【電考浴 2/3】


 ◇――――◇ ◇――――◇――――◇ ◇――――◇

「キミたちの正体は分かった。 後は背後関係だが、これはまた明日に持ち越す。 正直なところ――キミから得た情報だけでは判断しかねる」

『持ち帰って上司に報告ってワケね』

 そういうことになる、と短く一言告げてアンジェリは黙した。

 

 一通りの尋問を終えて、アンジェリは部屋の隅に置かれた機材に腰掛ける。眉間に拳を当て、背を丸めて酷く深い溜息を吐いた。

 逆浸入を警戒して施設はシステムから独立させ、情報はアンジェリ自身が全て回収した上で解析に回す手筈となっている。だが事態の深刻さはアンジェリの想像を絶しており、一介の端末単体で解決させるには目途が立たない。当分の間、アンジェリはこの居心地の悪さと同居しなければならない。


『―――で』

 培養槽の中で、女の形をしたモノは語り掛ける。

『当面の処遇はどうなるのかしら?』

 直視する余力はまだないのか、アンジェリは項垂れた姿勢のまま微動して応えた。


『実験? 解剖? それとも意地汚い拷問? ――どれも碌な結果にならないわよ』

「そんなことは解析済みだ、もとより今のキミに残されているモノは――僅かだ」

 憐れみか、嫌悪か、アンジェリは視線を逸らしそう吐き捨てる。

 彼女の体内に現存する悪魔の発明、M.M.Mモータルミートマテリアルの残滓は少なく、体構造の殆どはアンジェリと同様のカーボン繊維で出来ている。サンプルの解析が済み、一通りの陳述が終わった今、物理情報としての価値は激減した。

 間もなく彼女の処遇に関して決定事項が降りる。後はインジェクター残量の赴くままに自然死を待ち、冷凍保存か、即時解体か。


『いずれにせよ、私の生命は一切補償されないことは、確かってことね』

「やるとしたら、マルウェアだらけのキミの脳殻を開くだけだ――参考程度にね」

 そう、と寂しそうに呟くのをアンジェリは見届けた。

 力の無い吐息。血の通わない肌が僅かに動き、緩やかな笑みを作った。

 その唇の仕草に、アンジェリはどこか心が動き掛けた。


 S.S.Sのやることはわかりきっている。たとえ敵であれ人道や人倫L&Qには最大限の注意と厚遇を求めながら、それがモノとなれば容赦をしない。叩き潰すだけだ。その精神の根幹を自らと分かち合っているアンジェリにすれば、疑問の余地もない当然の選択だ。だというのに、何故こうも胸の内が掻きむしられる思いがするのか。何故こうも、納得できずに苛むのか。

アンジェリは未だにそれを言葉に起こせず苛々としていた。


『やっと――――終わるのね』

 電光を浴びながら、培養槽の中で女は満足げに微笑む。

――――終わる、と言ったのか?

「何故、笑える」

 アンジェリは、自身で問い質したに内心驚いた。悟られぬよう表情をこわばらせるが、彼女には丸わかりのようですらあり、無言のままアンジェリを見つめて微笑み返す。


「何故、笑うことが出来る、この状況で」

 アンジェリは、震える手にも、鋭くなる視線にも、語気が強くなることにすら無自覚だった。


「答えろ!」

『――――だって、終われるんですもの』

 いつもの嘲笑うような意地悪さはそこに無かった。

 満ち足りたような、静かな笑みを浮かべて女は目をつぶった。

『これほど待ち望んだ瞬間もないわ――アナタには理解できないでしょうけど』

 身に置かれた現状が理解できていないのかと疑った。


 ―――狂っているのか

未だアンジェリにはその心境が理解できないでいた。


死ぬことが恐ろしくない、という意味ではアンジェリも同等だ。

肉体の死はプログラムである彼らに何の意味も与えない。定期バックアップを施された魂にも死は存在しない。対して彼女たちには、それを実行する術の殆どを失った。

 任されたミッションがどうあれ、M.M.Mの完敗は決定している。既に彼女たちの基地たる保護領は空爆され、妨害工作の為に敷かれた通信網も完全制圧間近だ。一縷の望みであった鉄砲玉はこうして捉えられており、再起のチャンスは欠片も無い。

 だというのに彼女は、安らぎに充ちた笑みを浮かべている。


 志半ばでも己の死を甘受できる存在をアンジェリは知らない。そんな自滅的思考タナトスを許すモノは、カオスに生きるヒト以外に存在し得ない。

 それが嫉妬であることを、それが自身の中に芽生え始めたことを、アンジェリはひた隠しにした。


 アンジェリの震えは止まらない。電光浴に浸りながら、彼女はそれをただ見つめている。

 やがてその震えが部屋全体を包んだ。


 ◇――――◇ ◇――――◇――――◇ ◇――――◇


 僅かな、実に僅かな振動だった。


<エマージェンシー:LvⅢ>


 鳴るはずのない警報音を聴いたとき、両者の背筋に電流が走った。

 即座に抑制剤が注射される彼女に対し自由の利くアンジェリは立ち上がる。辺りを見渡す素振りを見せたが、当然ながら異常は無い。それ以前に起こりようがない。閉鎖された施設の中には電光に満たされた浴槽と周囲を取り囲む機器が絶えず稼働を続けるだけで、なんら変化する要因は残されていない。

 原因は外部にあった。


<当施設 ニ 接近 スル 所属不明機:一機>


 脳裏に走った情報にアンジェリは度肝を抜かれる。馬鹿な、あり得ない。そう胸の内で何度か息を呑んだ。施設警備を任された兄弟たちは何をやっていたのだ。いや、そもこうもタイミング良く異常事態が引き起こせる物なのか。

 アンジェリは再三培養槽を見た。もはや睨みつける域だったが、それもこれも無意味な行為だと分かった上で止めようがなかった。それほどまでにアンジェリは精神的に追い詰められていた。

 

施設は地上一〇〇km、カーマンラインに設置された軌道エレベーターの中継基地だ。直上はクラウンベース、地上基地は近隣保護領との連携で針一本も通れないS.S.S最高レベルの警備で固められている。尋問中のアクシデントを避けるため電子的な接続は切られており、物理的浸入を介さずに施設へたどり着く事は不可能に等しい。


どん、と鈍く重たい激震が辺りを走った。もはや立っていることすらままならず、アンジェリは床にたたきつけられた。固定されていない機器が一斉に動き出し、波の満ち引きが如く往来している。

たまらずアンジェリの口から言葉が飛び出す。

「何なんだ、さっきから!」

 間髪入れずに第二波、第三波が訪れ、その都度施設の中は激しく揺れ動いた。構造上耐震性を考慮されているはずの軌道エレベーターがこうも激しく揺さぶられるなど滅多なことではない。縦横無尽に駆け巡る振動を少しでも緩和すべく、施設全体が大小様々な波に包まれている。やがて室内に所狭しと設置された機器の一部が弾け飛び、部屋全体が崩れかける。

 咄嗟にアンジェリは培養槽を見た。浴槽の中は細かな泡が吹きすさび、インジェクションは緊急停止している。身動きのとれない収監者は恐怖に支配され、見開いた眼窩の中で瞳が震えていた。


 やがて四度目の振動が施設を襲った時、壁面から剥がれた機器が勢いよく培養槽へ倒れ込む。

『キャア!!』

「――――危ない!」

 思わずアンジェリは身を乗り出すが時既に遅く、薄緑色の培養液が鉄砲水の如くヒビから溢れ出した後、スクリーンを兼ねた電光アクリルが音を立てて弾け飛んだ。一瞬で培養槽の中は泡で満たされ、その中で僅かな人影がゆっくりと落ちていく。

アンジェリが残るアクリルをたたき割って浴槽内部に潜り込むと、やはり彼女は捻れたコードに引っかかって宙づりの状態になっていた。既に呼吸器など持っていないが、首を圧迫しては一大事と思い救出を試みた。が、その直後息を呑む暇も無くアンジェリは背後からさらに倒れ込んだ機材の下敷きになって、その場で身動きを封じられた。

 

 数秒か、それ以下か、再起動に手間取るアンジェリの横をなにかが蠢いていた。咄嗟に彼女だと気づき身を捩るアンジェリ。首と肩と、あばらの一部を僅かな隙間の中で芋虫のように動かして、彼女はアンジェリと向かい合った。


眼窩に収められた生体義眼が煌々と輝き、アンジェリ自身を映し出した。

奇妙なことだが、互いをよりよく知り合っているにもかかわらずこうやって間近で見るのは初めてのことだった。手の内を探り、痕跡を追い、両者はお互いを凝視してきた。それ故に、認めることが恐ろしかった。その姿形や目的がどれほど遠くても、その本質は似ていると。

 大丈夫か、とアンジェリが呟くよりも前に、その唇は塞がれた。


 柔らかな感触に戸惑う暇も無く、その口腔に血の味が潜り込む。いけない、と咄嗟に身を引き剥がした瞬間、舌の先に絡みつく赤黒い糸の束が何本か千切れ、何本かは落ちることなくズルズルと舌の上を這い上がり喉の奥に滑り落ちていった。アンジェリは噎せて咳き込もうとするが、まるで首が動かない。そうこうしているうちに再び唇を合わせられると、同時に胸の奥で激痛が走り食道や気道にも焼けるような熱さを覚えた。

 M.M.Mスリーエム=モータルミートマテリアル。


「お前――――何を?」

 必死の思いで言葉を紡ぐアンジェリに、悪魔リリスは冷たく微笑んだ。

「ドサクサに紛れてごめんなさい――私、アナタのことそんなに嫌いじゃないのかも知れない」

 肉体をむしばむ、環形動物ミミズのようなピンク色の『なにか』。

「ごめんなさい――アナタを使わせて貰うから」

 眠りゆく意識の底、無意識のうちにアンジェリは、目の前の微笑みにゾーイを重ねていた。


 ◇――――◇ ◇――――◇――――◇ ◇――――◇

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