人形屋籐子との会話
*異島奏芽の壮絶な最期をお届けする予定ですが、その前に最凶かつ最狂の片鱗をのぞかせるシーンを公開します。
*4巻115ページ以降にあたるシーンです。
人形屋籐子が異島奏芽と涅槃喫茶で恋人について話をしています。
「東京に参りましてからしばらくは商売女や行きずりの男を相手にしていました。好きな方ができて止めました。その方は私の手の届く方ではないので、お付き合いすることはかないません。そこで手近なクズに相手してもらうことにしました。禁欲も試みましたが、せいぜい数日しかもちません。異島奏芽は肉欲をこらえられないのです」
奏芽は珈琲をにらんだまま話し続ける。こんな私的なことまで聞いたのは初めてだ。聞きたくなかった。なんでこんなことになってしまったのか。
「あ、そうなんだ」
奏芽が黙ったので、なにか言わなければと思い、思い切り間の抜けたことを言ってしまった。こういう話は本当に苦手だ。
「もし、そのような外部の者と刹那的な関係を結ぶのが団の運営上よくないということでしたら、団長に相手していただいてもよいのですよ」
「は?」
一瞬、意味がわからず訊き返すと、奏芽は珈琲から目をそらして籐子に目を向けた。こんなに近くから黒目がちの目で見られて、どきりとした。麝香の香りが漂ってくる。
「異島奏芽からそういう対象として見られていることが意外だったようですね。無礼を承知で申し上げます。私は団長を陵辱する妄想を何度もしています。勝ち気な龍子を屈服させて犯すのも好きな妄想です。それから……」
奏芽は何人かの団員を名と妄想の内容を語った。籐子は顔を真っ赤にして黙って聞いている。どう答えればいいのかわからない。いつの間にか傍らに来ていた解脱が声を殺して笑っているのに気づき、からかわれているのだとやっとわかった。
「趣味の悪い冗談は止めて」
火照った顔で奏芽をにらむ。
「失礼しました。しかし人形女給兵団の中でそんな事態になるよりは、外の相手の方がよいことはおわかりいただけたと思います」
「充分わかった」
「ありがとうございます。ただ、異島奏芽が肉欲の虜というのは本当のことです。我ながら羞恥の極みです。任務がなければ思う相手と抱き合ったまま何時間でも何日でも過ごしてしまうでしょう」
そう言うと奏芽は珈琲を一気に飲み干す。なぜ、そんなに自分の恥ずかしいことを話したがるのだろう。
「失礼します。ありがとうございました」
奏芽はそう言って籐子に頭を下げると、すたすたと去って行った。あっけにとられている籐子に解脱が寄ってくる。
「今までにない考え方をする子でしょ。三番隊って変わった子が多いけど、あの子は特に変わってる。”鋼の処女”の籐子ちゃんにあんなこと言える子は他にいない」
解脱はまだ笑っている。そんなにおもしろかったんだろうか?
「うん。新しい感じがした。でもそれはどこにもより所がないからそうなっているのよね。そう思うと悲しい」
「清川さんのことを教えないでごめんなさい。付き合ってることは知っていたけど、報告するまでもないと思ってね。素性は怪しい人じゃないのは確かだし、お国に刃向かう気概もないから安全」
「淫らなことだけ一人前って人なんでしょう?」
籐子の言葉に解脱は噴き出した。
「おもしろい、その言い方! でも女遊びはしていないはず。奏芽ちゃんだけ」
「そうなの? だったらよかった」
奏芽は危うい感じがする、と籐子は少し不安になる。一見、硬く壊れそうにないけど、本当は脆くてなにかのきっかけで熱情があふれ出して自壊してしまう。さっきもそうだった。冗談と言ったが、全部が作り話とは思えない。籐子は奏芽の妄想の中で自分が襲われているのを想像して憂鬱になった。
その日の夕方、涅槃喫茶の仕事を終えた奏芽は、店の窓から夕暮れに染まる石畳をながめながら、今日は田端には行かずにおこうと決めた。籐子に言われたからではないし、監視されているからでもない。男に抱かれて、甘い言葉を味わい、饒舌な文学談義を子守歌代わりに聞いて眠りに落ちるのも飽きた。どうせ都に帰るのだ。潮時だ。
やはり自分が愛せるのは死を知っている者だけなのだ。涅槃喫茶で清川に見初められ、口説かれたからつきあってみたが、しょせん並の人間は底が浅い。人を殺したことのない者は人を愛することができない、と奏芽は信じている。よけいな雑念を全て捨て去って、相手の生や愛に自分をぶつける。ぎりぎりの生死の境目でこそ、人間の本性がわかる。そこで初めて繋がることができる。
だが、氏家のような性根の腐った人間ではダメだ。ああいう輩はなにをしても自分のことしか考えられない。決して他人を自分の世界にいれない。己も相手も形がなくなるまで溶け合い、殺し合う覚悟がなければいけない。氏家はしょせん、他人を壊すことにしか興味のない安っぽい人間なのだ。
人形屋籐子や蓬莱霞は奏芽にとって理想の相手だった。何人の人間を殺してきたのか本人たちにもわからないだろう。決して消すことのできない恨みを背負って生き、これからも人を殺し続けるのだ。その深い業が死と隣り合わせのきわどい快楽の源となる。
生まれてから人を好きになるという感覚がわからなかった。肉欲や執着は幼い頃から感じてきた。肉体的な接触なしに相手を思うことができるのが理解できなかった。だが、人形屋籐子と蓬莱霞に会った時、脳が痺れ、胸が締め付けられるような感覚に陥った。行動を共にしているうちに、その思いは強くなり、やがてそれが恋というものだと知った。
籐子があの無双の腕前で無数の女を殺し、その血の池で苦しみもがく姿を見たい。籐子の腹を切って手を突っ込み内臓を愛撫したい。耳を食いちぎりたい。悲鳴を聞きたい。蓬莱の絶望した顔を見ながら身体中を噛みながら犯したい。屍屋事件で瀕死の重傷を負った蓬莱の凄惨な美しさが忘れられない。奏芽の中に収まることのない歪んだ欲望が燃えさかった。
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