第24話 動揺
「ここは鳥と魚の料理が美味くてな。確か聖職者は四つ足は駄目だが鳥と魚は大丈夫だったよな?」
馬車を停め、手綱を柱に結びつけながらアレンが振り返る。
「はい。大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
アレンの問いに、アリシア司祭がにっこりと微笑み答えた。
「よし。じゃ、シチューを頼もう。魚料理も美味いが、あいつの作る鳥シチューは絶品なんだ!」
そう言いながら、アレンは迷いなく建物の中に入っていく。
「あら、アレン。いらっしゃい。早いけど、今日もいつものやつでいいの?」
「ああ。ただ今日は連れもいるんでな。お嬢さんがたにはお前さんの絶品の鳥シチューのほかに、甘いものでもご馳走したいんだが。おすすめの甘味はあるか?」
店に入ると、アレンとそう変わらないくらい高身長の美人が出迎えてくれた。女性のなりをしてはいるが、少々……いや、だいぶ
「おやおや。
「おう、助かる。よろしくな、ミカエル」
「んもうっ、ミカエラって呼・ん・で」
右手の人差し指を立て、アレンの頬にちょんちょんと軽く触れ、ウィンクして奥へと向かう店の主人。その後ろ姿をショーンはじっと見つめていた。
「ミカエルとは昔、一緒に旅をした仲でな。あんな感じで
「いや、素晴らしいと思ってな。俺もあのくらい割り切るべきなのかと……」
その言葉を聞いた瞬間、アレンは目を見開いた。慌ててショーンの言葉を
「いやいや、やめてくれ。お前さんはそのままがいい! もうあの司教殿にも挨拶したことだし、急に女性寄りに振ったら逆に怪しまれるってもんだ。それに……」
「それに?」
「……いや、やめとこう。ミカエルに怒られそうだ。まあとにかく、そんなところでお前さんのその真面目さを発揮するこたぁねえよ」
苦笑するアレン。これ以上この件を追求すべきではないと判断し、ショーンは店の中を見渡した。
薄暗いけれど、そのおかげか外に比べれば室温はずっと涼しく快適だ。ところどころに並べられた四角い板張りのテーブルと、丸太を輪切りにしただけの椅子。カウンターの向こうの厨房からは、食欲をそそられるシチューの香りが漂ってくる。店の奥には、二階へと上がる階段も見えた。
「シェーン、もしかして駅は初めてか?」
「駅?」
アレンはこくりと頷く。
「馬車や馬も一緒に休める食事どころ兼、宿屋。こういうところを、俺たちは『駅』と呼んでる。昼間はわりと静かだが、夜は
いつもの笑顔に戻ったアレンが、ショーンの肩にポンと手を置く。
「そういえばお前さん、酒は飲めるか?」
「わからない。一口飲んだことはあるが、それほど美味いと思わなかった覚えがある」
「そいつぁもったいないな。今度一緒に飲もうや。美味い酒を
なにやら談笑している司祭とメラニーをアレンが振り返ろうとしたとき。
「はいはーい、どこでもいいからみんな座ってー。美味しいシチューが冷めちゃうわよー。それと、いいお酒がちょうど入ってきたんだけど、それも出しましょうか?」
シチューを盛り付けた皿をカウンターに並べながら、ミカエルが問いかけてきた。
「飲みてぇところだが、もうひと仕事あるんでな」
「あら残念ね。なかなか入らない上物なんだけど。じゃ、みんなに一口分だけお・ま・け。食前酒にどうぞ」
そう言いながら、ミカエルは見慣れない小さなコップを四つ用意して酒を注ぐ。
「お、面白い器だな」
「かわいいでしょ。『おちょこ』っていうんですって。東国帰りの行商の人が、宿代代わりに置いていってくれたの。この量ならお試しにもちょうどいいし、お仕事にも影響しないでしょ」
「さっすがミカエル! 気が利くな~!」
「んもうっ、アレンってば。ミカエラって呼んでよぉ」
女性陣が座ったテーブルにシチューとおちょこを運びながら、ミカエルが頬を
「んー、いいにおい!」
メラニーが期待に満ちた表情でシチューの盛られた皿を見ている。
「味も保証するわよぉ。ほっぺた落とさないように気をつけてね」
「え?! ほっぺたって、おいしいものを食べると落ちちゃうの?!」
驚き顔のメラニーの言葉にふわりと頬を緩め、ショーンが口を開く。
「安心しろ。落ちることはない。とろけて落ちてしまいそうな
メラニーに歩み寄り、ショーンは彼女の両肩に軽く手を乗せる。
「よかったー! このさき私、何度ほっぺたを落とすことになるんだろうって心配になっちゃった。みんなのほっぺたも治療しなきゃならないのかなって」
メラニーは心底安心した笑顔でショーンを見上げた。ショーンは一瞬目を見開いたあと、穏やかに微笑む。そして、彼女の隣の席に腰かけた。
ショーンの前にもシチューが置かれる。少し褐色がかった白っぽい液体の中に、いろんな野菜と鶏の肉がゴロゴロと入っている。
「白いシチューって珍しいですね。おいしそう」
アリシア司祭が微笑みながらシチューの皿を見ていると、ミカエルがにっこりと答えた。
「昔、アレンと一緒に旅をしていた頃にね、確か東国の外れのほうだったかしら。その年は日照り続きであんまり水が手に入らなくて。手持ちの水が少なくなって、ダメでもともと。水を分けてもらえないかと頼みに寄った街道沿いの家で、『水は分けられないけど少しだけ』と言って牛の乳を分けてくれたの。お礼に少しお仕事を手伝ったら、備蓄の野菜までいただいてしまって。それでその晩、いただいた野菜と自分たちで狩った鴨を牛の乳入りの水で煮込んだら、これがとんでもなくおいしかったのよ」
「そうですか、牛の乳を使っているから白いのですね」
アリシアの声に、ミカエルが満足げに大きく頷く。
「で、これはその進化版。少し小麦粉を混ぜて、ほんのりとろみをつけてあるわ」
「このとろみがいいんだよな。あんときのあれも美味かったが、まろやかになって更に絶品になった」
アレンが頷きながら補足した。アレンの前にもシチューを置いて、ミカエルが満足げに笑いながら手を広げる。
「さあ、みなさん。私が腕によりをかけて作ったシチューよ。冷めないうちに召し上がれ。でも火傷には注意してね。お酒もどうぞ」
「わーい、いただきます!」
メラニーは待ちきれないと言わんばかりの勢いで
「んー! おいしい!」
そう言いながら、左手で頬を押さえるメラニー。頬が落ちないかと無意識に心配しているのかもしれない。
ショーンもおちょこの酒を飲み干してからシチューを一口、口に含む。アルコール独特の辛味や渋味のあとに、シチューの旨味たっぷりの柔らかな甘さが口に広がる。この甘みは玉ねぎだろうか。初めて食べるはずなのに、どこか懐かしさを感じる。これをどこかで食べたような……いや、食べている。鶏肉ではなかったと思うが、ほぼこれに近い味を知っている。
「どうしたの? シェーン?」
「ああ、いや……子どもの頃、助けてくれた人々のことを思い出したんだ。一人になって、山で倒れていた俺を助けてくれた夫婦のことを。そこで世話になっていた頃、似たようなものを食べた気がして……」
その言葉を聞いて、メラニーがほっとしたように微笑んだ。
「そっか。よかった」
「ん?」
ショーンがメラニーに顔を向けると、メラニーは笑顔のまま続ける。
「ずっと一人ではなかったんだね。ちょっと安心したの。私だったらきっと耐えられないから」
ショーンは驚いたように一瞬目を見開いた。少し
「短い期間ではあったが……彼らのおかげで、俺は生き延びる術を身につけられた。彼らがいなければ、おそらく俺はここにはいない。それくらい、大恩のある夫婦だ。いい人たちだった」
「そういえば、北国の外れを旅しているとき、道に迷った俺たちを助けてくれた猟師がいたな。そんとき確か礼を兼ねて、体調を崩してた奥さんの代わりに、ミカエルがシチューを作ったんだったか。もしかしたら、そんときの猟師夫婦だったりしてな」
「懐かしい! そんなこともあったわねぇ。もしその夫婦だったら、すごい縁ね。……そうだ!」
ミカエルがちょっといたずらっぽい笑顔でショーンのほうへと歩み寄る。
「シェーンちゃん、だったっけ? あなた、お食事が終わったらうちのお風呂、使っていきなさいな。この暑い時期にその鎧じゃ、汗だくでしょ。昼間なら誰も来ないから。さっぱりするわよ」
その言葉に驚き、ショーンはミカエルを振り返った。
「ありがたい申し出だが……いいのか?」
「うんうん。だって、あなたアタシのお仲間でしょ。たぶん訳ありの。理由はあの司教殿だろうけど。そうなると、宿舎で汗を流すわけにいかないでしょうしねぇ」
ミカエルの言葉にショーンはハッと表情を曇らせた。
「安心して。秘密は守るわ。誰にも言う気はないから」
「どこで俺を男だと……」
「んー、同類の勘ってやつ?」
ショーンはじっとミカエルの言葉を待つ。ミカエルはにっこり笑って続けた。
「てのは半分冗談。そう睨まなくて大丈夫よ。あなたものすごく美人だし、動きも女性を見事に再現してる。アタシみたいにガタイもよくなさそうだしね。よほど勘のいい人でない限り、女装だとは気づかないわ。さっきポロッとアレンがショーンって呼びそうにならなければ、アタシも男だと思わなかったもの。確信したのはそのあとの会話だけど」
「すまん、原因は俺か……」
アレンが申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
「アレンは嘘がつけない
ミカエルが満面の笑みで援護した。
「お前さんが相手だと、どうも油断しちまっていけねえ。これは信頼の裏返しでもあるんだがな」
「あら、嬉しいこと言ってくれちゃって。はい、ご褒美」
空になったアレンのおちょこに、酒が注がれる。
「うほっ、ありがとよミカエル!」
「ミ・カ・エ・ラって呼んで……ってまあ、今はいいことにするわ。とにかく、ここで失敗したからきっと道中、失言することもないでしょ。大丈夫よ。むしろシェーンちゃん、かなり司教殿の好みのタイプに見えるから、そっちのほうが心配ねぇ」
「なっ……」
先ほど司教の視線から感じた違和感を思い出し、ショーンは動揺で匙を落としそうになった。
「お嬢さんがた、充分気をつけてあげてね」
「ありがとうございます。確かに、用心に越したことはありませんね。メラニーさま、ともに目を光らせておきましょうね」
「はい!」
固まっているショーンをいたずらっぽい笑みでミカエルが見ている。アリシア司祭は穏やかな微笑みをメラニーに向けた。メラニーは真剣な表情で元気に返事をする。
「同性だと知ってる俺が惚れかけたくらいの美人だもんな。お前さんは強いからあの司教殿も手を出せねえとは思うが、何かあれば俺も駆けつけるから安心しろよ」
固まっているショーンの肩をポンと叩き、アレンがニッと笑った。
やはりアレンの笑顔には何か人を安心させる力があるらしい。動揺していた心がすうっと落ち着いていく。ショーンはようやく表情を緩めた。
「依頼主に危害を加える訳にはいかない。基本的には俺だけでなんとかできると思うが、何かあったらよろしく頼む」
そう言って、ショーンはひとりひとりの顔を見てから頭を下げる。
「おう、任せとけ! さ、食事の続きだ! 食ったらお嬢さんがたはシェーンを風呂に入れる手伝いをしてやってくれ。風呂に入っている間に、必要なものは俺が仕入れてこよう」
「かしこまりました。アレンさま、よろしくお願い申し上げます」
大きく頷いたアレンは、思い出したようにショーンを見た。
「そういえばシェーン、お前さん弓は扱えるか?」
「ああ。以前は弓を使って鳥や獣を狩っていた」
「獣も?」
「ああ。鹿くらいまでは。だから人並みには扱えると思う」
その言葉を聞いて、アレンはきらりと目を輝かせた。
「強弓か! そりゃ人並み以上だぜ。心強いな。それじゃ、あれば仕入れておこう。お前さん、接近戦だけじゃまだ体力的に厳しいだろうし」
うんうんと頷くアレンに、ショーンが問いかける。
「それなら、俺も同行したほうがいいのではないか?」
少し困ったような顔で笑うアレン。
「本当ならそのほうがいいんだが……病み上がりの今、シェーンには少しでもしっかり休んで体力を温存してもらいてえんだ。だから、お前さんにはここの風呂で汗と疲れをゆっくり流してもらったほうが、俺としちゃ安心なんだ」
「わかった。ありがとう。よろしく頼む」
そこへ、食事の終わりを見計らったミカエルがタルトを運んでくる。
「さあ、ミカエラ特製、杏と桃のタルトよ。召し上がれ!」
「わあああ! おいしそう!」
「味は保証するわよー!」
「いただきまーす!」
シチューを平らげたメラニーの元気な声が響く。
「おいしーい!!」
笑顔いっぱいの声が、その場の全員に笑顔を運んだ。
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