【電考浴 3/3】
◇――――◇――――◇
限界に等しかった。
憎っきお人形に潜り込んだからではない。手元に抱えた元自分を見るのが堪えかねたからだ。例えそれが仮初めの肉体だとしても、元より存在の曖昧な彼女たちにとって一秒でも留まった確かな肉体をモノとして目の当たりにするのは居心地が悪かった。それが見るも無惨な有機無機の混合体ともなれば、なお一層吐き気を催す物であった。
あのお人形の感性が移ったのだろうか。
次女は、僅かに残った体内のM.M.Mを使ってアンジェリの脳殻を焼き切った。線虫程度の量でも口腔に忍び込めたならば容易なことだ。カルシウムを基体に作り上げた鉤爪は柔らかな声帯を引き裂き、喉奥を割って大動脈流に直接
遠隔操作によるまどろっこしさは考えていられなかった。しかし副視界情報だけを頼りに状況を捉えるのは骨が折れた。何せもとより備わっていた情報網その他の機能も失い、現状アンジェリとそのお荷物は電子的スタンドアロン状態。今、次女はどこに居て、どこへ行けば良いかも解らずじまいだ。
二人羽織でマリオネットを動かす感覚。歯がゆさに堪えながら、次女はかつて自分として動いていた擬体の首根っこを掴み、肩から上を引きちぎった。首から下では申し訳程度に銀色の脊髄が垂れ下がる。当然ながら痛みは無かったが、これ以上に無く気味が悪い光景だった。
【あーー、聞こえるかぁーー?? つーか生きてるかーー??】
聞き慣れた声。
次女は内心、これ以上無く歓喜した。
そして同時に疑問も抱いた。何故、どうやって。しかしソレについて詳しく思案している暇などどこにもない。瓦礫だらけの狭い部屋から人造人形の怪力で抜け出すと、自分を小脇に抱えさせてアンジェリを走らせた。
【違ったかなぁー? だとしたらものすげー労力の無駄使いになるんだが、どーにか外見える位置に着いてくれると助かるんだよ】
次女は訝しんだ。流暢な声色には合成音声の補助がない。それどころか、不可解な訛りすら聞こえる。正規発音表には存在しない、生身の声帯音が通路中からあふれ出てくる。施設全体を占拠したのか、あちこちのスピーカーが同じ声を響かせる。
それでもこみ上げる喜びを抑えつつ、アンジェリの網膜を介して周囲を見渡した。標準装備の暗視補助を突き抜けて、壁面モニターに同じ図面が表示される。どうやら施設の見取り図のようだった。現在地は示されていない。動体の指示もない。照明が幾度も着いては消え着いては消えしている所を鑑みると、現在進行形でクラッキングが侵攻している模様だ。その証左に、足下には稼働停止した小型無人機が累積する。
【頼むぜぇー、こちとら絶賛ドライブ中なんだ、これ逃したら後がねーからよー、上手くやってくれよ姉御ぉ】
一方的な注文は絶えない。やっとの事でお人形の扱い方が飲み込めてきたところに衝撃が押し寄せる。地面が揺れる、忙しなく左右へと往来する。揺れ方から考えて高層階である事が予想できたが、建物全体で弛むような揺れ方から尋常ではない嵩である事が覗えた。
「――なんで、こんなタイミングに寄越すかな、あの子」
人形が声を震わせた。変声期も前の、男と女とつかぬ奇妙な声。少しずつ人形の表情にも色味がつき始める。不気味の谷を縫うように不自然な笑みを浮かべて、見取り図を睨みつけながら人形は小脇に首を抱えてあちこちを往来した。
昏くて狭い通路を右へ左へ、揺れる非常階段を上り下り、やがて人形とその所持者は一つの扉を見つけた。分厚い耐圧扉を人造人間の馬鹿力でこじ開ける。ナノファイバーを基礎とした無機の豪腕が唸り、軋み、音を立てて拉げる。残る手で次女の首を抱えると、バランスを失ってフラつく人形は余計にマリオネットのような滑稽な歩みだった。
「ここを――通り抜ければ」
一縷の希望を託して、次女は人形を歩ませた。外気温度を計る術はないが、扉から続く減圧通路の壁や人形の体表が一瞬のうちに凝結していく。進行方向に微かな光が見える。光量から考えて日中のようだったが、それにしては淡い。
残る扉を人形が蹴飛ばすと、次女は絶句した。
◇――――◇――――◇
「何よ――これ」
眼前に途方もなく開けた、空と雲の世界が広がる。
遮るモノが何も無く、四方を淡い光が覆う。
高層階どころではない、地上から何十㎞と離れたそこは、明らかに軌道エレベーターの中継基地だ。空の蒼さから考えれば成層圏よりはずっと下だろうが、それでも現状、自力で降下することは不可能に近かった。
「――ふざけ、た――真似を」
次女は度肝を抜かれた。今の言葉は自分のモノではない。施設内であちこち往来するウチに、水面下で人形が自身の支配権を取り戻しつつあった。アンジェリの声が終わると同時に後方では防護壁の開閉音が聞こえる。振り向くと、死角で待ち構えていた防衛モジュールが幾百年ぶりに起動し始めていた。凝結した関節をパキパキと鳴らして、黒い影が人形の周辺を囲みつつあった。
その時、爆音を上げて眼前をなにかが飛翔し去り、ほんの少しの間を開けて衝撃波が辺り一面を薙いだ。次いで耳をつんざくような甲高い音が鳴り響き、熱を伴った光線がモジュールの黒い胸を貫いてゆく。
【
あの子の声が聞こえた。今度は脳内に直接、鎧脊を通じて。
一羽、二羽と鋼鉄の渡り鳥たちが滑空してゆく。幅広の翼を広げて、大小様々な群れが軌道エレベーターの周辺を周回していた。嘴に、懐に、レーザー兵装を提げた鉄の鳥たちが、未だに動きのおぼつかない防衛モジュールたちをなぎ払ってゆく。
人形の視界リンクがシャットダウンする。同時に自力で残った眼球の制御システムを立ち上げ、固定された視界からぐるりと見渡すと、大空の端に真っ黒な機影を確認した。母機と思わしきその機種は、かつて自分たちが落とした
【姉御! 無事か――――って、無事なわけも無いか】
機影は向こう何㎞と先にある雲の影に潜んだ。そこから無人機を飛ばして哨戒機や防衛機構を相手取りつつ、リアルタイムで現地をクラッキングしているようであった。こちら側の中継機となる無人機を攻撃機が取り囲み飛翔する様は完全に渡り鳥のそれで、情勢的に余裕のないことが見て取れる。
「させ――るか!」
周囲の護衛が全て落とされ焦ったか、人形は自身の支配権を取り戻すと同時に次女の頭を掴んで高々と振り上げた。が、それと同時に人形の胸を赤い光が貫く。
【前にも言っただろうが、姉貴に手ェ出すなら覚悟しなってな!!】
三女の無人機が真上を横切る。焼け焦げるような匂いを残して人形は倒れ込むが、腕に抱えられた次女の頭部はそのまま手放されることが無かった。無人機が何度となく最接近を試みるが、軌道エレベーター側が自主権を復活させてから応戦は厳しくなり、思うように近づけない。
万事休すか。内部電源を失いつつある次女の意識は再び諦観に沈もうとしている時だった。
【――許せよ、姉御】
三女の乞うような呟きと同時に、火線の合間からなにかが投擲される。おぼろげな視界の中でそれは翼を広げ、羽ばたきだした。――イカロス、フローリングシニフィアン、かつてそのようなあだ名を付けられた姉妹達の偵察機が、群れを成して再び次女の元に降り立った。
懐かしい光景に次女がまぶたを緩ませた、それと同時に、愛鳥たちの嘴がそのうつろな瞳を
意識の途絶える寸前に次女は、己の脳髄が機械仕掛けの鳥たちに食われていくの聞いていた。
◇――――◇――――◇
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