傘の中に潜むモノ

月浦影ノ介

傘の中に潜むモノ

 


 これはFさんという、二十代後半の女性から聞いた体験談である。

 

 今から七年ほど前のこと。その当時まだ学生だったFさんは、図書館からの帰り道の途中で赤い傘を拾った。 

 鬱々とした梅雨空が続く六月の夕暮れ、薄闇が徐々に辺りを覆い始める時刻だ。

 折から降り出した雨に祟られ、近道しようと途中の公園へ足を踏み入れた。


 雨に濡れた芝生の上にぽつんと一つ、インクの染みのように落ちていた赤い傘を見つけたのはそのときだ。

 

 少し大きめの長傘である。所々薄汚れて色褪せており、その赤の濃淡がまだら模様になっていて、何だか血溜まりのようで薄気味悪かったが、このままずぶ濡れで帰るよりは遥かにマシだろう。

 そう判断したFさんは、迷うことなく傘を拾い上げた。開いてみると特に破れ目があるわけでもなく、骨組みもしっかりしており、十分使用に耐えられそうだった。

 

 赤のまだら模様が気に入らないが、アパートに帰るまでの間だけだ。本来なら拾得物を勝手に使用してはいけないのだけど、どうせ誰かが捨てた傘だろうし、今は緊急事態だから仕方がない。

 そう思ったFさんは、そのまま拾った傘を差して歩き始めた。


 異変はすぐに起きた。


 頭頂部の辺りの髪の毛が、いきなり強い力でグイッと上に引っ張られたのだ。

 驚いてその方向を振り仰ぐと、傘の骨組みの間から白く細い腕がぬうっと伸びて、Fさんの髪の毛を鷲掴みにしている。

 

 ───傘の内側から腕が生えている。

 

 あまりに信じられない事態に、Fさんは絶叫した。それから急いで傘を放り投げようとしたが、白い腕はFさんの髪の毛の根元辺りをガッチリと掴んで離そうとしない。

 

 パニックに陥りながら、Fさんは言葉にならない悲鳴を上げて傘を振り回した。

 すると突然、Fさんの頭を飲み込もうとでもするかのように、バサッと音を立てて傘が閉じた。

 目の前がまだら模様の赤で一杯になる。急に視界を奪われ、Fさんのパニックは頂点に達した。


 自分でも信じられないほどの力で無理やり傘を引き剥がし、地面に叩きつけるように投げ捨てる。そのとき頭頂部の辺りでブチブチッという嫌な音と共に激痛が走って、Fさんは思わず悲鳴をあげた。

 

 赤い傘の中から伸びた白い腕は、まるで蛇のようにのた打ち回っている。その手にはFさんの頭頂部からむしり取った長い黒髪が一房、手首の辺りに絡み付いてしっかりと握り締められていた。

 

 その光景を目撃したFさんは、絶句してその場にへたり込んだ。


 やがて白い腕は暴れるのを止め、Fさんの髪の毛を握ったまま、赤い傘の中にズルズルと引き摺り込まれて行った。

 そして白い腕に続いて、髪の毛の先端が傘の内側に隠れたとき、Fさんはハッと我に返り、ずぶ濡れになりながらも転がるように逃げ帰ったのだった。


 ようやくアパートの自室にたどり着き、鏡の前で確認してみると、頭頂部の辺りの髪の毛が拳ぐらいの大きさでゴッソリとむしり取られている。皮膚に血が滲んでズキズキと痛んだ。

 

 ・・・・・自分が見たものは一体何だったのか。

 

 先ほどの体験に恐怖で震えながら、Fさんは髪の毛をむしり取られた痕を鏡に映しつつ、傷の手当てをした。

 翌日、恐る恐るその公園へ行ってみたが、あの赤い傘はどこにも見つからなかった。

 背中まである長い黒髪が自慢だったが、髪の毛がある程度生え揃うまで、Fさんは帽子を被ってしばらく頭を隠したそうだ。

 

 傘の中に潜んでいた、あの白い腕はいったい何だったのか。Fさんはそれ以来、傘を差すのが苦手になったという。

 

 「思うんですけど、あの傘はああやって次の獲物を待っているんじゃないかって気がするんです」


 Fさんはそう言って、この話を締めくくった。


                 (了)

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傘の中に潜むモノ 月浦影ノ介 @tukinokage

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