【電考浴 1/3】


 ◇――――◇ ◇―――◇―――◇ ◇――――◇


 捕縛された次女は薄緑色の羊水のなかで目覚めた。

 辺りは薄暗く、培養槽らしきゲージを囲うライトのみが光源だった。いつの間にかすげ替えられた物理眼球をぐりぐりと回す。

 まず手を見ようとした。

 だが、そこには薄緑色の光景が広がるだけで、腕は肩から先がまるきり失われていた。腕だけではない、見渡せば胸膜から下はまるごと引きちぎれ、鎧脊の先端には人工筋肉の僅かな残骸が絡みつき、補助器官の配線もむき出しになっている。

 首筋や動脈部にはいくつものインジェクタに接続され、絶えず何かしらの薬品が注入されており、どうやら目覚めはコレによって引き起こされたようだ。


 ―――嗚呼、最っ低


 死に損ねた。また、今度も。

 何度も悔やむ、何度も恨む。その都度に身を奮わせて血を暖め、負極の海に飲まれて冷え切った心に再起を促し、より過酷な死闘へと挑む。繰り返すウチに慣れてもいったが、それでも今回は、飛び抜けて最低だった。自由が利かないことよりも、否が応でもという魂胆が見え透いていて、途方もなく気持ちが悪くなった。

 メンタルの変調を価値したのか、首筋のインジェクタが作動し、投薬される。骨を通じて異物が体内に注入される音を聞くと、いくらか目眩がして意識が少し遠のいた。


「起きたか」


 冷たい、低い、少しばかり聞き慣れた声だった。


――――ああ、あのボウヤか


 ゲージの外を注視する。どうやらずっと前から、アイツはそこに立っていたらしい。腕を組み、背を壁に預け、じっとこちらを睨みつけている。駄目よ、そんな目でレディを見つめちゃ――そんなふうに茶化せればどれほど気持ちも浮いたことか。


――――<意識野 覚醒維持 海馬組織不活性化処理ヲ解除>――――

――――<模擬副人格イミ=イド 正常ニ作動中>――――

――――<脳神経補強液シナプスドリップ圧力値プラス三・五>――――


 ヒトの可聴域を最低限確保した程度の、耳障りな電子音。雑音や音域のはばがなく、伝達のみに特化された、酷く尖った声。

 

「意識レベルは平常値を維持、言語野の活性化を認める。 浸入しすぎるなよ、なるべく感情域を刺激したくない」


 少年と呼ぶには冷静すぎる口調、そして少女と呼ぶには冷淡すぎる判断。

 完全人アンドロギュノス人造人間アンドロイド――御使い《アンジェリ》。


 御言葉ミコトバに従ってインジェクターが作動すると、舌の感覚が甦ってきた。ピリピリとした幻痛――以前アンリアルで疑験したカプサイシンの感覚にも似ている。脳殻に収められたナノマテリアルの集合体が、かつて生身の脳味噌だった頃に持っていた言語認識と舌の連動モジュールに引きずられて、不必要だった味蕾みらい感受態レセプターが作用したのだ。


 だが、言葉は出ない。声帯は震えず、舌は回らず、そもそも肺がないのだから当然だ。

 どうやら運動野の支配権は向こう側が持っているらしい。


――――<圧力値プラス五・五 交換機ニ信号逆流>――――

補正会話メタパロールを許す。 エビデンス三一六号の解凍と適応」

――――<コード確認 実行>――――


 脳殻の奥にイリイリと焼け付く感覚。目眩、吐き気、言い表しようのない多幸感。

電脳の一区画が活動を再開したようだ。疑似体験アンリアル同調サイバネティクスするときに使用する、自己認識プログラムに近しい部分だ。網膜の裏側から極彩色の光線が何条にも燃えさかるのが見えた。一瞬だけ引き起こされた原色幻視サイケデリックに吐き気を覚えたが、冷めた頃にはいままでの息苦しさがウソのように軽くなった。

 まるで、失った肉体が全て元通りになったかのような。

 もしくは、幽体離脱か。


「キミの脳殻に予備として残された、アンリアル世界のアバターデータ、その言語回路だ。 無理矢理押しつけられるよりかは使い勝手も分かるだろう」

 

 高圧的ではあったが、いままでのような傲慢さはなりを潜めていた。

 口ぶりから察するにある程度の事実は既に把握されているらしい。


『ねている あいだに ぶっしょく するなんて しゅみが わるいわね あなた』


 次女は可能な限りの脳力を振り絞り、半ば夢見心地の悪夢体験の中から、思いつく限りの皮肉を紡いで見せた。拙い言葉柄糸は裏腹に、補正された音声は明瞭に述べ伝えた。まるで口が明後日の場所に置いてあるようだ。


 ◇――――◇ ◇―――◇―――◇ ◇――――◇


「僕の名前は【エージェント・アンジェリ】 人々からはそう呼ばれ、そう認識している」

『自己の定義を他人に委ねるの? 随分と自主性の弱い自己紹介ね』

「機械とは本来そういうモノだろう」


 言い聞かせるようにアンジェリは呟いき、続く沈黙で次女にも名乗るように薦める。

 女は、次第に自由を取り戻した首を捻ってそっぽ向き、投げ捨てるように言った。


『名乗るほどのモノじゃないわ、第一名乗ったとして偽名よ』

「チームメイトたちがいただろう? の間ではどう呼んでいた」

『ないわ――あったけれど、忘れた。 もう呼んでもらえない名前にすがりつく理由なんてないでしょう?』

「――もう会えないと、何故決めつける」

『アナタが会わせてくれないわ、きっと』


 勝ち誇ったかのような声色。恐るべきスピードで、培養槽の中の女は仮初の肉体をモノにしてきた。

 アンジェリは内に秘めたる恐怖心を押し殺しながら、話し続けた。


「――キミたちの本性については、物的証拠からある程度の推察が出来ている」

『でしょうね――他人ヒトサマの脳殻ほじくり返してアバターデータ勝手に盗み出してるんですもの』

「ソレだって他人ヒトから盗んだモノだろう?」


 培養槽の中の女は、黙った。

 事実、彼女のアバターデータは、氏名、経歴、疑似体験空間アンリアル世界で行方不明となった複数の女性のデータを継ぎ接ぎした、デタラメの極致のような、人造人間の花嫁フランケンシュタインの怪物であった。

 アンジェリは、少しだけ息を荒く、事の経緯を述べた。

 女には狼狽えているようにも見えた。


「アバターデータだけじゃない――生体認証を目的として採取されたサンプルは、それぞれ同一人物から採取されただけにも関わらず、が発生した! 口腔内の皮膚細胞と傷口の体細胞がそれぞれ別人で、しかも三桁に迫る複数人で、年齢も性別もバラバラ――普通はあり得ない、いくらドナーを移植したとして、そんな無茶苦茶な細胞体系など、普通この惑星では発生し得ない!」

『普通は、でしょ?』

「――そう、普通じゃない奴は、過去にごまんと居たんだ」


 アンジェリが俯くと同時に、培養槽の周囲に立体映像が投影される。かつての彼であれば、ここで得意気に語るのだろう。だがいまの彼は、苦しい息の下から呟くのが精一杯だった。


「【不死計劃イモータライズ・ミッションズ】 探し出すのも一苦労だったよ」

 最初の資料は何百年も前の秘密文章からだった。


 河北におけるBC兵器の使用で混沌と化した旧大陸軍閥間で取り交わされていた、些末な眉唾物のバイオテクノロジー研究文書。出資元であった軍閥が内ゲバ同然の分裂と、それに乗じた外部勢力による工作で研究者諸共行方不明となっていたプロジェクトだったが、数多の戦争と混乱の影に隠れながらも、何処かで続けられていた。

 

 次いで映像資料が投影される。再現実験中に精製された、不可思議なピンク色の肉塊。下水口の水たまりに群がる、異常繁殖したイトミミズの集合体のようなおぞましい光景。電極を埋められたそれらが通電した瞬間、それまで不規則に蠢いていたはずの肉塊が瞬く間に整列し、ヒトの指の形に変形したのだ。

 その光景を忌々しく見つめながら、アンジェリは口を開いた。


「S.S.Sがユーラシア大陸の保護領アーコロジーを完全占拠した際に、アーカイブ資料として初めて明るみに出たが、当時はゴシップ誌に載る陰謀論まがいのネタとして精査もされず闇に呑まれて消えた――禁断のウイルス兵器、不死の兵隊さ」

 その後は断片的な情報だけが報告され、全てが繋がったのはアンジェリが復帰して以降、ほんの数日前だった。いまや、この計劃は少女の姿形と、クラウン襲撃という事実を持って、アンジェリの目の前に現れたのだ。

『―――そう、詳しいのね、アナタ』

 アンジェリは培養槽の中を睨みつけた。

「悪魔って言うのはキミたちのような存在を言うんだろうな」

 電子音声が脳圧力値の上昇を告げる。


『お褒めの言葉ありがとう、せめてメフィストフェレスって呼んで欲しかったけれど』

「はぐらかすなよ化物共、人倫を踏みにじっておいて何を言う」

『不死を願うのが罪ならば、万人を保護領で生きながらえさせようというアナタたちの行動はどう裁かれるべきなのかしら』


 まぶたが一瞬震えたが、気にも留めずアンジェリは続ける。

「当初――遺伝子疾患に喘いでいた該当地域の研究者達は、偶発的に遺伝子操作を行うウイルスを発見し、そこから恣意的にRNA言語の書き換える技術を模索した。 それがいつの間にか軍事転用され、新しいBC兵器の製造を目論んだ――だが計劃は頓挫した。 大手製薬会社の作り出したナノマテリアル技術による人工抗体に、あっけなく敗北することが分かったからね」


 その製薬会社は、S.S.Sの産みの親の一人でもあった。


「研究者達は母国を捨ててインド洋を渡ると、亡命先でアプローチを変えて、今度はこれを人工筋肉の強化実験に活用した。 人工胚から幹細胞を形成し、電気信号を増幅して伝達する筋組織を作った。 擬似的な神経組織と運動器官の併用、【考える筋肉】とも呼ばれてたね。 結果は成功、世界中の闇サイボーグ市場で人工筋肉が売り買わされた。 我々がより安価なカーボン繊維と強力な戦闘モジュールを発明するまでの間、彼らは巨万の富と権力を得た」


 アフリカ大陸の東海岸、いまは更地となった研究所には、制圧当時小さいながらも保護領が建設されつつあった。


「そして、悪魔の計劃を暴いた再現実験で着目されたのは、兵器としての不完全さだった――副作用としての免疫疾患、抗体の弱体化、発癌リスク。 何よりこのウイルスが人工筋肉を造るには、使――たった一人のスーパーマンを造るために、何百人もの健康な肉体が必要だったんだ――事実、この計劃に賛同した地域は、計劃を導入した直後から平均年齢が加速度的に若齢化していった。 全部食われたんだよ、キミたちの仲間にね」

 培養槽の中で少女は『あらそう』と一言呟くだけだった。


「内部文章がこの計劃の非人道性を物語っている。 【死に損ないの肉素材モータル・ミート・マテリアル】――M.M.Mスリーエムってさ。 僕らが知っているのは、精々ここまでだ」

 あとは、と言いかけて、アンジェリは再び培養槽へと向かい合う。立体映像が次々と消滅し、電光に照らされたアンジェリと女だけが闇の中から存在を浮き彫りにする。


 その先の話を求めているアンジェリと、しばしの間見つめ合って、女は口を開いた。

『そうね、どうせ残り短い命だもの――さっぱりしたいのは、ワタシも同じよ』


 ◇――――◇ ◇―――◇―――◇ ◇――――◇


 次女は先ず、自分の家族構成を伝えた。

 簡潔に、つい一〇〇時間前まで活動していたであろう二人についてのみの言及だった。

 なるべく傷に触れたくないような、寂しそうな口調で。


「姉妹と言ったが」

『義兄弟みたいなモノよ、遺伝的な繋がりはもちろん無いわ。 よくあるでしょう、三国志とか、水滸伝だとかで――』

「ああ、すまない。 アンリアル・コンテンツには興味が無いんだ」

『あらつまらない』


 アンジェリは臆すことなく質問をぶつけた。


「M.M.Mのは抗体維持や免疫機能が著しく落ちるが、どうやって肉体を維持していたんだ?」

『機能減衰と言っても補完は容易よ、どこかの企業サマが医療技術を爆上げしてくれたお陰で、逐次抗体ナノマテリアルを打つだけで事足りるわ。 環境変動と生態系破壊で感染症も激減したから、不測の事態も減ったしね』


「――保護領向けの物資車輌が定期的に襲撃されていたのは、その所為だったのか」

『空輸に切り替えられてからは本当に骨折りだったわ、お陰で姉さんが空戦システムのハッキングに強くなったけれど、に付き合わされた時は本当に困って――』


 培養槽の中で、きらめきながら泡が上がる。


『―――一番の懸念はお肌のメンテナンスだったわ、破傷風菌の絶滅は確認されていなかったからね。リクウシのくっさい粘液質をひたすら塗り込むのよ、毎晩毎晩』

「外皮組織と筋肉組織で遺伝子情報が違うのは」

『M.M.Mに複製出来るのが、あくまでも筋肉と神経のみだったからよ――内臓や皮膚、骨芽細胞なんかはドナーを頼ったわ――ご想像通りの場所からね』


保護領アーコロジー


 アンジェリの眉間が大きく歪む。

「やはり、ヒトを襲い続けたのか――」

『恨まれても筋違いよ、第一、調達先の大半はアナタたちと政治的緊張関係の所ばかりだったし、案の定疑似体験装置任せで人命の尊厳Life of Qualityは最低基準だったわ。 目覚めたところでノーミソすっからかんの植物人間が残るだけよ』


「――待て」

 アンジェリは掌を見せて発言を遮った。

「どうやってヒトの身体を乗っ取る? M.M.Mの技術はあくまで筋肉の機能増進で、神経系には何ら作用しないはずだ――そもそも、キミらの人格はどこから来た?」

 

『―――一九八八年、コネティカット州、クレア・シルヴィア』

 二〇世紀の与太話をするな、とアンジェリは声を荒げる。


「臓器移植による記憶転移は疑似科学だ! 生体意識の生身への完全移植は、我々の電子情報同調技術サイバネティクスでも不可能だ!」

『もう、我慢の利かない子ねぇ――分かったわよ、全部話すわ』

 ボウヤには刺激が強いでしょうけど、と付け足して、次女はアバターデータを介して資料を提示。アンジェリはソレを見た途端、青ざめて一瞬引いた。


『生物界において、個体に内在する情報を他の個体に伝搬させる唯一の手段はよ――M.M.Mの計劃でここに着目したプロジェクトがあった――即ち、の。 どうもコレ、元はハニートラップ用に開発されたようね』


 随分と間を開けてから、アンジェリは淫魔リリスめと吐き捨てた。

 開示された資料は極めて複雑だった。


『脳内の一部に形成された良性腫瘍を通じて、記憶を翻訳、RNA言語に変換して圧縮した媒介情報をタンパク質で保護し、約二一グラムの媒介ホスト群を造るの。 それがリンパ腺や循環器を通じて生殖器官へ送られる――そう、ワタシたちね、のよ、三人ともみんな――』

 次女は取り戻した表情筋を動かして、こうもボロボロに壊されちゃったら確認のしようもないでしょうけど、と不敵な笑みを浮かべた。鎧脊メタルスパインのないむき出しの脊柱から伸びた神経機器が、まるでさものように震えて見せる。


『相手の体内に放出された媒介情報態は、そのまま相手の器官に居座る。 運良く卵子と巡り会えば、そのまま模擬胚性幹細胞を形成して、胎盤でRNA言語を解凍する。 多少時間は掛かるけど、こうやって体内に復元されたバックアップデータは吸収され、脳幹を通過して海馬や意識態にたどり着き、やがて定着する――目覚める頃には、を真横に見ながら、が手に入るのよ』

 次いで誇らしげに、胸を張るような仕草を踏まえて、次女はアンジェリを煽った。


 アンジェリは手で口を押さえて俯き、よどんだまなこで培養槽の中を睨んだ。

「神への――生命倫理への、冒涜だ」

不死計劃イモータライズ・ミッションズとはよく言ったものよね。 例え個体が死ぬ運命にあったとしても、こうやって他者の肉体を借りて、意志や魂が生き残る――ネットワーク通信の類いを介在せず、誰に盗み聞きされる危険性のないまま、明確な記憶を転写する優れた発明よ』


 怪しい電光を浴びて、死に損ないの肉塊モータル・ミート・マテリアルと化した次女がそう嘯いた。

 それは、アンジェリにとって、唾棄すべき者からの宣戦布告だった。


 ◇――――◇ ◇―――◇―――◇ ◇――――◇

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