先を読み、相手に合わせて慎重に

 医師の長い説明を受けて、僕は自分の状況を知った。

 とは言っても今の僕と普通の人間がリアルタイムで意思疎通をはかることはもうできない。彼の説明を録画して、それをスーパースロー再生にしてはじめて、僕は、その絶望的な内容を知覚することができた。

 学生の時に受けた脳内クロックの遺伝子治療が暴走し、僕は、今や通常の一万分の一のスピードでしか物を考えることができなくなった、のだそうだ。

 僕自身の自覚ではこれまでと何ら変わらない。でも、外部とのコミュニケーションは絶望的だ。

 僕の感じる一分間は、周りの人にとっては七日間だ。見るものも、聞くものも全部そう。それどころか、心臓だって二時間半に一回しか鼓動しない。呼吸に至っては二日に一回だ。代謝の速度まで巻き添えを食ったのだ。マンションの管理人が死体と見間違えたのも無理はない。

 それを知って僕は泣いた。でも、あふれる涙の速度より、水分が蒸発するスピードの方が速かった。

 水も飲めない、食事も取れない。食事中に食べ物が腐り始めるし、胃や腸の中で未消化物が発酵して爆発する。腸内細菌は僕ののんびりしたペースには合わせてくれない。結局、無菌カプセルに入って体中を完全殺菌し、栄養剤の点滴で生きる他のすべはなかった。

 他にも問題がある。

 仮に寿命も同じように間延びしているのだとすれば、残りの人生を全うするのにかかる時間はなんと五十万年だ。

 僕は、孤独な世界でひとり途方に暮れた。




 八方塞がりの中、ある日見知らぬ男が僕を訪ねて来た。

 彼は、物好きにも彼の時間で二時間以上身じろぎもせず立ち続けて僕の網膜に自分を認識させると、さらに二時間以上かけてゆっくりとお辞儀をした。

 普段、僕の目には他人は一瞬の影にしか見えない。だから、まともに他人の姿を目にしたのは随分と久しぶりだった。

 彼は胸の前に文字を書いたA3サイズの電子黒板を掲げていた。〝NaRDOナード〟という組織の人間らしく、僕をスカウトしに来たのだという。

 このまま病院にいても、僕の寿命より病院が廃墟になるほうが早い。だから僕はそれ以上深く考えず、精一杯素早く頷いた。

 相変わらず、僕はおっちょこちょいの粗忽者だ。

 ほどなく、僕の脳にはプラチナの極細ワイヤーが何百本も挿入され、うなじには金メッキされた電極がずらりと埋め込まれた。脳と宇宙船を直接接続するためのマンマシンインターフェース。偉大な先達が実験台になって確立した最先端技術の集大成らしい。

 僕の住まう無菌カプセルはそのまま宇宙船内に移設され、そうして、僕は文字通り宇宙船になった。




 宇宙は広い。

 人類史上最速の宇宙船……最高秒速二千キロという恐ろしい速度を誇る宇宙機ぼくでも、目的の恒星系に到達するには四千五百年ほどかかる。

 でも、僕の体感時間ではたったの半年だ。栄養剤しょくりょうも娯楽も、往復一年分あれば十分にやっていける。

 実は、目的の恒星系からはずいぶん前から信号が送られてきていた。でも、そのテンポが人間の生活リズムとあまりにもかけ離れすぎ、人工的な信号だと気付くまで何十年も見過ごされていたのだという。

 そう。

 目的の恒星系には僕ら人類と同等以上の文明を持つ生命体がいる。でも、彼らのテンポに合わせて彼らと交渉出来うる人類は、世界中探しても僕以外にいない。


『グッドラック。すべての判断は君に任せる。朗報をまっているよ』


 僕をスカウトした男は、僕が地球周回軌道を離れるときにそう言って僕を激励した。

 もちろん、ファーストコンタクトが成功しても、その知らせを彼が受け取ることはない。

 それでも、僕は彼に深く感謝している。死んだように生きるしかない僕を見出し、僕にぴったりの仕事を与えてくれた彼を、僕は五十万年死ぬまで忘れない。




 間もなく目的の恒星系がセンサーの可視範囲に入る。ファーストコンタクトの実現は、今や僕の双肩にかかっている。

 

「常に先を読み、相手に合わせて慎重に……だったね」


 遙かな昔、担任の先生に言い聞かされたセリフを思い起こしながら、僕はかすかに武者震いをした。


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ゆっくりと落ち着いて 凍龍(とうりゅう) @freezing-dragon

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