続きます。

 ですから、あなた方は来年から四〇歳になるまで、自殺で死ぬ可能性がもっとも高い――と言えるかどうかは国語科担当の私にはよくわかりませんが。ちなみに十~十四歳では一位は悪性新生物――つまりはがん、二位は自殺です。この順位はここ三十年変わっていません。

 では、十代の自殺の原因は何か――当然、人それぞれでありましょうが、学校としては少なくとも学校生活であってはならないわけです。家庭や健康や学校外での男女関係ならば別段構わないのですが。

 ……少々口が滑りました。聞き流していただけると助かります。


 学校生活で発生しうる自殺の原因――一番に思い浮かぶのは、まあ、いじめですね。

 ですが、学校という場はいじめを誘発する環境なのです。皆仲良くという理想の共同体を要求される閉鎖空間は、その空間の中で強い立場にいる者にうべなう、一般社会とはまた別の秩序を生み出します。

 ある本ではこれを、群れの勢いによる秩序――群生秩序と名付けていました。共同体に馴染めなかった者や弱い立場の者が、秩序を乱すと攻撃されたり、秩序をより強化するための生贄とされたりします。この秩序は、閉鎖空間ゆえに道徳や倫理や一般常識などの上位となり、時に信じられないほど残酷な行為ができてしまう。秩序に従っているわけですからね。


 ……だから、いじめを無くすには、現在の学校制度を廃止するのが最も手っ取り早い。

  

 とは言っても、何万人もの子を犠牲してもなお守り続けてきた〝学校〟を今更、お上が変えるはずもありません。過ちを認めることになってしまうから。そこで青少年心身健康向上プログラムなぞ立ち上げてお茶を濁すわけです。まあ、学校が無くなれば私も喰うに困ってしまうのですが。

 言い忘れていましたが、私は今年度の当校の青少年心身健康向上モデルプログラム研究会のメンバーに選出されています。昨年は個人的な事情により免除されていましたが、今年は逃げ切れませんでした。

 同じように、高校、大学、職場、地域と、生きる上で共同体からは逃げ切れないものです。共同体の数だけ秩序は生まれ、いじめは発生します。残念ながら。

 

 ところで、共同体の最小単位はなんだと思いますか? わかる人は挙手して下さい。


 ……思い当たった方もいるでしょうに、なかなか手を上げくれませんね。タブレットに送信してくださいと言ったなら、いくつか回答がきたのではないでしょうか。やはり、見られるとは負荷が掛かることなのですね。


 夫婦、親子、兄弟――つまりは家族です。


 少し、身内の話をしても良いでしょうか。貴重な放課後を割いているのですから、手短に済ませます。

 

 私の両親は事故で早世し、私と妹が残されました。私たちは二人きりの家族ですが、各々別の親戚に引き取られ、幸か不幸か共同体とはなりませんでした。

 妹の境遇はあまり幸せとは言えず、彼女は自分の家庭というものに憧れて早くに結婚しました。

 けれど、夫婦という最小の共同体で、一般社会とは別の秩序が生まれてしまったのです。

 義弟となった男は、いわゆるモラハラ夫でした。義弟は私より年上で、妹は若く学歴も職もなく、家事に気に入らない点があれば執拗に責め立てられ、また仕事上のストレスの捌け口にもされていたようです。私が気付いた時には遅く、妹は心身ともに病み、事故か自死かわからない状況で亡くなりました。


 妹の生前の様子や、メールやSNSでのやりとりから、義弟を糾弾しましたが、彼は空とぼけました。夫婦喧嘩はあったが、ちょっとしたものだったと。ならばどうして受診が必要なほど妹が病んだのか問い詰めれば、妹は良く言えば人よりも感じやすく、悪く言えば大げさだったのだと。考えすぎ、気にしすぎ、思い込み──どこかで良く聞く言葉ですね。


 義弟は妹の死後なおつやつやと元気で、本性を知らない人には同情すらされて、ますます得意となっていました。

 その様子に、私はこう思いました。ああ、妹は義弟に喰われていたのだと。日々、喰い付かれ、喰い千切られ、とうとう喰い尽くされたのだと。そして義弟は獲物を逃さず完食できて満足しているのだと。


 もちろん、これは個人の感想であり、喰われるというのは文学的というか、夢見がち、いえ、怨みがましい表現なのだと重々承知しています。

 今年度になり、妹を見舞っていた時間が空き、いじめに関する書籍をいくつか読みました。その中に、欧米の研究者のいじめの定義の四要素が記述されていました。

 

 ①相手に被害を与える行為

 ②反復性

 ③力の不均衡

 ④不公平な影響

 

 定義は地域や年代によって変わるものでしょうが、あまりに妹夫婦にしっくりと当て嵌まったので、驚きました。


 ……話を戻します。従来のストレスチェックは高ストレス者、つまりは被害者に自覚させケアすることに終始しています。

 もちろん、自覚やケアは大事です。妹もそうでしたが、無自覚に血を流していました。ああ、ごめんなさい、比喩でわかりにくいですね。自分が至らないから、叱責されるのだと思い込んでおり、叱責を受け入れていたのです。

 そんな被害者を手当てケアしたとしても、また喰いつかれてしまう。堂々巡りです。

 ならば、浮かび上がらせるべきは逆ではないかと考えるようになりました。

 けれど、被害者が加害者を訴えたところで、力の不均衡、不公平な影響の下、あまり効果があるとは思えません。

 そこで同じく青少年心身健康向上モデルプログラム研究会メンバーの五島先生に相談したのです。


 皆さんが学校から支給されているこのチョーカーは自動体調管理装置オートバイタルチェッカーであり、体温、呼吸、脈拍、血圧などのデータが自動的に健康管理センターに送られています。さらに、私の提案によりもう二つの機能が追加されています。


 一つは高感度脳計測装置です。

 タブレットをご覧下さい。

 詳しい説明はまた五島先生にお願いするとしますが、人は不安や恐怖を感じると、脳の扁桃体――この赤い二か所です――が活性化し、「不安や恐怖に対処せよ」という指令が視床下部に伝達され、副腎からストレスホルモンが分泌されて臓器や自律神経が様々な反応を起こすそうです。

 つまり、この計測装置では、偏桃体の反応を読み取り、誰がいつどれだけのストレスを受けているのか、数値化されてわかるのです。

 数字は、〝いじめ〟ではなく〝いじり〟だったという斟酌はせず、友達、家族、夫婦、部下と上司など、それらの関係性も考慮しません。ただ結果として現れます。

 例えば、特定の〝誰か〟が近くにいる時、高ストレスの値が示されるとしたら、それは何を意味するでしょうか。


 ……降ってきましたね。長々と話してしまい、すみません。もう終わりにします。

 傘がない方は、遺失物置場で傘を借りて帰って下さい。暗くなってきましたので、気を付けて。


 ――もう一つの追加機能ですか?


 ストレスは数値化され、管理センターに送られてフィードバックされます。ストレスを感じた方ではなく、ストレスを与えた方へ。

 浮き上がらせるべきは加害者です。どうすれば効果的に知らしめられるか考えました。思い付いたのは、国語教師の洒落のようなものでお恥ずかしい限りなのですが。

 

 ……皆さん、どうしました?


 ああ、そう、これがもう一つの機能です。

 チョーカーはフィードバックにより、緑金色に光ります。私の首のうしろが光っているのでしょう。今、話を聴いている皆さんの高ストレスが反映されているのです。

 先日、授業で『ひかりごけ』取り上げましたね。あの小説とも戯曲とも言える奇妙な物語。その中では、あれ・・を喰らった者が光るとされています。言ってしまえば、そのパロディです。ただし、物語と違い、喰らった者にも見えるようにしました。可視化は、抑止となりますから。

 もしかしたら、恋とか、友情とか、ライバル心とか、そういったものも反映されてしまうかもされませんが、皆さんの命には代えられません。もちろん、学校に通っているほんの短い間だけのこと。

 ……牢獄? そうですね、この光は、皆さんを閉じ込める牢獄であり、頑丈な城郭ともなるでしょう。皆さん自身の視線によって。


 髪を上げれば、より見えるはず。よく見て下さい。もっと近くに寄って、よく見てください。さあ、どうですか、わかりますか。

 ……さあ、次は誰の首のうしろが光るでしょうか。よく見ていて下さい。



[参考文献]

 ひかりごけ/武田泰淳(新潮文庫)

 学校を変えるいじめの科学/和久田学(日本評論社)

 いじめ問題をどう克服するか/尾木直樹(岩波新書)



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