ストライカーはエゴの塊だから

スガワラヒロ

トライアングル・ゲーム

 高校総体の県大会決勝戦の、後半アディショナルタイムの残り半分を過ぎていた。


 牧原まきはらたまきは相手陣内でポジショニングし直しながら、目の前を駆け抜けていくむこうのキャプテン、白沢しらさわ芹那せりなの姿を見送る。


 ――まったく忌々しい女だ。


 今の自分のシュートだって、あいつにブロックされなければゴールネットに突き刺さり、試合を決める一撃になっていただろうに。


 環が白沢を疎ましく思うのは、なにもストライカーらしからぬ献身性を見せつけられたからだけではない。そもそもあちらのイコライザーが白沢のボレーによる一点ということもあるが、何よりも許しがたいのは彼女がよりにもよって夏緒なつおと旧知であることだ。


 桐山きりやま夏緒。こちらの不動の右ウイング。


 頭の左右で結った長い髪をなびかせてフィールドを駆ける夏緒は、中学時代は白沢とコンビを組んでいたのだという。環は県外の出身だから、今日このときを迎えるまで二人の関係を知ることはなかったのだけれど。


 環の脳裏によぎるのは試合前の一幕。スタジアム入りする前の休憩時間に、白沢はふらりと現れて夏緒と談笑していった。


 二人とも、実に楽しそうだった。


「夏緒も夏緒だよ……今は敵じゃん」


 環とて承知している。この感情が八つ当たりに過ぎないことは。


 昔のチームメイトと久しぶりに再会したのだ。テンションが上がるのもやむを得ないことだ、という理屈はわかる。


 けれど――


「あんたの今のパートナーは私でしょうが!」


 環は吠え、自陣でボールを追い回す夏緒を見やった。


 夏緒だけではない、ピッチに立つチームメイトたちは必死にボールホルダーへとプレスをかけ、最後のチャンスに繋げるべくボールを刈り取ろうとしている。


 環は守備に戻らない。ゴールを狙える位置に張る。


 それこそが自分にできる最大の貢献であることを、環は今日までのサッカー人生でよく理解していた。ストライカーなんて結局のところ相手ゴールを脅かしてなんぼだ。特に、延長を戦う体力をもたない層の薄いチームにおいては。


 だが直後、環は心臓の凍るような寒気に駆られて叫びをあげた。


「ハーフスペース! 白沢チェックして!」


 こちらのゴールを割らんと走る白沢が、サイドレーンとハーフスペースとの境界にポジショニングしていたのだ。


 ――つくづく厄介な女だ!


 約束事に従って動くこちらの守備だが、あの境界線上でのマークの受け渡しだけは最後までぎこちなさを払拭できなかった。その弱点を見事に突かれた。


 相手監督から指示が飛んだ様子はなかったから、白沢が自力で見破ったのだろう。加えてあいつにはこの試合中何度となくこちらを引き裂いたドリブルがある。多少離れた位置からでも充分エリアの中まで侵入しうる――それが白沢芹那というFWフォワードだ。


 ――さすがに私も戻るか?


 ――いや、とても間に合わない!


 たとえ環が全力疾走しても、ここから戻って白沢を潰すことは不可能だ。


 白沢にボールが入る。


 悪夢のようなドリブルが始まる。足が磁力を発してボールを吸いつけているかのごとき細かいタッチで、うかつに飛び込めないこっちの守備陣をあざ笑うかのようにヌルヌルと抜いていく。


 白沢が、シュートモーションに移った。


 そのときだった。


「――夏緒!」


 シュートを打つために白沢が足を振りかぶった一瞬の隙をついて、横合いから襲いかかった夏緒がボールを突っついていた。


 こぼれた球がこちらのセンターバックに渡るのを目の当たりにするが早いか、環は背を向けていた。


 カウンターになる。


 ペナルティエリアの手前で一度だけ後方を振り返って、夏緒がボールホルダーになっていることを見届けてからは迷わなかった。


「環っ!」


 夏緒の声、


「受け取りなさい!」


 ボールを蹴る音。


 環は一気にスピードを上げて、相手ディフェンスの裏へと出る。このタイミングでの抜け出しなら、オフサイドを取られることは絶対にない。


 ハーフウェイライン付近から放たれた夏緒のロングパスが、環の頭上を越して落ちてくる。芝に跳ね返ったボールめがけて、環の右足と相手GKゴールキーパーの左手とが競って伸びた。


 夏緒のパスには、バックスピンがかかっていた。


「――ナイス夏緒ぉっ!」


 ボールがつま先に触れるや否や、環は右足をぐいと押し上げる。


 ループを描いたシュートが相手キーパーの頭を越える。DFディフェンダーのカバーリングをすり抜ける。


 決勝点。


 スタンドが沸き立つのを全身の肌で感じたと思った。次の瞬間には背中から勢いよく抱きつかれてつんのめり、誰だよと思って振り返った目と鼻の先に、汗で濡れた夏緒の顔のどアップを見た。


「ありがとう環! 値千金のゴールよ!」


「っ……夏緒こそ、最高のパスだった!」


 笑みを返しながら、環は視線を彷徨さまよわせて白沢の姿を探す。


 存在感のある彼女だ。見つけるのは難しくなかった。肩を落とす者、ピッチに座り込む者さえいる中で、白沢はキャプテンらしく堂々と立ち、ラストワンプレーに臨まねばならないチームメイトたちを鼓舞すべく声を張っていた。


 ふと、彼女の首がこちらを向く。その双眸がゴールを決めた自分を睨んでいるのか、かつての相棒であった夏緒を見据えているのかは、距離が遠すぎてわからない。


 いずれにせよ、環のやるべきことは決まっていた。


 ――こいつは私のだ。


 環はまっすぐに白沢を見返して、夏緒の肩をぎゅっと抱き寄せた。

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