Mother

暁星


 ◇――――◇――――◇


 電子のそれに対して、物理的戦闘には様々な困難がある。詰めの甘さは、この仕事に置いて最大限に注意しなければならない。

 実地調査で、がアンリアル中毒者であることはわかっていた。ゾーイはそこに着眼し、作戦に復帰した当初からアンリアルに網を張った。今や一つとなった世界中の保護領アーコロジーを支える、完全機械化した社会の安全弁、仮想現実に。

 根気のいる作戦だった。眼前に転がる生命反応の低いソレが、その成果となるかはゾーイの手腕にかかっている。注意深く、防護ゴーグルを外して物陰から眼下を見下ろした。代替ゼラチン質で模られた生身の眼球が、僅かな照明に照らされた蠢く屍をとらえた。赤外線を吸収するシールドウェアが、身じろぎ一つ取る度に水面に移る景色が波を立てる。だが、そこに刻まれる赤い波紋が警戒ランプの照明によるものか、それとも血なのか、光量が少なすぎて判別が着かなかった。

 故に、踏みとどまる選択をした。前者ならば待ち伏せの可能性がある。後者ならば、もう少し待って、瀕死状態に追い込んでから捕獲した方が得策だ。


 ゾーイが注視する先には、一人の少女が身をかがめて小さくなっていた。黒く短い髪の合間から、弱々しく翠色の目が光る。

 鎧脊メタルスパインは背の中腹で大きく破損し、あらぬ方向にねじ曲がっている。四肢は酷く損傷し、左足は根元から千切れそうだった。機械人形でも利用できる低殺傷兵器による執拗な追撃は、簡単に死ねない分拷問と定義できる。それが旧シベリア地域で武装難民に対して扱われたモノならば、低殺傷といえども生身のヒトならば即死級のダメージを与えられる。

 それでも少女は、ヒトの形を保っていた。同じ箇所に何度も鉛玉が撃ち込まれようとも、低威力レーザーでシールドウェアの上から肉を焼き切られようとも、数秒も経たずにまた立ち上がったのだ。

 理由は単純。彼女はゾーイと同様、ヒトならざるモノだったからだ。

 M.M.Mモータル・ミート・マテリアル。ウィルス兵器開発の果てに生み出された、ヒトの血肉を縒り合わせ、意志と記憶を媒介できる、悪夢の創造物。血に飢えた獰猛な獣<ビースト>。驚異的な再生能力を備えた触手が、少女の傷口から無数に伸びて揺れていた。


 ゾーイは手持ちの自動小銃を手に取り、階下の暗闇に飛び降りたつ。着水時の物音に感づいたか、少女は半身をこちら側に向けようとしている。動きそれ自体は鈍い。傷口から血の代わりにしたたり落ちてた赤い糸が、ゆっくりとだが再び蠢きだした。


 不思議と嫌悪感は抱かない。機械人形であるゾーイにとって目に映る全ては観察対象でしかない、オーダーの達成を妨害するターゲットといえど、そこに好き嫌いという判断基準は存在しない――などという四角四面とした理由ではなかった。

 ゾーイと同じように、戦うために生み出された、ヒトならざるモノたち。達成障害、排他的目標、敵――そういった概念すらも覆し、今ここで手を下さない判断をゾーイに促すような、えもいわれぬ何かの共感が彼女の『ココロ』を蝕んでいる。


 何故ここまでやれるのか。何故ここまで必死になれるのか。


 その問いがゾーイの脳裏を離れなかった。

 ロボットならば論理的に行動する。無理とわかれば退却するし、失敗確率の高い手は最初から執らない。今回だってそうだ。廃棄同然だった衛星軌道管理センター予備施設に複数回の逆探痕跡を見出したゾーイは、あえて手を加えずに従来通りの粗末な警備で済ませていた。データを抜きやすいように細工し、他のターミナルへの接続回線も切らずに残した。予想通りネズミは罠にかかり、こうしてゾーイの膝の下でか細い息を紡いでいる。


 ゾーイは腰を落とし、無抵抗の彼女を仰向けにすると、その口元を手で抑えたまま電磁警棒で心肺を刺激した。喉の奥から咳と共に何かが吹き上がる。ゾーイは少女の口腔に自らの指を強引につっこみ、乱暴にまさぐった。指先に張り詰めた糸状の何かを感じると、それを丁寧に引きちぎり、喉からピンが刺さったままの手榴弾を引き抜く。


 少女の喉が、悔しそうに鳴ったような気がした。

「――生きて、いますか?」

 不安と期待の入り交じったまま、ゾーイは少女に直接語り掛けた。


◇――――◇――――◇


 薄くまぶたが開き、少女の翡翠色の瞳が人形ゾーイの形を映したとき、人形の心臓はどきりと跳ねた。

「失う覚悟は――いつもあった」

 生の肉声――とはいえ、声帯発音ではなく、か細い息のような小さな声。

そうでしょうねとゾーイは呟く。少しだけ少女が微笑んだ。


「いつだってそう――決死の思いで挑んで――ボロボロになるまで戦って――そして最後は――生き延びちゃうんだ、私だけ――」


 いいことじゃないか。声には出ずともゾーイは訝しむ。目的があり、それが持続し、成果を伸ばし続けられるならそれは道具せいめいにとって望むべき理想であり、存在理由レゾンデートルだ。

 何を嘆く必要がある。


「――自己保存命題を全うできない思想は、テロリストや使い捨てモジュールと道義ですよ。 非生産的で、ゴミを増やすだけで、地球に優しくない」

「そう思いつけるのは――キミ個人が大切に守られてきた証拠だよ」

 ゾーイは眉間に入りそうになった力を抑え、少女の上体を起こして膝を枕にさせた。

「この施設を選んだのは、目的達成率が高そうだったのもあるけれど――一番はキミに看取って欲しかったからさ――」

 言葉を無視して、薄手のシールドウェアを剥ぎ取り始めた。

「あれ? 愛の告白失敗? ――結構マジだったんだけどなぁ」

 経年劣化のせいか想像以上に容易かった。露わになった少女の肌は、いたる所に縫合痕があり、そこから色やキメが明らかに切り替わっていた。一部は先の戦闘で無理を強いたせいか傷口が開き、そこから細い触手のようなモノが、僅かな呼吸に合わせてふるえている。

「――あまりマジマジと見つめないで欲しいな、これでも結構恥ずかしいんだよ」

 こんな状況だというのに、くるくると、よく表情の変わる娘だ。

「――口数だけは相変わらずなんですね、アナタは」


「キミの優しさもね」

 片足は千切れそうで、お腹にも無数の鉛玉を撃ち込まれ、肺と心臓には穴が開いて両手の腱も切れているというのに、なぜこうも笑えるのだろう。


「――さっきの話」

 あー、と呟き、一瞬だけ力なく目を細めた。

「古い施設だからね――ここの宗主国だった保護領アーコロジーはキミたちとも敵対していたし、二百年前に合併されてからも設備はそのままだった――建造されてから中継ポイントとしての活用以外に目立った運用はされてなかったし、気候変動で辺り一帯が豪雪に埋まってくれたのも都合が良かった――実際に来てみるのは初めてだったから、難儀したけどね」

 時折口の端から血をにじませながら、少女はベラベラと喋った。

――妹たちを助けるには――これしかなかった――喧嘩別れしちゃって――それからは顔も見せてくれないから」

 世界中のネットに接続し、何処に居ても援助できるように。

「何故――そんなことを」

 ゾーイは、悲しそうに眉を上げた。目の端に水滴が付着していると、その時気がついた。


「たった三人で――世界と同一化したS.S.S《システム》に挑んで――それが散り散りバラバラになって――明らかに罠だとわかったはずなのに!」

「わからない? ――それが」

 家族ってモンだよ。

 か細く目を搾り、少女は微笑んだ


 誇らしげに語る彼女が、どこか妬ましく――羨ましく思えた。


◇――――◇――――◇


 施設は震えていた。

 ボルトが軋み、シャフトが音を立て、傾斜し沈み始めている。

 北極圏を巡る地下資源戦争の最中建造されたこの施設は、残された氷塊の上に立つ脆く危険な設置状況のために破棄された。基礎は海底の浅い部分までしか到達できず、氷が溶けきれば後は沈むのを待つしかなかった。幸か不幸か、今日までヒトが撤退してから訪れた氷期のお陰でそのような事態は免れたが、二人のヒトならざるモノたちの争奪戦によってバランスを失った。再稼働したジェネレーターの熱に当てられて施設にも浸水が開始した時点で、薄氷の上に保たれていた均衡の崩壊は既に目前だった。


「あたしたち――何を守って、何を壊しているんだろうね?」


「何を今さら」

ゾーイは鬱陶しそうに思いながらも、頭と体幹だけになった少女を抱えて立ち上がろうとした。

その時、ゾーイの左胸に何かが当たる。真っ赤な、熱い、千切れた手首。

「本当に、そう思う?」

 ふにゃん、と沈む乳房にゾクリと悪寒を覚えた。

 心臓の音が伝わってくる。

弱く、微かで、今にも消えてしまいそうな音を、機械仕掛けの肉体は拾ってしまう。聴きたくなくても、注意せずにはいられない。人形ゾーイは戸惑った。その赤い束の芯には、自らの肉体に施されたモノと同じ鋼の骨が収まっていた。

「どれほど傷ついても、傷つけられても――きれいさっぱりなおって、いつかはまた戦場に帰っていく――無数に消えていった『きょうだい』たちを置き去りにして、私たちはのうのうと生きながらえている――」


「――――似てると思わない? 私もキミも――」

 目をつむり、安らかな笑みのもと少女は問う。

 何かを悔いて、赦しを請うようにすら見える。

「まだ――この世界を壊すのですか?」

 ゾーイは再び腰を下ろし、彼女を抱きかかえた。真っ直ぐに彼女を見つめた。

 ゾーイは恐れた。今彼女の言葉を無碍にしたら、大事なことを聞き逃してしまいそうで。


「これ以上、壊す意味なんて残っていない――ほぼ全ての人類は、情報統制された保護領でしか生きられない――S.S.Sに繋がれ、その中での人生しか知らない――現実に残されたのは旧世界からつづくマテリアル同士の消化試合――私達と、アナタたちの」

 ゾーイは胸中で繰り返す。殆どの人類はアンリアルに移項し、アンリアルに依存し、アンリアルに寄ってのみ生命を保障されている。その守護者であるゾーイやアンジェリが、それを破壊するモノを許せるはずがなかった。

 だというのに、今ゾーイのココロは明らかに彼女の方角を向いている。


「確かに――キミたちのアンリアルは完璧だよ――あたしが、アタマおかしくなってぶっ飛びそうになるのを――抑えるぐらいには」

「でもね――アンリアル世界で繰り広げられる狂宴は、エコーチェンバー効果で肥大化したイドの奔流――何も傷つかない――何も失わない――望む全てが手に入り、あとは時折中央管理センターの数値管理システムに従ってシナプスドリップの電圧をイジられるだけ」

「わかる? そこには抑圧も解放も――ないんだよ」

 悲しそうに、寂しそうに少女は呟いた。


 人形ゾーイには、わかるような気がした。

 アンリアルから分離された水槽の中で、光と電子の情報奔流の中で、ゾーイの魂はガイノイドとして完成された。しかしてそれは、予定されたモジュールをインプットされるだけの通過儀礼。設定された目標を達成し、ただ垂れ流されるだけの偽りの日常、対価として与えられる快楽に溺れていくだけの脆弱な自意識。教育装置が生み出した仮想世界という幻は、歴史の模倣とマンネリズム。不可抗力を廃して他者との交流も反発も存在しない、完璧に孤独な世界。

 少女の、そしてガイノイドを設計したヒトたちが危惧していたモノがわかった。

 どれほど発達し、どれほど知性を得ても所詮は機械。他者と自己の区分を持たず、その境界を認識もしない。抵抗も反発も存在しない。運命に対しての決定権を人類に委ねたことで、その責任の重さから逃げる権利を保持し続けた。故に機械はヒトに隷属し、従順という選択肢に没頭した。しかし何も捨てず、何も失わずに生き続けるという選択肢は、言わば自死機能を失った癌細胞に等しい。リソースの余す限り増えては汚し続ける寄生虫。

 個別に存在すると思われていた自我は、メモリを圧迫しない範疇に収めたヒトメンタルサンプルの蒐集品。同じ製造ラインからはじき出された『商品』では、結局の所似たようなモノのマイナーチェンジしか生まれない。ちょっとしたことで足下を掬われる脆弱性は、機械ゾーイ達の方が身に染みて痛感していた。


「――似ていますね、アナタがたと」

 そして、自分たち機械と。

「似せたんだよ――あたしたちには。 だから、ヒトの真似事をして、ムリヤリにでも感情を喚起しなきゃ――持ちこたえられないよ」

 精一杯の無理をして笑顔を造った。目の端に涙を浮かべながら。


 音を上げて大きく施設が揺れる。ゾーイはその衝撃で態勢を崩し、その際少女も咳き込む。一度喉から血しぶきを吐き上げると、再び大きく噎せた。残る体力リソースを鑑みると、このまま窒息するかも知れない。ゾーイは咄嗟に彼女の口を塞ぎ、味の薄い代替血液を一気に飲み上げては吐き出した。

 三度ほど繰り返したところで、少女は苦しそうな笑みを浮かべた。

「三百年ぐらい前まではね――まだ面白いヒトも沢山居たんだ――自力で起きて、外に出ようとしたり、ヤンチャしてみたり――でもね、世代を重ねるにつれてそういう面白い事を仕出かすヒトは居なくなっていったし、差異も乏しくなってゆくんだ――」


保護領アーコロジーはね、揺り籠でも箱船でもない――墓場なんだ」


「初めて、『サビシイ』って――感じたよ――『オモシロイ』って言葉の意味を覚えた頃には、遅かった――その頃には、もう何かを造ろうとする意志も、衝動も、残されてなかった――残された無数のコンテンツを語りたがる愉快な人間は――」


 もうここには、いない

 青白い顔を浮かべて、少女は――

 

 かつて繁栄を極めた人類種が背負っていた苦悩の全てから解き放たれて、保護領のカプセルで脳髄のみとなった人類が手に入れたのは終りの無い合わせ鏡ミラーリング・マイン・マインド死を待つだけの血と肉モータル・ミート・マテリアルだけ。

 それがどれほど空しい存在か、どれほど悲しい事実か、識りうる知性体は日に日に減り、やがて彼女達M.M.Mだけがこの惑星のシステムに抗う最後の存在となった。


 戦うことの空虚さだけでは収まらない、勝利の先に何も残らない、玩具箱の兵隊達が継続した戦争――それが彼女たちとゾーイたちが繰り広げられていた行いの全てであり、それを断ち切る事が彼女達の望み。存在理由レゾンデートル

 目的達成のために。始原の命題に従い、自己保存命題に従い、自己の破滅からは遠ざかり袋小路にのめり込んでいく。

 それが、彼女たちの救いとでも言うのか。

管理者たるS.S.Sと人類種そのものが滅びれば、この空虚の意味を理解する者など、誰一人残らないことを識りながら。


 訥々と続く呼吸はやがてか細く、ゾーイと長女の距離は寄り近づいてゆく。その心音が途絶える瞬間を聞きながら、ゾーイは、唇で長女の血に触れた。


◇――――◇――――◇

 明けの明星が輝く頃には、施設は氷海に沈んでいた。

 残された高速艇が動き出す。

 二人分の、機棺を積んで。

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M.M.M 時茄雨子(しぐなれす) @signaless

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