<五章:暗い海> 【02】【03】


【02】


 勇者が姿を消してから5日が過ぎた。

 魔王様は平静であり、あたしも不安の噛み殺し方を覚えた。

 時間が過ぎれば彼の現れる前の日常に戻る、かに思えた。

「報告するのだ」

 今日も赤い卵が報告に来た。

「海の状態は『シケ』。非常に荒れているのだ。湧き出たモンスターの数は大凡2000体。対話できる個体を確認する余裕はなく、全て焼き払った。以上、報告終わり」

 クリムゾンガンブラッド様の声に覇気がない。そして、サイズも普段の100センチくらいから70センチくらいに縮んでいた。

「ねぇ、クリムゾンガンブラッド」

「なんであるか?」

「どのくらい持ちそう?」

「今日のような日が続くのなら3日。それ以降は、我は少し眠りにつく」

「3日ね」

「魔王様が、健やかで心穏やかに日々を過ごせるよう祈っておく。では、帰って寝る」

 少し傾きつつ、ふわふわとクリムゾンガンブラッド様は魔王の間を後にした。

「眼鏡ちゃん」

「何でしょうか?」

「私に何か言う事は?」

 ない、と言えば嘘になる。ある、と言っても無意味な言葉が出るだけ。つまり、

「………………」

 沈黙せざる得ない。

「あ、そ」

 魔王様は平静なままそっぽを向いた。

 明日も海は荒れるだろう。しばらくの間は荒れ続けるだろう。その先、海はどうなるのだろうか? この城も、国も、敵も飲み込んで―――――――いや、それはただの破滅願望か。



 2日後、スケール様が報告に来た。

「魔王様、敵が攻めてきました」

「敵?」

「はい、500ほどの軍勢が国境付近の“自国民”を襲っています。大昔もありましたが、恐らくアレでしょうな」

「ああ、アレね。私たちが襲ったように見せかけて軍備拡張的な」

「でしょうね。俺が止めてきます。カラミアを借りて良いでしょうか?」

「許可するわ。手早く、徹底的に、誤解なく、後腐れなくね」

「御意」

 スケール様は素早く去る。

 入れ替わり、モサさんがやって来た。

「魔王様」

「はい」

「海の状態が酷いので、城の全隔壁を降ろすそうっス」

「じゃ、モサくんとブロブで住民の避難誘導をして」

「了解っス!」

 モサさんは敬礼をして………………去らなかった。

「あの魔王様」

「何?」

「大丈夫っスか? お加減が良くないように見えるっス」

「大丈夫よ」

「眼鏡さんは大丈夫っスか?」

 あたしにも聞いてきた。

「大丈夫ですよ。元気過ぎて、大声で叫びながら全力ダッシュしそうです」

「それは怖いっス。あの二人共………………いえ、何でもないっス」

 モサさんは出て行った。

「ねぇ眼鏡ちゃん」

「何でありますか?」

「私ってそんな酷い顔色?」

「魔王様、顔は隠しているではないですか」

「そうよね。おかしっ」

 あたしも聞きたい。

「魔王様、自分は酷い顔色でありますか?」

「酷い顔色ね。この世の終わりみたいな。絶望して更に絶望したような顔色」

「その程度でありますか」

「ありますわよ」

 思っていたよりも軽い。

「はぁ」

 魔王様はため息を吐いた。

「はぁぁ」

 あたしもため息を吐いた。

『はぁあぁぁァァァァ』

 二人揃って地獄に響くようなため息を吐く。

 と、久々に壁が破壊された。

 砕かれた壁から出てきたのは、青年一人、女二人の三人組だ。

 青年は身なりが良く、金の刺繍がされたマントを羽織って腰には宝石を散りばめた剣を帯びている。

 女の一人は神官風の服装、もう一人はトンガリ帽子とローブの魔法使いのような服装。女は共に若く美しい。

 青年は言う。

「さあ魔王よ、長き戦いの時に決着をつけよう」

「誰?」

 魔王様は、察したからこそ嫌そうな顔で訊く。

「見てわかるだろ? 本物の勇者だ」

 予想はしていたけど、当たってほしくなかった。

「小さい子がいたでしょ? 彼は何処に?」

「囮に使っていたアレか。頭のおかしいガキに壊れかけの魔剣を持たせたら、自分を勇者と勘違いして単身でこの城に突撃した。おかげで情報収集は楽にいったよ。思った以上に役に立ったが………お前らも酷いことをする。敵とはいえ、ガキを洗脳するとは」

「洗脳?」

 魔王様は疑問符を浮かべ、あたしにも視線を向けた。

「誓って、そのようなことはしていません」

「だよね」

 事実だ。他の誰も洗脳などしていない。カラミアさんの催眠も魔王様が解いた。他に、そんな搦め手を使う人も思い浮かばない。

「とぼけるな魔王。そこは高笑いだろ? 俺もそれなりに心は痛めたんだ。馬鹿とはいえ、ガキを手にかけたんだしな。何が『モンスターや魔王と仲良くできる』だ。吐き気がする」

 あたしは呼吸ができなくなった。

 精神的なショックもあるが、何よりも隣にいる魔王様の威圧が原因だ。

「さて、魔王。頼みの幹部は出払い、部下は無力な参謀が一人だけ、それで希代の勇者である俺と二人の高――――――」

 液体が弾ける音がした。

 勇者の隣、神官の女がいた場所に、内臓の一部と赤い液体が散っている。

「二人の何かしら? 一人減ったけど」

 クスっと魔王様が笑い声をあげた。

 どういう情報収集をしたのか知らないが、魔王様はこの国で一番強い。いや、この国の戦力全てを合わせても彼女には勝てない。まさか、それをご存じでない?

「ひっ」

 残った女が悲鳴をあげた。

 勇者は慌てず、冷たい表情で女の襟首を掴み、魔王様に向かって投げつける。女の体は魔王様に届く前に赤い液体と化し、その隙を突いて、勇者は魔王様の首を落とした。

 勇者と名乗るだけある見事な動きだ。

 見事ではあるが、

「終わり?」

「冗談」

 魔王様の首は落ちていなかった。代わりに折れた剣が落ちていた。

 なまじ強いと相手との力量差が見えてしまうのだろう。精神論だけでは絶対勝てない相手もいる。そういう敵と出会った時、人間の本性が出る。

 この勇者は、逃げ出した。

 怯えず竦まず、冷静沈着に最速のフォームで走り出し――――――見えない何かに潰されて平べったい肉になった。

 念入りに潰される。

 潰された後、血の一滴も残らず消し飛ばされた。

「眼鏡ちゃん」

「何でしょうか?」

「………こんな世界つまらないわ」

「言葉がありません」

 小さな振動を感じた。振動は徐々に大きくなり、城を大きく揺るがす地震となる。

 あたしは玉座に手をかけて揺れに耐えた。

 魔王様は異常に冷静だった。いいや、退屈そうだった。

 世界が揺れ、轟音と共に暗転する。


【03】


 頬に鈍い風を感じる。足元に濡れた感触。瓦礫の中であたしは目を覚ました。これは壁の一部だろうか? 足が暗い液体に浸かっている。

「起きたか」

「クリムゾンガンブラッド様」

 近くで赤い卵が浮いていた。

「随分とまあ」

 小さくなっていた。もう、あたしの顔より小さい。

「少し力を使い過ぎた。我の最強もしばらくお休みなのだ」

 赤い卵が落下して瓦礫の上を転がる。

 眠ったクリムゾンガンブラッド様を抱えて、あたしは歩き出した。

 ここは城の外だ。暗い海だ。歩けるほど浅い場所で助かる。

 海と同じくらい暗い空を見る。半壊した城はまだ浮いていた。あの様子だと、居住ブロックは無事だろう。

 遠くに見知った人影を見つけ、そこに向かって歩く。

 じゃばじゃばと水音。靴の中が濡れる不快感。浅いとはいえ水の抵抗は堪える。しかし、急に歩くのが楽になる。

 水位が変化していた。

 水が完全に引いて、砂利の敷き詰められた灰色の大地が見えた。

「眼鏡ちゃん。無事だったのね」

「はい、魔王様」

 遠くを見ながら魔王様が言う。

 彼女の視線の先に、あたしも視線を向けた。

 地平線を覆う巨大な黒い壁があった。

「え」

 壁? 違う。

 途方もない高さの津波だ。大災害は、距離の関係でゆっくりと迫ってくるように見えた。逃げようにも城を飲み込む大きさだ。もしかしたら、この国全てを飲み込むかもしれない。

「魔王様、あれは」

「この海は私の一部………………らしいわ。制御できないから今一実感はないけど、私の感情で揺れ動き荒れるのは確か。平静に平静にって自分に言い聞かせたけど、今回は駄目みたいね」

「お労しいとしか言えません」

「あなたも辛いでしょうにね。ごめんなさい」

「いえ」

 正直、他の皆には心底悪いと思うが、今日世界が終ったとしても悔いのない気分だ。

 あんな子供を利用する人間も、あんな利用された子供を救えないあたしたちも、みんな等しく滅んでしまえ。

「魔王様、あの津波は奴らの国まで届きますか?」

「行くでしょうね。まーた、私らの国は憎まれるわ」

「向こうが悪いのに、不愉快な話でございますね」

「そうね。ま、そういうもんよ」

「さようでございますか」

 せんない話である。

「魔王様。お仕えできて楽しかったです。次も、何て甘ったるい希望は持ちませんが、あたしと似たような子を見つけたら拾ってあげてください」

「了解よ。あなたみたいな子は二人といないと思うけど。でも、もし、万が一、“次”なんてものがあるなら、また会いましょ」

 津波が近付いてくる。濃い影が差した。

「勇者くんとも、また会えるかなぁ」

「会えますよ。魔王様」

「今度は三人でどこか遊びに行きたいわね。この国は好きだけど殺風景なのがいけない」

「それじゃ、あちらの国の景観の良い所を支配して別荘にでも」

「眼鏡ちゃん、そこはお忍びで良いでしょうが」

「えー」

「まあ、気持ちはわかるけど。どっちかが耐えないと争いは終わらないから、耐えるなら強い方が耐えるべきでしょ?」

「流石です魔王様」

 あたしは拍手した。

 津波が近い。細かな振動と異常な空気に鳥肌が立つ。逃れられない死を間近で見た感想は………………感想などない、だ。

 圧倒的過ぎて思考が停止してしまった。あれに飲まれて砕かれる自分が想像できない。

 まあ、考える必要などないか。終わる時くらい心静かでいたい。魔王様の言う通り、何かを憎んで死ぬのはせんない。

「では、魔王様。おさらばでございます」

「眼鏡ちゃん。今までご苦労様」


 と、


「すまないが、諦める感じなら一つ試したいことがある」

 背後から男の声がした。

『誰?』

 振り返り、あたしと魔王様は声を揃える。そこにいたのは、髪の短い褐色肌のメイドだった。

 いや、ホント誰?

「魔王様。ただ今、任務を終え帰還いたしました」

「えーと………………あっ! トットリくん?」

「今日はゲーベンフライトです」

 完全に忘れていたトットリオン様だった。

「パン屋を完全屈服させ、店の引継ぎを完璧に済ませた後、国の危機を察知し急ぎ帰還をいたしました」

「パン屋?」

 あ、マズ。

「魔王様。パン屋の件は自分が後で説明します」

「あとないじゃない」

「ですねー」

 なんという破滅ジョーク。

「魔王様。良いですか?」

「よいわ。トットリくん続けて」

「ゲーベン………いえ急ぎですので続けます。道中死にかけの眼鏡の知り合いを見つけ、治療をして、つまるところ“彼”に任せてみませんか?」

 嘘。

 まさか。

 彼って一人しかいないのだが。

「魔王、長き戦いの時に決着をつけようかッ!」

 瓦礫の上から大きな声が聞こえた。

 声の割に小さい姿だ。幼い顔立ち、半分赤く染まった白い癖毛、怪我負っても紫の両眼から力は失われず、風にボロボロのマントがたなびく。

 折れた聖剣を手に、彼は津波を睨みつける。

「勇者くん!? 生きていたの! ってか、決着って、え? え?」

 魔王様は混乱していた。

 あたしは思考が停止していた。

「そこのメイドさんから聞いた! あの災害が魔王なんだろ?」

「私の制御できない一部よ。あれも魔王といえば魔王だけど」

「なら! ボクがあれを倒したら魔王と決着がつくな!」

「そう………なるの眼鏡ちゃん?」

「な、なります! 勇者さん! できるのですか!?」

 突如湧いた救済にあたしは飛びつく。

 相手は魔王様でも御せない大災害だ。勇者とはいえ――――――そうだ。勇者でもない少年一人が何かできるはずもない。

 なのに、希望が湧く。できるなら信じたいと思う。

「できる! 何故ならボクは―――――――」

 少年は剣を担ぐ。

 折れた刃に赤い光が灯る。

 それは大きく、大きく、彼よりも遥かに大きな刃となった。

「魔王と決着をつける勇者! つまり、勇者を超えた勇者だから!」

 閃光と衝撃。

 振り上げられた剣は奇跡を起こす。

 巨大な津波が両断され霧散した。

 刃は天地すらも切り裂いた。

 まるで幻かのように災害が消える。誰かの悪い夢が覚めるかのように、夜が明けた。

 薄暗い空気が晴れ、空から光が降りてきた。

 あたしは、この国で初めて青空を見た。

 雲一つない透き抜ける青い大気だ。

 この世界がこんなにも美しいとは思わなかった。

「彼はたぶん」

 トットリオン様が語りだす。

「勇者ではなく、別の何かなのでしょう。もしかしたら、この世界の住人ですらないのかも。けれども、子供にはなりたいものに挑戦する権利がありますので」

「トットリオン様、もしかしてダメ元でした?」

「ダメ元だった。成功して滅茶苦茶驚いている」

 この人もなんてことを。

 風が吹く。

 魔王様のベールが風にさらわれた。

 あたしは、この人の顔を、笑顔を初めて見た。

 同じような笑顔で、勇者を超えた勇者さんは言う。

「どうだ! 決着ついたか!」

 そうね、と小さい声。


「私の負けよ」


<終>

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勇者と魔王の相互作用 麻美ヒナギ @asamihinagi

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