サンダルでダッシュ!

尾八原ジュージ

サンダルでダッシュ!

 そうなんだ。悪いけど君の作品のタイトルね、『ドキドキ☆真夏のサンダルダッシュ!』。


 あれ、変えてもらえないかな?


 内容はいいと思うよ。海の家再建のため、デリバリーを始める女子大生バイトの青春コメディね。俺も好きだよ、ああいうの……いや、タイトルがダサいから変えてほしいわけじゃないんだよ。決してダサいわけでは……あ、ダサいのは狙ってたの? よかったぁ。いや、でもそれは関係ないんだ。


 実はこのK大映研には、あるお蔵入り作品があってね。俺たちの間ではそいつが禁句になってるんだ。そのタイトルが『サンダルでダッシュ!』って言うんだよ。


 な、たまたまだけど似てるだろ。ミーティングのとき皆が嫌な顔したのは、そういうわけなんだよ。




『サンダルでダッシュ!』が撮られたのは2年前、俺たちが2年生の夏休みだった。


 監督は俺と同級生の佐藤って奴で、撮影スタッフも兼ねてた。出演者は佐藤の彼女の南って子で、主に女優をやってて演劇部とも掛け持ちしてた。『サンダルでダッシュ!』は、ほとんどこのふたりで撮った映画なんだ。


 10分くらいの短編なんだけど、失恋した女の子が、バスに乗って思い出の海に行く話だった。堤防から海を見たり、波打ち際を歩いたりしながらふたりの思い出を回想しているうちに、女の子は付き合い始めの幸せな頃を思い出してくる。そうするとだんだん前向きな気持ちになってきて、波打ち際をサンダルで走りだす。最後は汗だくになった彼女が、海に向かってニコッと笑っておしまい、って感じの絵コンテだったのを覚えてる。


 これは南さんありきの作品だな、と思ったよ。彼女、相当美人でスタイルもよかったんだよね。つまり、きれいな女の子がTシャツ短パンにサンダルの軽装で、波打ち際を走るのを撮りたいんだなと。映えるじゃない、そういうシーン。ハアハア言いながらだとちょっとエロいし。君も『ドキドキサンダルダッシュ』だから、その辺わかるんじゃないかと思うけど。




 さて、彼氏との回想シーンだけは、学内でほかの男子部員と撮って、残りは本命の海のシーンだけになった。それで佐藤と南さんは、ふたりでC県の海に向かったんだ。


 そこは海水浴場じゃなくて、ライフセーバーとかもいない普通の浜辺でさ。田舎の方で人も滅多に来ない。佐藤がそういうところを調べておいたらしいんだよね。まぁ撮影に行くんだから、人のいないところでないと困るよな。


 で、7月の天気のいい日に、ふたりは出発した。一晩現地に泊まって、次の日の朝早くから撮影するっていうスケジュールでね。南さんが近くの民宿で持ち物の支度やメイクをしている間に、佐藤が浜辺に行って下準備をしてたそうだ。


 さて、南さんが浜辺に行くと、佐藤が汗だくになって、「ここからここまではゴミを取り除いたから、安心して走ってくれ」なんて言ったらしい。なるほど、打ち寄せられたコンブやなんかが、20メートルくらいに渡って片付けられて、きれいな砂浜が見えてたそうだ。


 そうして撮影が始まった。南さんは撮影用のサンダル……鼻緒を親指と人差し指に挟むタイプの、底がぺったんこのやつだね。決して走りやすい代物じゃないんだけど、そいつを履いて、佐藤に言われるまま砂浜を何回も走った。


 彼女はまず、端から10メートルくらいをダッシュするところを何本も撮ったと言ってたな。佐藤がアングルを変えて、何度も撮影したがったらしい。


 南さんは元陸上部で短距離をやってたそうだけど、砂場だしサンダルだし、やっぱりそこそこキツかったみたいだ。汗を演出するための霧吹きも用意していったけど、そのうちに本物の汗が吹き出してきて、息が上がってくる。頬も紅潮して、ポニーテールが緩んでくる。それでも時々メイクや髪型を直しながら、彼女は何度も走ったそうだ。出演する以上はきっちりやりたいって気持ちも、そりゃもちろんあっただろうけど、彼女は元々佐藤の撮る映像が好きだったんだよね。だから、余計張り切ったんだろう。


「よーし、お疲れ! 次は端から端まで頼むわ! 整地してあるところ全体を、なるべく全力で走り抜けてくれ」


 って、今度は南さんが海岸を走っていくところを、引きのアングルで佐藤が撮ることになった。


 合図とともに、南さんはサンダルで走り出した。言われた通り、思いっきり走ったそうだ。その日初めて整地ゾーンの終わりに差し掛かったそのとき、突然彼女の右足に激痛が走った。


 南さんは思わず砂浜に倒れ込んだ。痛むところを見ると、右足の甲とサンダルの底を貫通して、鋭いガラス片が突き刺さっていた。自分の足から血塗れのガラスの切っ先が覗いているのを見て、クラクラしたと言っていたよ。


 とても歩ける状態じゃない。彼女は少し離れたところにいるはずの佐藤に向かって「助けて!」と叫んだ。でもそのとき、彼はもう彼女のすぐ近くまで来ていたんだ。


 佐藤は撮影用のカメラを構えていた。気づいた南さんが手を伸ばすと、彼はその手を振り払った。彼女の顔がさっと青ざめた。


 佐藤は大怪我をした南さんを撮っていたんだ。


「痛くて動けないよ! 誰か呼んできて!」


 南さんが何度そう言っても、佐藤は小声で何かぶつぶつ言いながら撮影を続けるばかりだった。


 最初こそ驚きが勝っていたけど、だんだん普段とは違う彼の様子が怖くなってきて、南さんは波打ち際でうずくまったまま、痛みと恐怖でしくしく泣き始めた。その頃になると、彼女の様子をそれこそ舐めるように撮りながら、佐藤がずっと「いいよすげぇいい最高だよ」って繰り返し呟いているのがわかってきたらしい。そうしているうちに出血もあるし、汗もかいていたからだろう、だんだん気が遠くなってきた。頭がひどく痛くなって、身動きができなくて、悪夢の中にいるような気分だったそうだ。


 そのうち南さんはいつの間にか気を失って、気が付いたら太陽が真上に来ていたらしい。佐藤はいなくて、代わりに民宿のおじさんが彼女の肩を叩いていた。その人が救急車を呼んでくれて、彼女はようやく治療を受けることができたんだ。足の傷もだけど、熱中症もやばかったらしい。


 南さんから当時の部長に連絡が入って、当時副部長の俺は部長とふたりで、例の海岸近くの病院に運び込まれた彼女のところに駆けつけた。そこで何があったか話を聞いたよ。


 正直そのときは、俺は半信半疑だった。俺の知ってる佐藤は、明るくて気のいい奴で、周りの評判もよかったんだ。南さんとも本当に仲が良くて、すごく大切にしているように見えた。


 でも、病室のベッドで真っ青な顔をしてる彼女が、嘘をついてるようにも思えなかった。混乱したよ。


「谷田部、佐藤の家わかるか? あいつを探してくれ。俺は海岸を見に行く」


 部長にそう言われて、俺はこっちにとんぼ返りした。


 とりあえず佐藤のアパートに行ってみると、あいつはそこにいた。他に行くところがなかったのかな。思いきってチャイムを鳴らしたら、普通に出てきたよ。


 佐藤は普段とはまるで別人みたいだった。なんていうか、表情から何か大事な要素が抜けてしまって、人間じゃなくなったみたいだった。


「南さんに話聞いたよ。本当か?」


「本当だよ」


 死人みたいな顔で彼は言った。


「何でそんなことしたんだ」って俺が問い詰めたら、こう答えた。


「とにかく観てくれよ。俺が撮った映像を観たら、どうしてそんなことをしたのかわかるから」


 そう言うと佐藤は俺を部屋に入れて、カメラのモニターであの映像を見せたんだ。


 正直言って、俺は……あいつの気持ちがまったくわからないとは言えなくなった。どうしたらいいのかわからなくなった俺は、その場から南さんに電話して、どうすべきか尋ねたよ。


「絶対に消してほしい」と言われた。


 我に返った俺は、佐藤からカメラを取り上げて、データを消した。あいつもわかってたんだろう、文句ひとつ言わなかった。撮影したのはスマホじゃなくて、ネットに繋がっていないデジタルカメラだし、コピーしたデータもないと聞いた。もっとも本気で隠されたら、俺にはわからないけど……。


 その後のことは、俺はよく知らないんだ。佐藤は映研から籍が抜けて、大学からもいなくなった。南さんは大怪我はしたけれど、幸い後遺症もなく順調に回復した。でも、やっぱり映研は辞めてしまったよ。


 俺は最初、佐藤は魔が差したんだろうと思ってた。俺が知っている佐藤は、女の子が大怪我をしているのを喜んで撮影して、助けもしないような奴じゃなかったんだ。たまたま南さんが怪我をしたところを見て、その光景の異様な引力みたいなものに、心を奪われてしまったんだと思ったんだ。


 でも浜辺を見に行った部長が言うには、整地されたエリアの終わりには、太いラインを描くように、尖ったガラス片がたくさん埋めてあったそうだ。


 それを聞いて俺は、人間ってものがよくわからなくなったままなんだ……。




 とにかく、そんなことがあって『サンダルでダッシュ!』はお蔵入りになったし、今でも皆はそれに触れないようにしてるんだ。この映研のトラウマみたいなものさ。


 なので本当に悪いとは思うんだけど、タイトルは変えてほしい。うーん、『ドキドキ☆シーサイド出前大作戦』なんてどうかな? いい感じにダサいだろ? どう?

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