異島奏芽の最期 1
4巻218ページ。異島奏芽が花鳥の病室を出て、田中安生に電話してからのエピソードです。刊行されや4巻に該当する箇所はありません。人形屋籐子や片目姉弟の動きと交互に差し挟まれていました。
奏芽は東京の街をゆっくり味わうように歩いていた。銀座に寄って七色粉白粉を購入する。去年、七色粉白粉は資生堂が発売した白粉でほんのり色がついている。一度、深川の隠れ家に寄って化粧をした、無駄になるとわかっているのに。
日が傾くと奏芽は家を出た。あの人には夜がよく似合う。空気が湿り気を帯びているのがわかった。大気が嵐を予感させる。家路を急ぐスーツ姿の男たちが街を歩き、街灯が灯る。
目指す州崎遊郭は平日というのに人で賑わっていた。奏芽が歩くと、酔客が冷やかす。それも今は心地よい。
どこにいるかはわかっていた。海に向かっていけばいい。近づけば近づくほど、風が強くなる。銀の雫が降り注いでくる。空は雲に覆われ、さきほどまで淡い光に包まれていた街は漆黒の闇に落ちる。埋め立て地のはずれに近づくと、店や家がまばらになり、人の姿が見えなくなった。
海に向かう道の向こうに紅い牡丹が浮かんで見えた。その後ろでおりからの強風に煽られた波が砕ける。
「殺気を感じて様子を見に来てみたのだが……やはりお前だったか。雨女。片目さまの命令か?」
「まだご存じなかったのですね。本日、花鳥は死にました。死の直前に鬼との約定を破棄しました。人形屋、異島、入鹿山は自由になりました。片目さまの約定も解かれ、ゲヒルンは崩壊しました」
「なんだと?」
蓬莱が怪訝な表情を浮かべる。半信半疑なのだろう。
「私は自分の意思であなたの元に参りました」
「なんのために?」
「やはりおわかりではなかったのですね。あなたが片目さまを恋い焦がれるように私は蓬莱さまに恋をしたのです。恋を成就するために参りました」
「恋の成就にしてはさきほどから殺気があふれているぞ」
「これが私の恋です。あなたにお目にかかりたいとずっと願っておりました」
「よくわからんが、やる気なんだな。そういう天気だ」
蓬莱が空を見上げると雷が鳴った。激しい雨が地面を叩く。冷たく容赦ない冬の雨だ。
「“耳目の奏芽”でございますからね。失礼いたします」
奏芽は叫ぶと勢いよく蓬莱に向かって走り出した。
蓬莱は身を沈めて備えるが、そこを突風が襲った。横殴りにされたように蓬莱の身体が大きく傾ぎ、膝をつく。蓬莱は、雨と風で目を開けていられず、目を細めて奏芽を見る。立っていることさえ難しい嵐の中を奏芽はまっすぐこちらに向かってくる。
奏芽が斬りかかると蓬莱は横に転がって避け、地面に貼り付くように両手と両脚で身体を安定させる。一方、奏芽は両脚を伸ばして直立し忍び刀を構えている。
「不思議ですか? この風の強さは、もはや
送電線が切れたらしく、かすかに灯っていた街灯が消え、あたりは闇に閉ざされる。暴風と雨のせいで、音すらも途絶した。
「私の世界です」
奏芽の声が響く。これで蓬莱霞は自分のものになる。その確信が奏芽を支配する。身体を支えるのが精一杯の蓬莱に斬りかかる。わざと隙を見せて蓬莱の錐刀が突いて来たところを袖で包むようにして受け、そのまま袖をはずして地面にたたき付ける。
錐刀を握った蓬莱の両手が奏芽の袖にからまって地面に叩きつけられた。同時に奏芽は蓬莱に覆い被さるようにして押し倒す。意表を突かれた蓬莱は仰向けに倒れ、両手は頭の上で袖の下敷きになる。奏芽はすぐに残った片袖も外して蓬莱の腕を押さえるようにおく。
「なっ」
蓬莱はもがくが両手は袖に押さえられて動かない。蓬莱にはどういうことかわからないだろう。すでに気がついているかもしれないが、もう手遅れだ。奏芽は蓬莱に馬乗りになる。
「おわかりになりましたか? 私の服には鉛を仕込んであります。さもなければ風に吹き飛ばされてしまいます」
もがく蓬莱に顔を近づけて奏芽がささやいた。動きを封じた奏芽は乱暴に蓬莱の胸元を開き、そこに噛みつく。組み敷いた身体が震えるのがわかる。雨風で冷えた身体に蓬莱の肉の熱さが伝わってくる。
「蓬莱さま、あなたは覚えてらっしゃらないでしょうけど、私とあなたは何度も情を交わした間柄なのですよ」
奏芽は蓬莱の胸に何度も噛みつきながらつぶやく。蓬莱は覚えがないらしく、ただ奏芽をにらんでいる。ならば思い出させよう。
「あなたが『死娼館』を読んで狂気の淵をさまよっている間、三番隊の者が車懸りであなたのお相手をしました。ええ、そうです。副長だった私も求められるままあなたを犯しました。あなたも私を犯したのです。あなたは自分がまだ女陰を知らないと思っているでしょうけど、私の身体にあなたの熱い刃を突き立て、精を放ったのです。あなたに犯された時、私はあなたに恋をしました。互いに犯し、犯され、苦痛と快楽の極みであなたを殺したいと思ったのです」
雷鳴が轟き、奏芽が歓喜の表情を浮かび上がらせた。恋い焦がれた人を犯して殺す快感に奏芽の全身が震えていた。
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