第15話

 諏訪が地面にペンを走らせてから数十分後。宗也の眼前には、大きな魔法陣のようなものが描かれていた。既に元の形を取り戻している泉を中心にして、周りには存在すらするのか分からない、言語がびっしりと綴られており、とても数十分で書き上げられたとは思えないほどの精巧な星が描かれていた。

「お前、こんなのどこで覚えたんだよ……」

 宗也が感心しつつも、どこか怪訝な表情で諏訪を見ると、彼は答える素振りもなく宗也に向かって魔法陣の一点を指差した。

「つべこべ言わずにとっととそこに立ちやがれ。ぐずぐずしてっと、救急隊員やらが来ちまう」

「な、なんだよ……。本当にこんなんで街が元通りになるのか?」

 宗也は諏訪の眼光に気圧されたように、戸惑いながらも諏訪に指示された位置に立った。

「俺も手伝うよ」

「いや、ネオ・アルヴァウェポンのお前じゃ無理だ。これは純粋なアルヴァコア適応者じゃなけりゃ、成功しねぇ。まぁ、そもそも成功する保証もねぇがな」

 諏訪の方に向かおうとする飯山を、諏訪は手のひらを向けて静止させた。

「おい、始める前に説明してくれよ、諏訪。これは一体なんだ?」

 しびれを切らしたような様子の宗也を見ると、諏訪は「はー」と短い溜息をつくと気だるそうに口を開いた。

「これは古くからこの街に伝わる伝説のようなものだ。最初は俺も眉唾もんの伝説かと思ったが、さっきの泉の直りようを見ていたら考えが変わった」

 そういうと、諏訪は飯山と岡谷の方を見た。

「いいか、この方法は成功するとは限らねぇ。失敗したら最悪、俺らの命も飛ぶかもしれねぇ。そうなったときはお前らが責任もってこの場を引き継げ」

 その言葉を聞いた飯山は、すぐに青ざめるとすぐに諏訪にまくしたてた。

「そんな危険な方法、黙って見過ごせるわけないだろ⁉だいたい、宗也がそんな方法に協力するわけ……」

「諏訪、俺はどうすればいい?」

「宗也!」

 飯山は宗也に向かって悲しげな表情で叫んだ。だが宗也はどこか優しい表情で、飯山に視線を向けた。

「飯山、お前の言いたいこともわかるよ。これ以上犠牲を出したくないっていう気持ちも。岡谷も口には出さないけど、多分、同じ気持ちだ。」

 黙って俯く岡谷を見ると、宗也は空を見上げて続けた。

「でも、この日のために大勢の人が頑張ってきたんだ。この阿神祭のために、町長も、明科含め、剣道部の皆も。その頑張りを、こんな形で終わらせたくない。もし街が元通りになれば、もしかしたらまた続けられるかもしれない。そのためなら、俺はどんなこともする」

「だとしても……」

 飯山はなおも食い下がろうと、必死に言葉の接ぎ穂を探そうとしたが続く言葉は見つからなかった。岡谷はそんな飯山の肩をポンと叩いた。

「よっしゃ、後のことはわしらに任せろ‼例え、行政がとやかく言おうとも、わしらが必ずこの祭りを最後まで続けさせて見せる」

「岡谷……」

 宗也は岡谷に向かってサムズアップした。それを見た飯山は諦めたように、息を吐いた。

「分かった。だが決して無茶はするな。お前ももうぼろぼろだろ」

「おう」

 宗也は飯山に向かってにかっと笑うと、しばらくして諏訪に向き直った。

「諏訪、始めてくれ」

「よし、まずはそこに座り、アルヴァウェポンを置け」

 諏訪があぐらをかいて魔方陣の中に座り、アルヴァウェポンを自分の前に置くと、宗也もそれに倣うように座った。

「次は、泉に力を集める。アルヴァウェポンを使う時と同じように全身の力を目の前に注ぐように集中しろ。しばらくすると噴水がそれに呼応して自然と俺たちからエネルギーを吸い上げるようになる」

 宗也は諏訪の言う通りに、目の前に置かれたアルヴァウェポンに集中した。宗也と諏訪の目の前には武器に変異する前の石の形状となったアルヴァウェポンが置かれている。

 しばらくすると、お互いのアルヴァウェポンが光り出し、エネルギーが噴水に注がれ始めた。噴水は美しいオーラを覆い始め、光の粒を天高く上空に打ち上げ始めた。

「ぐっ……これがこの街の力……」

「耐えろ。どちらかが、倒れればその時点でゲームオーバーだ!」

 宗也と諏訪は、苦悶の表情を浮かべながらも目の前のアルヴァウェポンに力を注ぎ続けた。噴水から打ち上げられた無数の光の粒は、天高く舞った後阿神街のあちこちに降り注いだ。

 その様子は、さながら黄色く光る雪のようで、避難中で遠く離れていた人々の眼にも留まった。

「おい、なんだあれ……」

「雪みたいなもんが降ってるぞ!見ろ、壊れた街がみるみるうちに直っていく!」

 光の粒は崩落した建物や瓦礫に降り注ぐと、見る見るうちに建物を復活させていった。その様子を見ていた明科も思わずその美しい光景に目を奪われていた。

「凄い……」

 明科の傍らにいた佐久も、元通りになっていく街の様子をじっと見ていたが、明科の様子に驚き、声をかけた。

「おい、明科、お前大丈夫か?」

「え?」

 急いでハンカチを取り出す策の様子を見て明科は怪訝な表情をしていたが、顔に手を当てるとすぐに自分の異変に気付いて、思わず呟いた。

「やだ、私なんでこんなに泣いてるんだろう……」

 誰もが今の彼女を見たら、皆佐久のような顔をするだろう。

彼女の眼からは大粒の涙が流れていた。明科瑞穂は、自分でもこの涙の理由が分からなかった。





一体どれだけの時が経ったのだろう。

そんなことを考えながら、茅野宗也は出口の見えない闇の中を彷徨っていた。彼は水中の中にいるかのようにもがきながらも、何処にあるかもわからない出口を目指して先に進もうとしていた。

「何だここは……」

 辺りは漆黒の闇に包まれており、何も見えない。いや、何も見えないという表現は少し適切ではないかもしれない。宗也は、暗闇の中にもぽつぽつとその場に佇んでいる人影を確認していた。だがどの人影からも生気が感じられず、人なのかどうかも分からないため、宗也は気にせず闇の中を歩いていた。

「確か……諏訪と一緒に噴水の前で座ってから……」

 宗也は朦朧とした頭の中で、何故このような状況になっているのかを考えた。確かに宗也は崩壊した阿神町を修復しようと、噴水の前で力を込めた。だが、そこからの記憶がない。噴水に力を吸われ続けているうちに意識が徐々に薄れていき、気づいたらこの闇の中を彷徨っていたのだ。

『まさかここに人間を呼ぶ時が来るとはな』

「⁉」

 突如闇の中から声が聞こえてきたと思うと、宗也の目の前に暗闇を吹き飛ばすように、みるみるうちに光が現れ、やがてその光は一つの人間の姿へと形成していった。

「誰だ……お前」

『なんだ、随分口が悪いな。まぁいいだろう。私はお前たちの街に住んでいた百年前の”戦士”……いや、お前たちの時代だと『アダプター』だったか?』

 宗也の目の前に現れた男性は、白く長い髭を弄りながら、にやりと笑った。

「百年前のアダプター……だと?」

 宗也はかつてアンナやグローケンに聞かされていた話を思い出した。確かに百年前にもアダプターがいたという伝説は聞いていた。だが実際に自分の前にその伝説が現れていることを考えると、甚だ信じがたかった。

『時間がないため、手短に話そう。私は百年前、この街を守るために戦っていた。先ほどのお前たちのようにな』

「何、百年前だと?一体、百年前に何が起きた?そもそもこの力は何なんだ⁉」

 宗也は男性の言葉を聞くと、早口でまくし立てた。だが男性は 答える素振りも見せず、宗也をなだめた。

『待て待て。時間がないと言ったろう。私がお前をここに呼んだのはそれにこたえるためではない。だが一言だけ答えるとすれば、アルヴァコアはこの街だけの力ではないということだ。その意味はゆくゆくお前が知ることになるだろう』

「この街だけでなく、他にもアルヴァコアの力を持っている街があるってことか?」

『そうだ。だがこの話の先はお前自身の力で知る必要がある。そうだな、話を戻そう。お前たちはこの街を守ってくれていただろう。そのことについてだ』

「そうだ、だが俺は途中で気を失って……」

 宗也はずきんずきんと己を襲う頭痛に思わず顔を歪めた。

『そうだ。お前は気を失って、一歩間違えばあの者たちのようになるところだったのだ』

 男性は、宗也の遥か後ろに佇んでいるいくつかの人影を指差した。そこには、先ほど宗也が見てきた人影があった。

「あれは……なんだ?」

『あれはかつて、アルヴァコアの力を取り込もうとして、逆にアルヴァコアに飲み込まれてしまった者のなれの果てだ。アルヴァコアは決して安全な力ではない。だからこそ、多くの先人たちが誰にも知られることなく、細心の注意を払って扱ってきたのだ』

「そうか……。だがそれを俺に教えて何が目的だ?俺は力を持っているとはいえ、ちょっと前まで一介の高校生だった人間だぜ?」

 宗也の言葉に男性は後ろを向くと、上空を見上げた。

『だがお前は”私たち”の街を守ってくれただろう。私はそれが嬉しいのだ。百年前にもアルヴァコアの力を悪用とした者がいた。いつの時代にもそのような存在はいるものだ。だが、そのたびに私たちは街を守るため、世界を守るために悪と立ち向かってきた』

「世界か……。俺にとってはスケールのでかい話だな」

『見たくなければ見なければいい。だが見たいものにとっては数えきれないほどの可能性を提示する。それが世界だ。私がいなければ、お前はあの噴水の前で死んでいただろう。だが私の力でお前を死なせない代わりにここに呼んだ。ただそれだけだ』

「はは……それが本当ならば、素直に礼を言っとくよ」

 宗也は、男性の背中を見ながら、苦笑した。諏訪の、命を落とすかもしれないという話が現実に起きたこと、そして普通なら自分が死んでいたことに対して、宗也は実感がわかなかった。

『話はそれだけだ。もうすぐこの時間も終わる。急に読んで悪かったな。だが死ぬよりはましだろう』

「まぁ確かに」

 宗也は先ほどまで自分を襲っていた頭痛が徐々に薄れてきたことを感じた。それと同時に、自分の身体が軽くなっていくことにも。

『あと数秒後に、お前は元の世界に戻る。また会うことがあれば、その時はお前の質問にも答えてやろう』

「おい、最後にお前は……」

 宗也の言いかけた言葉を発する前に、男性は宗也の目の前からいなくなり、眩い光が宗也を包んだ。




「あ、起きた」

 宗也が目を覚ますと、目の先には天井があった。次いで横を見渡すと、そこには明科の姿があった。隣には飯山や岡谷も座っている。

 阿神祭最終日の夕方。街の中はグローケンの事件など嘘であるかのように、かつての喧騒を取り戻していた。戦いの中で発生した街の被害は元通りになっており、そこには多くの人で賑わっている。

「街の様子は……、アンナさんや他の皆は……?」

 宗也がゆっくりと上体を起こすと、明科が慌ててそれを止めた。

「まだ寝てないとだめだよ!お医者さんは、もう大丈夫でしょうって言ってたけど、昨日までは瀕死の上体だったんだから!」

「まさかあの状態から復活するとはな。お前はゾンビやで!」

 岡谷によると、俺の症状は生死の淵を彷徨っているような状態だったらしい。実際、当の本人も先ほどまで闇の中を彷徨っていたため、本人的にはその表現は妙に腑に落ちた。

 阿神祭の初日に気を失って以来、丸二日間眠り続けていた宗也はゆっくりと頭を起こし、久しぶりに見た阿神町の景色に目をやった。街は初日の事件など嘘であるかのようにかつての喧騒を取り戻していた。

 宗也と諏訪による街の修復は成功し、街はすっかりと元通りになった。諏訪は宗也とは異なり、最後まで意識を失うことはなく、修復が終わると気を失った宗也を飯山と岡谷に任せると、どこかに行ってしまった。アンナさんは飯山達に病院に連れていかれたが、幸い軽傷ということで事なきを得た。意識を取り戻した今では退院し、砂川と一緒に阿神祭再開を手伝っているのだという。グローケンとその部下たちはサンディらが率いる米国の部隊に引き取られ、米国で身柄を拘束されるという。サンディによると、阿神町に来た動機や目的などのために幾重にも渡って取り調べが行われるらしい。

 阿神祭は一時、避難警報が発令されたこともあり、中止を求める声も多かったが、実行委員長である砂川と政界にも太いパイプを持つ、町長の白馬敬一の働きにより厳重な警備のもと、最終日までのプログラムが予定通り行われることになった。再開による反対の声は少なくなかったが、それ以上に再開を求めた人々からの賞賛の声が相次いだため、批判の声にそこまで晒されることはなかった。多少の批判を物ともしないメンタルの持ち主である砂川だからこそ、何年もの間阿神祭を続けてこられたのかもしれない。

「それにしても大変だったね。阿神祭は再開することができたけど、何人か軽傷者も出ていたらしいし。中止になってもおかしくなかったよ」

「あの砂川とかいうおっちゃん、大した手腕やな。阿神祭を中止すべきって声も内部からあがってたらしいのに、降りたいやつは降りろって言って残った人たちだけで再開させたんやろ。世間からの声もテレビ中継を中止することでシャットアウトしたし」

「まぁ祭りを最後までやり遂げたい人の圧倒的支持を集めてたからこそ、できた芸当だけどな」

 病室の外では、祭りのグランドフィナーレに向けた準備が行われており、街のそこかしこで多くの人々が疲れた様子無く、忙しなく動き回っていた。

「明科も……、よかったな、剣道部の催し物を無事にやり遂げられたんだろ」

「うん。宗也君にもできれば見てほしかったけど、重傷だったし。初日の大規模な爆発といい、避難勧告といい、一体何があったの?」

 明科は宗也に顔を近づけて心配そうに様子を伺った。その距離の近さに宗也は思わず顔を背けてしまう。

 明科の様子からして、岡谷と飯山はあの戦いについては明科には何も話していないらしい。それも、明科に心配させまいという宗也の想いを汲み取った彼らなりの気遣いだった。

「別に……、ただ避難している最中に転んで気絶していただけだ」

 宗也は気恥ずかしそうに、顔を背けて言った。その言葉に明科も溜息をつく。

「本当に……?岡谷君も飯山君も知らないって言うし……。まぁ言いたくないならいいけど」

 明科はそっぽを向くと、眉をしかめて口を尖らせながらぶっきらぼうに呟いた。

「……もしかして、怒っているのか?」

「……別に。ただ、ずっと起きなかったし、宗也君が危険な目に遭ってたんじゃないかなーって思ってただけ」

「そうか、悪かったな、心配かけて」

 その言葉に、明科は頬を赤らめたが、何も言わず依然として腕組みをしながらしかめっ面でそっぽを向いていた。横では飯山と岡谷がニヤニヤとした表情でその様子を観察している。

「……やっぱり怒ってるんじゃないか?」

「もう、怒ってないってば!元気そうだし、私、剣道部の片付けあるから、もう行くね‼」

 宗也の言葉に、気恥ずかしそうに怒気を強めて言うと、せかせかと荷物をまとめて病室を出ていった。

「やーい、怒らせた」

「追いかけた方がいいんじゃないか?」

「病み上がりの身体で追いかけようとしたら、お前ら絶対止めるだろ……」

 何故明科が怒ったのか、宗也には皆目見当がつかなかったが、様子からして本気で怒っているわけではないことは宗也にも分かった。

「やっぱり怒ってるじゃないか……」

 宗也は再度病室の外を見上げた。紅色の夕空は、いつの間にか薄暗いオレンジ色に変わっており、ぽつぽつと星が光り輝き始めていた。陽が沈んでも街の活気は沈むことなく、最後の夜に向けて着々と準備を続けていた。





 阿神祭最終日。街の中心では、大きな神輿が作られており、それを囲むように大勢の人が思い思いの時間を過ごしていた。街のあちこちには出店が開かれており、街灯や店の灯りに照らされた町では、昼の様子とは一味違った幻想的な姿が顔をのぞかせていた。

 街の中心は賑やかな歓声と温かな明かりに包まれているが、そこから一歩離れると途端に薄暗い街並みへと姿を変える。駅の周辺の街並みも薄暗い色に染まっており、人ひとりいないような雰囲気を醸し出していたが、その中でもひと際高いビルの屋上だけは明るく光っており、その光景はさながら暗い部屋に置かれたキャンドルのようだった。そんな屋上にある人影が扉から出てきた。

 宗也は扉を開けると、途端に襲ってくる冷たい風に思わず顔をしかめた。もう春だというのに、いまだこの街の夜は肌寒く、気温も低い。宗也は冷えた手でスマホを取り出し、画面を指でなぞった。そしてちらと腕の時計を確認すると、ふぅと一息ついた。時刻はまもなく、午後九時を回ろうとしていた。

 時計の短針が午後九時を指そうとしたしたその時。がちゃりと宗也の後ろの扉が開き、長い金色の髪を靡かせながら、ある女性が屋上に入ってきた。アンナはファーのついたベージュ色のコートを羽織っており、歩くたびに下に着た赤色のセーターがちらちらと顔を覗かせていた。彼女は宗也の隣で立ち止まると、白い手のひらで彼の頭をぽんと叩いた。

「久しぶり。ごめん、待たせたね」

「いや、すいません、急に呼び出して」

 軽くたたかれた頭に少し驚いた宗也は、アンナの方を見て小さく会釈した。アンナは無言で頷き返すと、手に持っていた缶コーヒーを宗也に渡した。宗也は一言お礼をして缶コーヒーを受け取ると、温もりが残っている缶で自分の手を温めた。この温もりは彼女の手の温かさか、それとも缶コーヒーの温かさなのか。そんなことを考えながら宗也は蓋を開けて一口飲んだ。

「君が無事でよかったよ。重体って聞いたときは生きた心地がしなかったけどね」

「その割には俺が目を覚ましたとき、いなかったじゃないですか」

 宗也はふてくされたように口を尖らせたが、本心ではなかった。久しぶりにアンナに会ったことで不思議と照れくさくなり、何を言っていいか分からなかった結果、ひねくれたような言葉が口をついて出てしまった。

 だがアンナはそんな宗也の本心を見透かしているかのように、ふふっと笑った。

「ごめんよ。君の傍にいることも考えたんだが、それは私の役目ではないと思ってね。それよりも、今の自分に何ができるのか、それを考えてた。その結果、君が目覚めたときに阿神祭が続いてることが一番大事だと思ってね」

「それで砂川さんと一緒に祭りの運営を手伝ってたんですか。アンナさんも倒れてたんですから、少しくらい休んでくださいよ」

「十分休んださ。それに私たちが起こしてしまった事件でこの街の人たちには多大な迷惑をかけてしまった。もちろん君にもね。諏訪君から聞いたよ。君と諏訪君が街を命がけで直してくれたことを。そういうのをひっくるめて、私なりの贖罪でもあったんだ。」

「そんな……、アンナさんが来なかったら、間違いなく阿神祭は潰れてました。それどころかこの街も滅びてました。アンナさんはこの街のヒーローなんですよ」

「ヒーローか……。嬉しいね」

 宗也の力強い言葉に、アンナは遠く離れた街の中心を見やった。その顔はどこか悲しげな様子で、真っすぐに一点だけを見つめていた。そしてゆっくりと口を開いた。

「グローケンが、サンディたちに米国に連行される際に私に向けて言ったんだ。『私はこの戦いに負けた。だけど私は諦めません。だが、この運命は甘んじて受け入れましょう』ってね。奴のやったことは許されることではないが、奴は己の理想のために、決してブレずに自分の考えを貫き通した。その一貫性だけは唯一私が認めている部分だ」

 そして彼女は意を決したように、一息ついた。

「この祭りが終わったら、この街を出るよ」

「……え?」

 一瞬、宗也の周りの空気が張り詰めた。宗也は指一つ動かせず、彼女の方に顔を向けていた。アンナは依然として悲しげな表情で、眉一つ動かさず、宗也の方に顔を向けなかった。

「別に驚くようなことじゃないよ。私がこの街に来たのはグローケンを追いかけてきたからだしね。それに、数日間この街に住んできて分かったよ。この街には金や力では得られない、人の心が根付いている。HIPHOPで言ったら、『レペゼン』ってやつだ」

「じゃあ、これからもこの街に居ればいいじゃないですか。別に米国に帰らなきゃいけない理由もないでしょう?」

「だからこそだよ」

 アンナは振り返り、宗也の方に顔を向けた。彼女の表情は、微笑みつつも、どこか悲しげだった。

「私は物心ついた時からずっと研究に打ち込んできたんだ。そこで多くの大人汚い欲も見てきた。しかも、仕方がなかったとはいえ、先の戦闘で君たちの大切な街や祭りをを壊してしまった。こんな素晴らしい街に私みたいな利権にまみれた人間が居ちゃいけない」

 アンナは儚げな声色で何とか続きを絞り出すように言葉を発した。宗也は彼女の言葉を黙って聞いていたが、一通り聞くと、彼女の声とは対照的に力強い声色で口を開いた。

「アンナさんの言い分は分かりました。でも過去がどうとかは、自分にとっては関係ありません。今のアンナさんが俺にとってのアンナさんなんで。もし、アンナさんがこの街に居続けたいと願うなら、ここにいてください。まぁ、無理強いはしないですけど……。でも、少なくとも俺はアンナさんにここにいてほしいと思ってます。多分他の皆も」

「宗也君……」

 アンナは宗也の言葉をまじまじとした顔で聞いていた。始めは驚いた様子で聞いていたが、徐々に顔が赤くなり最後の方はどこか照れたような様子で宗也の方を向いていた。

「だから、もし自虐的な考えでこの街から離れようとしてるなら、その考えは捨ててください」

 宗也は真面目な表情でアンナの方を見た。その凛とした表情に、アンナは思わず顔を背けてしまった。両者の間にはしばらく沈黙が流れたため、アンナは気を取り直そうと、小さく咳ばらいをした。

「まぁ……、君がそこまで言うなら考えるよ。それに……」

「それに?」

 アンナは、手で口元を隠しながら、横目で宗也の方を見ながらぽしょっと呟いた。

「私みたいな人間にそんなプロポーズみたいなことは言わない方がいいよ。いくら君が高校生でも本気にしちゃう大人もいるのだからね……」

 宗也は不思議そうにアンナの話を聞いていたが、自分の発言を振り返っているうちに途端に顔を赤くした。

「そ、そんな意味でいったんじゃないですよ‼俺はただ、アンナさんに好きに生きてほしいと思って……」

 宗也が焦ったように言い訳をしていると、爆音とともに大きな花火が一斉に打ち上がった。その音とともに、宗也とアンナは同時に花火の打ち上がった方へ振り返った。打ち上がった花火は美しい光のアートを夜空に描き、下方では人々の歓声が沸き上がった。その光景に、二人は先ほどまでしていた会話の内容も忘れ、静かに見入っていた。

 宗也にとって、その時間は永遠に続いてほしいと感じられるほどの美しい時間だった。



 阿神祭も終わり、四月下旬の阿神高校では、祭り気分もすっかり抜けた生徒たちが忙しなく部活動に励んでいた。清々しいほどの朝焼けを浴びながら、グラウンドでは野球部とサッカー部がランニングを行っており、早朝から気合の入った掛け声澄み切った青空に響き渡った。桜も満開のピークはやや過ぎたものの、未だに並木道の両側で美しい花弁のシャワーを降らせている。そんな阿神高校のグラウンド横にある武道場では、佐久が大きな声を出しながら、練習に励む部員たちを鼓舞していた。

「お前らもっと声出せー」

 阿神祭の出し物も終わった剣道部では次の大会に向けて、日夜厳しい練習に励んでいた。部員たちは眠気眼をこすりながら、佐久の気迫のこもった声に呼応するかのように、気持ちを入れ直した。今年は新たに優秀な新入生が入部したこともあり、昨年以上の成績を収めるべく、部員たちの練習にも熱が入っていた。

「今日も温かいですね」

 声を張り上げる佐久の横には、部員たちの手ぬぐいを詰めた洗濯籠を持った明科の姿があった。

「ああ。裸足で練習する俺たちにとっては練習するには絶好の機会だ。ところで明科

練習の後、時間あるか?」

「はい、特に予定はないですけど……。部の買い物ですか?」

 明科はきょとんとした顔で佐久の方を見ていた。

「いや、剣道部の活動とは関係ないんだが……。よかったら練習終わりにお茶でも……」

 佐久が最後の言葉を言おうと大きく息を吸い込んだその時だった。『コンコン』と同乗の扉を叩くノック音が部に響き渡り、道場内は一瞬静寂に包まれた。明科が入室するように促すと、一人の少年が入ってきた。

「お、お前……どうして……」

「久しぶりだな、佐久部長。今日から剣道部に復帰することにした。以後よろしく」

 手をポケットに突っ込みながら鞄を肩に背負った諏訪俊介は、佐久の答えを聞くまでもなく、更衣室の方へ向かっていった。その様子からは以前の険しい表情とは一転し、不敵に笑う諏訪の姿があった。

「お、おいお前、勝手に……」

「この態度、諏訪君だぁ……。よかった、戻ってきたんだ」

 慌てて諏訪を追いかける佐久を横目に、明科は涙目になりながら、感傷に浸っていた。





 朝のホームルームの時間も終わり、一時間目の授業が始まる三十分前。阿神高校の生徒達は、講堂に集められていた。しかし、時間は九時を回ったものの、一向に始まる気配がない。生徒たちもこの状況を不思議に思ったのか、次第にざわざわとし始めた。

「おい、何故わしらはここに集められたんじゃ?」

 大きく欠伸をする宗也の背後から、岡谷がしびれを切らしたように、声を漏らした。

「知らねぇよ。いきなり集会があるからってホールルームの時間に担任に言われて……。お前、そのとき寝てたもんな」

「岡谷君、二つ前の私の席までいびきが聞こえてたよ……」

 岡谷の横で、宗也たちの話を聞いていた明科が、呆れたように溜息をついた。そしてすぐに前方にいる宗也にこしょこしょと嬉しそうに囁いた。

「それより、諏訪君も剣道部に戻ってきたことだし、宗也君もどう?いい機会だし」

「ああ、そのうちな……」

 宗也は明科から、諏訪が剣道部に戻ったという話を聞いていた。宗也自身、阿神祭以降、諏訪と会うことはなかった。だが風の便りで、家族の待つ家に戻ったという話は聞いていたため、ある程度は安心していた。加えて宗也は、一緒に阿神町を復興したという事実が諏訪の更生を裏付けた何よりの証だろうということを確信していた。

 また、坂城アンナにも阿神祭の最終日の夜以降、会うことはなかった。アンナに関しては、宗也の耳にも情報が入ってこなかったため、阿神町を旅立ったのだと悟った。だが、それも彼女の選んだ選択ならば仕方がないと、宗也は自分の中で納得した。

 そんな話をしていると、ようやく校長が壇上に姿を現した。校長は走ってきたのか、汗を滲ませており、ハンカチで顔を拭いながらいそいそと中央のマイクを調節した。ひとしきり準備を整えた後、校長がマイクに手をやった。その一声が聞こえるや否や、ざわざわとしていた聴衆が一瞬で静かになった。

「えー、皆さん、お待たせいたしました。ハプニングにより、集会が遅くなってしまいました」

 校長は申し訳なさそうに軽く一礼すると、壇上の端の下に待機しているある女性に目をやると一瞬、険しい様子を見せた。

「いきなり皆さんに集まっていただいたのはほかでもありません。今日から我が校に新しい先生が増えることになりました。では時間もないので早速挨拶をしてもらいましょうか」

 校長の声が終わるとともに、カツカツと壇上をヒールで歩く音を鳴らして、ある女性が壇上に姿を現した。その様子に、生徒たちは一斉にざわざわとし始める。

「まさかあの人が先生⁉」

「凄い綺麗……」

 周りの生徒が騒然とする中、宗也の周りでは驚嘆の声に包まれていた。

「おい、宗也、あれはもしかして……」

「あの人ってまさか……」

 飯山と明科が顔を引きつらせながら、壇上の方を指差して宗也の方に顔を向けた。そのすぐ隣では岡谷が口をあんぐりと開けて呆気に取られている。

「ははは……。俺も初耳だ。この街に残れとは言ったけど、まさかこんな形で再会するとは……」

 宗也の視線の先では、壇上でマイクを握る女性の姿があった。その女性は軽く咳ばらいをすると、透き通った美しい声を講堂全体に響き渡らせた。

「遅れてしまい、申し訳ありません。本日からこの阿神高校に赴任します、坂城アンナと申します。宜しくお願いします」

 そう言うと、彼女は宗也のいる方を見て、朗らかに笑った。


  完

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少年よ、武器を取れ もみ揚げ @momiage02

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