異島奏芽の最期 3
*当初は氏家の処刑から決戦まで少し時間がありました。人形屋籐子はいったん自宅に帰って一晩をすごしています。そこでの話です。
氏家を拷問した後で籐子が家に戻ると、すでに両親は京都に向けて発った後だった。使用人がひとり残って両親の荷物をまとめていた。後から送るように頼まれたのだという。
食欲はなかったが、食べなければ持たない。明日以降なにが起こるかわからないのだ。籐子は用意されていた夕食を無理矢理押し込んだ。お茶を飲んでいると、雷鳴が轟き、本格的な暴風雨になった。
「大変、大変」
使用人があわててあちこちの雨戸を閉めて回る。籐子も手伝って全ての雨戸を閉めると、それからふとんを敷いて床に入った。目を閉じると、さきほどの氏家の姿が浮かんできて頭から離れない。悶々としていると人の気配がした。
「起きているか?」
祖父が部屋の外から声をかけてきた。祖父は居候の栞とともに母屋で暮らしている。わざわざ夜にやってくるのは珍しいが、緊急事態ならこんな悠長な呼び方はしない。栞が病気にでもなったのだろうか?
「なに? 起きてるっていうか、起きた」
上半身を起こして答える。
「異島の娘が錯乱してる。ワシではわからんから話を聞いてくれ」
錯乱するとはなにがあったのだ?
「栞が? どういうこと?」
「寝てたと思ったら突然大声を出して泣き始めて、なにを聞いても答えない」
話の様子では深刻な感じではないが、栞が泣くとは珍しい。
「栞が泣いてるの? ほんと? なんで?」
「本当だ。とにかく突然泣き出して、わけのわからんことを言っている。こんなことは初めてだ」
「なんだろ? 本屋の罠じゃないといいんだけど」
「お前の方が話しやすいこともあるだろう。とにかく来てくれ」
とりあえず籐子も見に行くことにした。そもそもあの栞が泣く理由は勝負に負けて悔し涙を流すくらいしか浮かばない。
半纏を着て祖父と一緒に母屋に行くと使用人数名が困惑した表情で立っていた。
「わけがわからん」
祖父はそう言うと廊下を進み、栞の部屋まで籐子を連れていく。中からは嗚咽が聞こえている。
「ほんとに泣いてる。おじいちゃん、稽古でひどいこと言ったんじゃないの?」
「今日は稽古しとらん」
「じゃあ、まさか約定を破棄したから?」
「それは全然気にしとらんようだったぞ。そういうことを考える子じゃないだろ」
「そうね。あの子はもっと単純だね」
「とにかくなにか声をかけてやれ。ワシではなにもわからん」
「うん。とりあえず話しかけてみる」
籐子はそう言いながら障子を開ける。あの気丈な栞が床に突っ伏して泣いている。信じられない光景だ。
「栞、なにがあったの?」
そう言って近づくと栞は顔を上げた。かわいいカワウソのような顔が悲しみに歪んでいる。籐子はよほどのことだと直感する。
「団長!」
そう叫ぶと籐子に抱きついて泣きじゃくる。
「ねえ、どうしたの? あたしにできることがあったら言ってちょうだい」
そう言っても答えない。祖父の話では泣き出すまではふだんと変わらなかったはずだ。なぜ突然泣き出したのだろう?
「誰にもどうにもできないんです。だってだって」
栞が甲高い声で叫ぶ。
「死んじゃったんです。ほんとに死んじゃったんです。こんなこと。どうしよう」
「なに言ってるの? 誰が死んだって言うの?」
「死んだんですよ」
「だから! 誰が?」
「奏芽です。さっき奏芽が死んだのがわかったんです」
異島同士は通じ合うものがあると栞が言っていたことを思いだした。それにしても奏芽がこんなに早く死ぬとは思わなかった。
「奏芽の死を感じたってこと?」
「そうです。間違いありません。どこにも奏芽を感じないんです」
「いったい、どこでなぜ?」
「わかりません。わからないけど、死んだのは確かなんです。もう会えない」
もしかすると奏芽は死ぬことがわかっていて、それを望んでいたのかもしれない、と籐子は思った。出奔する間際に言った言葉が頭をよぎる。
「奏芽は出奔する前、”私は幸福なのだということだけ、覚えておいてください”と言っていたから、きっと自分の思いを果たしたのよ。泣かなくてもいい。奏芽は幸福だったに違いない」
奏芽は自分の思いをまっとうしたのだ。籐子にはわからないが、奏芽にとって幸福な終わり方だったのが救いだ。
「あいつは一緒にいないとダメなのに。どこにもいない。もう会えない」
籐子は栞を抱きしめた。栞はそのまま泣き続けた。
やがて栞は泣き疲れて眠りについた。籐子は栞を床に横たえ、ふとんをかけた。
「寝たようだな」
祖父が頭をかきながら入ってくる。
「うん。泣いた理由は聞こえた?」
「異島奏芽が死んだそうだな。この嵐の夜であやつを破るとは並の使い手ではない」
今宵、嵐になったのは奏芽のせいだったのかもしれない。
「思い人と心中したのかもしれない」
「奏芽が?」
「うん。あの子は好きな人がいるって言ってた」
「そうか。ならば仕方がない。自分の死に方を選べる者は幸いだ。喜んでやるのが手向けになる」
祖父の言葉を籐子は噛みしめた。
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