第25話 確認

「じゃ、シェーンちゃん食べ終わったみたいだし、そろそろお風呂に案内するわね。お嬢さんがたはゆっくり召し上がれ。鎧を脱がせるのもアタシが手伝ってあ・げ・る。シェーンちゃんも同性同士のほうがきっと気楽でしょ」


 食事を終え、アレンが旅に必要なものを買い足すために席を外したあと。この駅の主ミカエルが嬉しそうにショーンに声をかけてくれた。


「ありがとう。助かる。しかし、いいのか?」

「気にしない気にしない。アレンの仲間なら家族も同然よ。それに、さっきも言ったけど昼間はここ、わりとヒマなのよ」

「では、お言葉に甘えよう。よろしく頼む」


 ここまで言ってくれているのに断るのも失礼にあたるだろう。ショーンは立ち上がり、ミカエルに一礼する。


「こっちよ。ついてきて」


 ミカエルはにっこり微笑むと、ショーンを手招きしながら階段脇のドアに向かっていった。


 ドアを抜けると、短い渡り廊下の先、湖のほとりに石造りの小屋がある。宿より小さいとはいえ、そのあたりの一般家庭くらいの大きさはあるだろう。

 ミカエルはその小屋の扉を開けて、ショーンを招き入れた。


 部屋からなだれるようにあふれ出てきた、湿り気を含む木材の爽やかな香りがショーンの心を落ち着かせてくれる。

 最初の部屋は脱衣場。部屋の広さは二間四方といったところか。床は桧の板張り。天井はそれほど高くない。左右の壁沿いに桧の横板だけの簡素な脱衣棚が二段ずつこしらえてある。奥の扉の向こうに浴室があるようだ。奥から熱と湿気が伝わってきた。


「暑いでしょ。早いとこ鎧を脱がせましょうね」

 

 早速ミカエルが慣れた手つきでベルトを緩めピンを外し、胴鎧を脱がせてくれる。まだ鎖帷子くさりかたびらや厚手のキルトの上着は着けたままなのだが、通気性のないこれを外すだけで、かなり涼しく感じた。一気に体温が下がってくれた気がする。

 紐を緩め、他の部分もどんどん外していった。ガントレットは食事のときに食堂で外していたから自分で紐をほどける部分もあるのだが、肩鎧や腕鎧の紐には自分では解きづらい箇所がある。ミカエルの手助けがショーンには非常にありがたかった。

 あっという間に、ショーンは身につけていた鎧から解放される。鎖帷子まで脱げると身体が軽いし、何より涼しいのがありがたい。


「ミカエル……いや、ミカエラ殿と呼んだほうがいいのか? ありがとう」

「ん? そんな堅苦しい呼び方しないで。ミカエラって呼び捨てにしてくれていいわよ。そこに手拭いもあるから、自由に使ってね」

「ありがとう」


 ショーンは鎧の下に着ていたキルトの上着を脱ごうとした。まだ治りきっていない肋骨の骨折痕に一瞬ビリッと痛みが走り、ショーンの顔がわずかに歪む。

 ミカエルはそれを見逃さなかった。すかさず手を出し、再びショーンを手伝う。上半身裸になったショーンを正面から見て、ミカエルは一瞬息を飲んだ。


「これは……ごめんなさい。さっき変なこと言っちゃったけど、あなた予想以上にいい身体してるわね。この適度な締まり具合、アタシ好みだわ。それと……アレンがあんなにあなたを心配してる理由もよおぉくわかった」


 ため息混じりのミカエルの声が聞こえる。ショーンは首を傾げた。


「この傷……致命傷になっててもおかしくない傷痕がいくつもあるわよ。あなた、自分がどれだけ無茶してきたか、自覚ないでしょ」


 そう言いながらミカエルはゆっくりとショーンの背中にまわりこむ。まだ少し赤みのあるショーンの脇腹の傷痕を、労るように指先でそっとなぞりながら。

 危険な気配は感じない。ショーンも身じろぎもせず、その指の感触を意識で追っていた。働く手。少々固くざらついてはいるが、あたたかく優しいミカエルの指先の感触。少しくすぐったくも感じる。


「向こう傷だらけ。防御創はあるけど。ここ以外、逃げながらつけた傷はほとんどないわね。逃げられる状況になかったか、それとも避けるのが上手いのか……」


 空気が動いた。僅かながら、重く鋭い圧の変化。ショーンはミカエルに背を向けたまま、咄嗟とっさにストンと脱力して床に膝を突いた。その頭上を、風切り音とともにミカエルの拳が通り過ぎる。

 ショーンは無意識に手を伸ばし、頭上でまだ伸びつつあるミカエルの腕を掴みかけていた。しかし、思いとどまり床に手をつく。右足で床を蹴り勢いをつけ、バランスをとりつつ左足を軸に低い体勢のまま身体を左回転。右脚を伸ばし、ショーンは足払いを仕掛けた。ミカエルは音もなく飛び退すさり、ショーンの足払いを難なくかわす。

 ショーンはそのままの勢いで半回転して静かに止まった。


「どうやら後者ね。ごめんごめん、試すようなことしちゃって。でも万全じゃなさそうなその身体でアタシの不意打ちの拳をかすりもせず躱した上に反撃なんて。あなたすごいわ。安心した」


 ミカエルは言葉通り、安心したような笑顔をショーンに向けた。

 ショーンは左足を立てた片膝の体勢で、ミカエルを正面に見上げている。緊張を解き立ち上がろうと動いた瞬間、ショーンの右脇腹の傷痕にしびれを伴う強烈な痛みが走った。ショーンは短く小さく呻くと、歯を食いしばってうつむく。そのまま左手で傷を軽く押さえてうずくまった。

 その様子を見て少し心配顔も混ぜつつ、笑顔のままミカエルはショーンに歩み寄り右手を差し伸べる。


「これならアタシが駅を留守にして手を貸さなくても大丈夫かしらねぇ。立てる? 今ので無理させちゃったかしら……もしかして、さっきアタシを投げようとしてやめたのは、どこかの傷が痛んだから?」


 ショーンは顔を上げ、警戒する様子もなく右手でミカエルの手を取った。あたたかく力強い手が、ショーンの手をしっかりと握って引き上げてくれる。


「この程度の痛みなら、すぐにおさまる。大丈夫だ」


 できる限り心配はかけたくない。痛みをこらえるような響きも若干混ざってしまったが、ショーンはゆっくりと立ち上がりながらしっかりと芯のある声で答えた。


「それより、ありがとう。相手がいると、より実戦に近い動きが確認できるものだな。あなたからは殺気や敵意……いや、攻撃の気配すら感じなかった。だから一瞬反応が遅れたが……ミカエラのおかげで、今の身体でもここまでは問題なく動けると確信が持てた」


 他に痛む箇所はないか、違和感はないか。俯きがちに、まだ少々強めにひりつく脇腹の傷を押さえたまま、ショーンは全身に意識を巡らせた。あとは肋骨に多少の熱さを感じる程度。どちらも治りの遅い深い傷痕きずあとだ。ほかに違和感のある箇所はない。どうやらほぼ問題はなさそうだ。


「あなたを投げなかったのは、傷の痛みが原因ではない。あなたやこの駅に傷をつけたくなかったんだ。投げればおそらくそこの脱衣棚や天井、床を壊してしまうだろう。どんなに受け身が上手くても、ミカエラも多少どこかを傷めてしまう可能性がある。そうなれば、ミカエラの生活や仕事に影響が出るだろう。それに、大きな音がすれば、メラニーたちもきっと心配する。アレンもあなたは腕が立つと言っていたし、実際に動きを見てわかった。実戦慣れしたあなたの勘と速さなら、俺の足払いは確実に避けてもらえると。ならば、それが一番被害が少ない」


 そう言ってミカエルをまっすぐに見上げ、ふわりと微笑む。そんなショーンを見て、ミカエルは目をまん丸に見開いた。


「驚いた。不意打ちを仕掛けてお礼を言われるなんて、初めての経験よ。それにあの一瞬でそんなことまで考えてくれるなんて……んもうっ、あなたどこまで美人なの!! その笑顔も、んーっ反則! こんなの、同性でも惚れるなってほうが無理!! あなたのこと、前にアレンから聞いてはいたけど……ああんっ、アタシの想像をいとも簡単に飛び超えてくるなんてもうっ」


 軽く握った手を胸の前で合わせ、赤面して乙女のようにイヤイヤをするミカエル。それをショーンは不思議そうに見ていた。

 そんなショーンの表情を見て、ミカエルは少しあきれたような表情を浮かべる。


「まさか、これもわかってないの? あなたのその言動、そんじょそこらの人間にはできないわよ。とんだ天然人たらしね。いろんな意味で危ういわ」

「俺は長い間、一人で旅をしてきた。ある男から逃れるために、できるだけ人里を避け、人とも関わらないようにしてきた。だからその……よくわからないんだ。あなたのその行動の意味や、自分のどこがどう危ういのか……」

「……そっか。さっきの観察眼の鋭さで、すっかり心の中まで見抜かれていると思い込んでたわ。ごめんなさい。うまく説明できるかわからないけど」


 ミカエルは大きく深呼吸して、真顔になった。ショーンをまっすぐに見て、少し表情を緩める。


「あなた、外見だけじゃなく心の中まで、とんでもなく美しいわ。少なくとも、アタシはそう感じる。逃れるためって言ってたけど……そんな気を抜けそうにない旅で、あなたがどうしてそんなにきれいな心のままでいられたのか、アタシには謎で仕方ないの」


 右手の人差し指を立て、ミカエルは自分の下唇の下にちょんちょんと軽く触れた。少し斜め上を見上げてから、再び視線をショーンに戻す。


「ここ駅だからいろんな旅人がやってくるんだけどね。誰かから逃れる旅をしているような人なら、だいたいもっと神経質で、ちょっとしたことですぐ騒ぎになるし。さっきみたいに不意打ちでも仕掛けようものなら、殺し合いになりかねないわね。大切な人を殺されたなんていったら、復讐心むき出し殺気だだ漏れなんて人のほうが多いくらい。だいたい余裕がないのよ。そこへいくとあなたは、何というか妙に落ち着いている。余裕があるのよね」

「余裕?」

「そう。心に余裕があるから、いろんな状況に即座に対応できる。周りを思いやる気持ちが持てる。これってすごいことなのよ」


 うんうんと頷いて、ミカエルがにっこりと笑う。


「あなたの言葉、前向きよね。これも、余裕がある証だとアタシは思うの。人ってね、体調が万全じゃなかったり心理的な問題があったりで心に余裕がないと、思考が後ろ向きになりがちでね。攻撃的な言葉を口にしやすくなる人が多いわ。イライラして八つ当たりしちゃったり、言葉より先に手が出ちゃったりね。だけど、少なくともうちの駅に来たときから、あなたの言葉に棘は見えない。どう見ても万全な身体じゃないのに、怒鳴られるの覚悟で仕掛けた不意打ちも、逆に礼を言われちゃったしね。何度も言うけど、これって本当にすごいことよ。アタシも見習いたいって思う。でもね」


 ちょっと困ったような笑顔で、ミカエルが続ける。


「同時に、ちょっと気をつけなきゃならないと思うの。あなた美人だし、気遣いできるし強いし優しいから。たぶん行く先々で、男女問わずあなたに惚れる人が出てくるわ。特に色恋は……こう言っちゃうと情緒もへったくれもないけど、生物の生殖本能と結びついてるから。こじらせるとすごく厄介よ。それこそ命取りになりかねないわ」


 ショーンは「ほう」と小さく呟いて、軽く握った右手を顎に当て、俯きがちに納得したような表情で口を開いた。


「生殖本能……確かにそうだな。動物たちも、伴侶をめぐって殺し合うことがある。ましてや人となれば……」

「あ、やっぱり。こういう説明のほうが、あなたにはわかりやすいのね。覚えておくわ」


 目を閉じてうんうんと頷いてから、ミカエルがハッとした表情で顔を上げる。


「あ、そうそう安心してね。アタシの恋愛対象は女の子よ。女のなりはしているけど、これはある意味アタシ流の護身の一種。アタシの中身は男よ。ショーン、アタシがあなたに惚れたのは嘘じゃないけど、恋愛感情じゃなくて、人として尊敬できる大切な友人としてってことだからね」

「ありがとう、ミカエラ」


 そう言って満面の笑みでウィンクするミカエルに、ショーンは静かな微笑みで応えた。

 強さと優しさを同時に感じさせる、穏やかで曇りのない表情。ショーンのあまりに清らかな微笑みに、ミカエルは一瞬息を止めた。


「だーもうっ! その微笑みは反則だっつってんだろーが! 男だってわかってても自制がきかなくなる! 本気でオレを陥落させる気か!?」


 顔を真っ赤に染めたミカエル。自分を不思議そうに見ているショーンを見た瞬間、再びハッとした顔で動きを止める。


「あらやだ。アタシったらうっかり素が出ちゃったわ。さすが天然たらし。恐ろしい子ね……あなた、もっと自分を知ったほうがいいわよ。ま、まあとにかく」


 コホンと小さく咳払いをして、ミカエルがにっこり微笑んだ。


「この辺の温泉は、怪我をした動物たちがやってきて、よくお湯につかっているの。内湯はちょっと熱いかもしれないけど、外風呂のお湯はぬるめにしてあるからね。外風呂も囲いと目の細かい網をかけた格子屋根はあるから、外から見られることはないわ。ここのお湯はあなたの傷にもいいんじゃないかしら。ほかに誰も入れないようにしておくから、ゆっくり汗を流しなさいな。でも、のぼせない程度にね」

「お心遣い、いたみいる。お言葉に甘えて、ゆっくり堪能させてもらおう」


 言いながら背を向け扉に向かうミカエルを、ショーンは穏やかな笑顔で見送った。

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風が伝えた愛の歌 鬼無里 涼 @ryo_kinasa

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