第4話 厭な奴(いやなやつ)

 この小さな国が、東西に別れて戦争を始めてから、早くも八年が過ぎた。


 原因は何だったのかは未だにハッキリとしていないが、近隣の国々が敵である東軍に介入。

 我が西軍にも他国が参加するようになり、戦いが長期化してしまったというのは、疑いようのない事実だ。


 ……戦争の起こる所には、莫大な金が流れる。

 我々は兄弟であった祖国の人間と、金の舞台で殺し合う羽目になったのだ。



 しかし、民衆とは不思議なもので、初めは嫌々徴兵されて来た民間兵達も、戦火の恐怖の中で正気を失う。

 今では後続の若い兵達に、思想教育を進んで施すようになっていた。


 年配の兵士達はプライドに突き動かされ、下の若い兵士達は植え付けられた憎悪と侮蔑で敵に向かっていく─── 。




 俺のような間に挟まれた世代は、どちらの立場にもなり切れず、常に疑問を抱えている者が多い。


 だが、どんな理由であろうが、情勢であろうが、一兵卒には関係がない。

 目の前の闘いに勝利していくのみだ。



「軍曹! 傭兵部隊が到着いたしました!」


「…………俺はそんな連絡は受けていなかったが」


「はっ! 通達の書状を持っての着任であります!」



 ……この戦場ではよくある事だ。

 重要な司令でもない限りは、こうして突然に事が動く。


 長い戦争の間に、交戦の拠点が大きく広がり過ぎたのか。

 あるいは戦争に勝利するよりも、戦況を維持して、長く続ける事が狙いなのかも知れないが……。


 『傭兵部隊』とは周辺国の外国人傭兵の事だ。

 最近では彼らと共するのが当たり前になっている。





 ※ ※ ※




「─── これだけか。大した数ではないな」



 傭兵部隊の前に立つと、そこにいたのは全部でわずか五人。

 皆、かなり若く、とても戦場を歩いて来たという雰囲気が無い者ばかりだ。



─── そして、その中にあいつがいた……



「貴様、何を笑っている?」


「……………………」



 顔を近づけてにらんでも、一向に返事もしなければ、ヘラヘラとした笑いを抑えようともしない。

 なめられれば示しがつかない、俺はその胸ぐらを掴み、思い切り殴りつけた─── !



「何を笑っていると聞いているッ! ここに遊びにでも来たつもりか貴様ッ!!」



 唇から血を流しても、奴は笑ったままだ。

 もう一度殴ろうと、拳を握りしめて前に歩んだ時、傭兵の一人が手を挙げた。



「…………何だ?」


「畏れながら申し上げます軍曹殿! こいつとは国境から一緒でありますが、こいつは口をきけない様であります!」



 奴をよくよく眺める。

 自分でハサミでも入れたような、不揃いで不格好な坊主頭。

 若白髪がやけに多く、ニキビ痕が顔全体に広がったその浅黒い顔と相まって、ジャガイモのような印象を受ける男だった。


 何より軍服もよれよれでボタンも掛け違い、ブーツも無く、ただの薄汚いぺらぺらの靴を履いている。



(こいつ、本当に傭兵なのか? まるでただの廃人だ……)



 ……バツが悪いが俺は頭を下げる事はしなかった。

 部隊を率いる人間は、常に威厳を保たなければならない。

 個人的には気分が悪いし孤独でもあるが、それが彼らの命を預かる責任でもある。



「もう良い。お前達にはこの丘の南側に就いてもらう。ここはそこだけ未だに戦線の準備が完了していない。塹壕を整えつつ、南側の監視をしてもらう。一刻の休憩の後、すぐに準備に取り掛かれ!」



 傭兵部隊はどうにも扱いづらい。

 自国の兵士でもない上、連合国の者だと思うと、過酷な作業などはさせられない。

 余計な問題になりかねないのだ。





 ※ ※ ※




─── その夜、俺の着任からずっと平穏だった、丘の戦況が一変した



 南側から東軍の戦闘機が奇襲を掛けて来たのだ。

 月の無い夜空に、突如として現れた戦闘機は、発見が遅れて後手に回らされた。



「対空砲で応戦ッ! 本部には空軍の応援要請をしろッ! 急げッ!」



 敵機は三機。

 スコールのような掃射に、応戦態勢が整わず、バタバタと同胞が倒れていく。

 そのまま敵機は丘を旋回しながら、段々とその輪を縮めていた。

 致命的な状況に、背中に冷たいものが流れるのを感じながらも、混乱の極みに陥った軍を立て直すために激を飛ばすしかなかった……。



─── その時、思わぬ光景が飛び込んで来た



 突然、敵機のひとつが異常なエンジン音を上げ、大きくバランスを崩したように、近くの一機を巻き込んで墜落。

 激しい爆炎の最中、何故か残りの一機も異様な音を立てて、丘の向こうへと墜落していった。



「な……何だ……? 一体、何がどうして……。何が起こった!?」



 対空砲が当たったにしては、決着が早すぎる。

 そもそも戦線から離れているこの軍備では、夜空を旋回する戦闘機を撃墜するには、あまりにもお粗末なものでしかなかったのだから。


 それも、奇襲に翻弄されたこちらの対空砲は、一基しか動いていなかったにも関わらずにだ。




 ※ 




 警戒が解かれた後、部隊の被害が報告された。

 すぐに謎の撃墜劇があったとはいえ、被害はかなり深刻だ。

 特に侵入経路となった南側は死者が多く出ている。



「南の生存者は二名です……。今、その二名は救護所で治療を受けています」


「解った。後で顔を出そう。……で、墜落の原因は判明したのか? 対空砲はほとんど動いていなかっただろう」


「今の所、何も解っていません。夜が空けてから墜落した敵機を調べさせますか?」


「そうしよう。監視体制を強化して、次の攻撃を警戒しておけ」



 緊張が解けたからか、俺は強い眠気に襲われていた─── 。





 ※ ※ ※




 翌日早朝。

 対空砲の狙撃手に喝を入れると、墜落した敵機の調査隊を編成し、昨日の出来事の解明と今後の対応に追われた。


 俺は合間を見て救護所に向かい、南側の生き残りだという二人を見舞う事にした。



「軍曹……申し訳ありません。敵機に気がつけませんでした……クッ、うぅ……」



 生存者の一人は若い士官だった。

 肩を撃ち抜かれ、鎖骨と腕を深く負傷した彼は、任務を全う出来なかったと悔い、涙している。



「気にするな。本部からの連絡もなかった上、敵機はレーダーにも掛からなかった。まだ詳細は分からんが、どうも新型の戦闘機だったようだ。この事は本部と連絡を取り合って、今後の対策を考えるさ。

─── 今はよく休め」



 そう言ってもう一人の生存者を探したが、ベッドにその姿は無い。

 救護班の者にたずねると、怪我はかなり軽く、今は救護所の裏手にいるという。

 どうやら傭兵部隊の一人だとも分かった。


 言われた通りに救護所の裏に行くと、その後ろ姿を見つけた。



「着任早々、ツイてなかったな……」



 何をするでもなく、ただ立ち尽くしているその背中に声を掛けると、傭兵は所々が傷んだヘルメットを外して振り返る。



─── 奴だった



「よく……生き残れた……な」



 正直な気持ちだった。

 壊滅的な銃撃の被害の後だというのに、やはりヘラヘラとした笑みを浮かべて、やや首を揺らしながらこちらを見ている。


 靴の汚れは酷くなり、顔にはまだ着弾で跳ねたものであろう、泥の飛沫が乾いて浮いていた。

 よく見れば、服装や風体だけでなく、背負っている銃も、我が国で支給されているものではなく、骨董品のようなライフルだった。



「シャワーでも浴びてゆっくり休め……」



 奴の前にいると、なぜだか心がざわめく。

 誤解で殴ってしまった罪悪感か……いや、相性というのか、落ち着かなくなる。


 本人は俺の声が聞こえているのかいないのか、ただただこちらを向いて笑っているだけ……。

 俺がいる限り、こいつはずっとこうしているのだろう。

 

 そこから逃げるような気持ちで、もう一度救護所に向かった。

 生存した士官に確認しておきたい事があったのだ。

 

 すでに報告はされているが、奴のニヤケ顔にざわめいた心が、どうしてもそうしたいと思わせた。




 ※ 




「何度もすまんな。もう少し落ち着いてからとも思ったが、今一応確認しておきたい。

─── なぜ、敵機が墜落したのか、思い当たることはないか?」



 そう尋ねれば、士官は何やら口ごもっている。



「……どうした。何でも良い。今考えている事を話してみろ」


「敵機来襲で自分はすぐに撃たれ、意識が朦朧としていたので正確には……その」


「いいから言ってみろ」


「…………はい。

自分が倒れてすぐ、続けて全員が掃射を受け、倒れていきました。自分も意識が遠のき、起き上がれずに……ただ仰向けに転がっているばかりで……。

ただ─── 」


「ただ?」


「敵機の音が丘の方角に向かっていった時、自分の横を走り抜けて行く者がありました。

そして、酷く旧式のライフルで敵機に構え、二発、発砲しました……。

自分が敵機の異常なエンジン音を聞いたのは、その直後です…………」



(旧式のライフルで発砲……? 敵機が南を突破した後は、南は攻撃を受けていない。

となると、もう一人の生存者だという事になるが…………アイツか!?)



 救護所を飛び出して裏手を見たが、奴の姿はそこには無かった。

 シャワー設備の辺りにもおらず、しばらく探してみたが、やはり何処にもいなかった。



 そうしている内に、墜落機の調査班が帰還した。




「申し上げます軍曹! 三機の内、二機は激しい大破で調査不可能でしたが、残りの一基は湿地に墜落しておりましたので、状態は調査に充分な状況でした。

─── 一発の銃弾です。それも下から撃ち抜かれていました。我軍の者で……しょうか?」


「…………やっぱりか」


「何かご存知なので?」


「……いや、何でも無い。ご苦労だった、よく休んでくれ」




 ※ ※ ※




 あれから何度か、手の空いた時に奴の姿を探したが、出くわす事が無いまま、やがて諦めた。

 確かめたくもあるが、関わりたくないとも思っていたのかも知れない。


 そうして夜の奇襲から数日後、戦線がこの丘へと近付いて来た。

 それまでの静かな状況が一変。

 援軍も送り込まれ、いつしかこの丘が第一戦線へとなっていったのだ。


 連日、多くの死者が出て、俺の上にはさらに上官が配置された。

 飯を食う暇もない連戦で、どんどん兵士の疲労は募り、救護所は連日その顔が変わっていった。

 


─── そうして、とうとう俺も流れ弾を腹に食らい、生死の境をさまよう事となった



 二晩昏睡状態が続き、目を覚ましたのは明け方の事だ。

 高熱が出ていたのだろう、まぶたを開いても視界が嫌にボヤケていて、意識は朦朧としている。


 そのお陰か、炎症した腹の中が突っ張るような感覚があっても、激痛を感じる事はなかった。



─── 何とか……



 そうぼんやりと思った時、俺の顔を誰かが覗き込んだ。

 薄暗い月明かりを背に、その人物はかすかに頭を揺らしている。



「ぷっ、ぷぷ……。大変でしたねぇ軍曹殿。ぷっ、でもね、もう大丈夫ですよ。

そろそろまた、この部隊は静かになりますからねぇ。

また、元気で部隊に戻ってくださいよ? ぷっ、クククク……」



 そう言って去っていく足音が、耳の奥でくぐもって聞こえていた。


 夢だったのかも知れない。

 ただ、俺の顔を覗き込んだ顔は、逆光で良くは確認できなかったものの、不揃いな坊主頭と、背中に背負ったライフルのシルエットが目に焼き付いている。



「……、喋れたのか……。笑い……やがって……何が……静かに……」



 乾ききった唇は上手く動かせず、そこまで呟いて、俺はまた眠りに落ちた───




 ※ ※ ※




 しかし、あの言葉通り、丘は静かになった。

 前線が他の土地へとずれ、俺はしばらくしてから、軍の病院へと搬送された。


 その間に、奴の顔を見かける事はもうなかった。

 兵士の話では前線と共に、奴は他に流れていったらしい。


 やがて、戦争の勢いは激しさを増して行った。


 俺が起き上がれるようになって、リハビリも終わる頃、歴史に残る大量の戦死者を出して停戦となった。

 ……あれ以来、この国は何事もなかったように平和になっている。




 ※ ※ ※




 停戦から終戦へ、あれから十数年。

 俺もようやく心の整理が付き、戦争以来、初めて旅行に出かけた。


 隣国を妻と共に気ままに周る旅だ。


 こうして何の心配もなく、他国を遊び歩ける時代が来るとは、年甲斐もなく心は弾む。

 有名な観光地を一周して、最後に二人、有名な寺院にたどり着いた。


 荘厳な本堂へと、長く続く廊下の壁には、この国の新話になぞらえたレリーフが施されている。


 耳が痛む程の静寂の中、それらを見ながら歩んでいくと、俺の足はそのレリーフのとある一角で止まった。



「─── これ……は」



 そこに彫られているのは、間抜けな顔で笑いながら、馬に跨る男の姿。

 手には無数の生首を提げ、背中には剣のような槍のような、棒状の武器を背負っていた。

 頭はレリーフの風化のせいか、のように見えた。


 下には名前が彫られている。




─── “疫病神”



 今でもどこかの戦地に、奴はいるのかも知れない。

 戦争に翻弄される人間の命をあざ笑いながら───


 あの時も、丘の戦いを長引かせるために、撃ったのか……?



いやな奴だ…………」

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10分間オムニバス(ホラー寄り) あずみけいし @keishi-azumi

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