療養地では……(at an outskirts of central)

 エリストラーダにはほとんどの領地に移動拠点ワープポイントがある。

 移動元と移動先の了承が必要であるとはいえ、国中のどこにでもすぐに移動できるというのは物騒であると恐怖した幼い思い出があった。

 けれど、今となっては移動元と移動先の、移動距離などものともしない移動拠点は便利だと思うようになった。

 移動拠点の履歴は、しかるべき責のある者にしか確認できない。つまり、その責任者さえしつけておけば、簡単に他者に足取りを掴ませることはないということだ。

 脅威と捉えるか、便利だと思えるのか。その間にあった変化が何なのか、ハルイルト・ソズゴンはよく理解していた。

 力の差だ。

 弱者は恐れるしかなく、強者は恩恵に与る。

 中央貴族の後継者争いの中で生まれ育ったのだから、それは仕方がないとも思えた。


 幻術で髪を目立たない栗色へと変え、痕跡に気づかれない程度に認識阻害の魔法をかけたハルイルトは、裕福な商人やスポンサーを持つ学者がまとう程度の衣服を身につけて、ソズゴン領の中心から少し外れた街から移動拠点を使った。

 ハルイルトの動向にさとい父親ならば気づいているかもしれないが、他の身内には気づかれていないと認識している。この移動拠点を管理する役人を、ハルイルトがすっかり手下として懐柔していることに。

 当主として優秀な父は、家内の勢力に関しても絶大な力を持っているのでかすめ取るのはなかなかに骨が折れる。しかし、あの男はハルイルトがそうやって自身の手下を増やし、ソズゴン家の権力を握ろうとしていることすら楽しんでいるようだ。それが心底気に入らない。


 どうせハルイルトがこうやって秘密裏に訪れた先に何があるのかも、父はわかっていて好きにさせているのだろう。

 その先にいる敗者もまた自分の息子であるだろうに。



「お待ちしておりました!お兄様」


 栗色の髪に紫色の瞳。色白な肌にうっすらと朱を乗せて微笑み、うやうやしく綺麗な礼で出迎えるアルノニに、ハルイルトは静かに目礼で返した。


 アルノニはハルイルトより約2歳ほど年下の異母弟だ。

 異母弟の母は父の愛妾で、中央の由緒ある侯爵家の娘だった。彼女は元々ソズゴン家の夫人になるはずだった。けれど苛烈な性格の彼女に良い感情を抱いていなかった父は、婚約をはぐらかしてきたらしい。

 そして、学園で母に出会い、プロポーズした。地方の伯爵令嬢であった、何の政略の糧にもならない母に。信じられないことに、ハルイルトの両親は恋愛結婚なのだ。

 父は、母を正妻に据えて、アルノニの母を愛妾とした。彼女の生家から子どもをもうけることを条件とされていたから、ハルイルトが生まれた後にアルノニが生まれた。


 それだけぞんざいな扱いをされても、アルノニの母は諦めなかった。

 むしろ、全ての恨みつらみをハルイルトの母へと向けてきたのだ。

 ハルイルトが生まれる前から、母は愛妾に暗殺者を仕向けられたり、毒を盛られたりしていた。ハルイルトが生まれてからは、対象が母子2人へとなり更に勢いを増した。

 彼女の後ろにいたのは、前侯爵夫妻――ハルイルトの祖父母だった。

 何の役にも立たない地方貴族の娘が産んだ子どもよりも、名だたる侯爵家の娘である愛妾が産んだ子の方が利がある。

 当主と前当主の争いに、家の中は荒れていた。


 父は無能ではない。だから、前侯爵夫妻が愛妾の後ろ盾になろうと、母もハルイルトもそれなりに守られてはいた。

 けれど、目前で飲食物を盛った器が毒の色に変わったり、毒見をした侍女が倒れたり、ハルイルトの目の前で暗殺者が護衛に刺し貫かれたりするのを見るのは、幼かったハルイルトをひどく怯えさせた。

 母の側から少しでも離れると、自分は殺されてしまうかもしれない。不安で怖ろしくて仕方なく、怯えて母の影に隠れて過ごすようになった。

 あの時、恐怖に満ちていた世界から連れ出してくれた友を思えば、感謝しかない。

 あんな日々が続いて行ったとしたならば、父の関心が薄れた瞬間に、ハルイルトは抹殺されていた可能性だってあったのだと思っている。


 中央貴族の権力争いは酷薄こくはくだ。そして、後継者争いは権力争いでもある。

 ハルイルトは争いに勝てるだけの力を蓄えた。

 優秀であることを示すと、祖父母は愛妾に加担しなくなった。暴虐の限りを尽くしたと言える愛妾の罪を連ねて、家から追い出すことにも成功した。

 けれど、彼女の生家が健在なうち、……もしくは異母弟が生きているうちは、後継者争いは終わらない。


 アルノニは、ハルイルトよりも2歳弱年下だ。

 ハルイルトが怯えて暮らしていた頃、物心もつかない幼子だった。

 中央の流儀で行くのならば、この異母弟さえいなくなれば、ハルイルトの嫡子としての立場に憂いはなくなる。

 けれど。


「お兄様、魔法草の成分抽出方法で、良い改善案が浮かんだのです。ご報告させていただいてもよろしいでしょうか?」


 柔く笑うアルノニの姿を見て、ハルイルトは小さく口元を綻ばせた。


「一定の比較結果も取り揃えております。お兄様のお役に立てるのではと、心を躍らせながらお待ちしていたのですよ」


 誰にも何処どこにとも知られない場所に療養に旅立ったはずの異母弟は、無邪気に声を弾ませてハルイルトを応接間へといざなう。

 王都周囲に広がるソズゴン領の東の外れ。隣り合う小さな子爵領に優秀な養子がいることなど、父以外の誰にも気づかれてはいない。


「早く王都に呼び戻してさし上げられれば良いのですけどね」


 愛妾から早いうちに隔離できた異母弟は、悪意に染まってはいなかった。ハルイルトを兄と慕い、後継者争いに乗り出すどころか、兄の役に立てる官吏になりたいとすら願っている。

 その姿は、平和なエリストラーダ北西部の、仲間たちの仲が良い兄弟関係を思い浮かび上がらせて。

 異母弟を排除するくらいならば、その母方の侯爵家を一つ潰す道を容易たやすく選んでしまったのだ。


 聡い異母兄は、自分が兄の元で過ごせるのは、母とその血族が全てを失った時なのだと理解しているだろう。

 それでもためらいなく、嬉しそうに深く腰を折った。


「お兄様のお役に立てるよう励みながら、心待ちにしております」


 すでに主君と部下に等しい。そんな歪な兄弟関係だけれども。

 失わなくて済んだことが、この異母兄を自分と同じ恐ろしい環境に置かないで済んだことが。

 ハルイルトにとっては、この手で勝ち取った小さな成果でもあるのだ。

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異世界転生、ただし乙女ゲームのモブ男です。 ちえ。 @chiesabu

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