第23話 出立

 表に出ると朝靄あさもやの中、修道院の前でアレンが荷馬車を停めて待っていた。


「おう、来たな別嬪べっぴんさんたち。じゃ、早速さっそく聖堂へ向かうぞ。適当に乗ってくれ。ショーン、身体は大丈夫か?」


 司祭とメラニーを荷台に上げるのを手伝いながら、ショーンは答える。


「ああ、今のところは。ただ、全身鎧を着て夏に動いた経験はないから、この先はなんとも言えない。とりあえず、この数日で少しは慣らせたと思うが」


 着け慣れない鎧に慣れるため、ショーンは皆に協力してもらい、この数日間できるだけ鎧を着けて過ごしていた。


「あ、いや、そっちじゃなくて……いやいや、もちろんそれも心配なんだが、今のお前さんの体調のほうが俺にゃ気になるんだ。痛みやしびれはもう取れたのか?」


 女性陣を乗せ終え、自らも荷台に上りながらショーンは答える。


「ああ。日常生活で困らない程度には。激しく動けばまだ痛む。筋力や持久力は戻りきっていないが、残った痛みを除けば体調自体はむしろ以前よりいいかもしれない。皆のおかげだ」

「それなら良かった」


 アレンは心底ほっとした表情を浮かべた。


「本当なら、お前さんの身体が万全になってから連れ出したかったんだが、事情が事情だ。俺が全力でお前さんたちを支える。ショーン、お前さんはすぐ無理をするからな。つらくなったらいつでもこの馬車に逃げてこいよ。お前さん、見た目のわりに重いんでな。倒れる前に自力で来てくれたほうが俺としちゃ助かる。お前さん達から少し遅れる形で追いかけるから、そう遠く離れちゃいないしな。なんなら、道端で待っててくれりゃ拾うぞ」

「お心遣こころづかい、感謝する」

「おっと、そんな堅苦しい言い方は勘弁してくれ。なんだかむずかゆい」


 アレンがその巨体をもぞもぞと動かすと、メラニーと司祭は顔を見合わせて笑った。ショーンの表情もゆるむ。


「それじゃ、行くぞ」

「はい。エマ、ここはよろしくお願いしますね」


 司祭が声をかけると、エマも胸の前で手を組み、にっこりと微笑む。


「おまかせください、司祭さま。みなさま、いってらっしゃいませ。道中穏やかでありますように」



 馬車が動きはじめる。メラニー、司祭、ショーンはそれぞれ、荷台に積まれたたるに腰かけて馬車に揺られた。エマは馬車が見えなくなるまで見送ってくれていた。


 朝の爽やかな空気に、朝靄で湿ったせかえるような深い緑の香りが充満している。ショーンは深く息を吸い込んだ。


「気持ちのいい朝ですね」


 心地良さそうなショーンの様子を見て、司祭が話しかける。


「そうだな」


 ショーンも心なしか穏やかな表情を見せている。


「本日は、司教さまにご挨拶を済ませたら仕事は終わりです。明日の朝に央都おうとへ向けて出発することになるので、街で必要なものを揃えたら宿舎で早めに休みましょうね」


 司祭が言うと、アレンが振り向いて補足する。


「何もなければ、街には三時間くらいで到着する。昼には聖堂に着くからな。今のうちにこの自然を堪能しとけよ」


 少しずつ霧が晴れていく、森の街道。まだ涼しい朝方だけあって、鳥たちのさえずりやひぐらしの声がにぎやかだ。差し込む光芒こうぼう。水の流れる音と、光芒に照らされて輝くこけが、沢がすぐそこにあることを知らせてくれる。


 馬を休ませるため、一時間毎に少しの間、馬車を止めた。標高が下がるにつれ、街道の隣を流れる沢の流れは少しずつ大きく穏やかになっていく。そして、だんだんと人の営みの気配が現れはじめた。沢に仕掛けられた魚とりの罠や、水車小屋。それからかすかに煙と美味しそうな匂いもただよってくる。


「そろそろ到着だ。挨拶が終わったら、美味うまいもの食いにいこうな」

「はい! 楽しみだなぁ♪」


 アレンの言葉にメラニーがニコニコと答える。その無邪気な様子を見て、ショーンの張り詰めていた表情が少し和らいだ。


「うんうん、ショーン、今の表情すごくいいよ。とっても美人!」

「なっ……」

「ふふふ、かわいい!」


 不意打ちを食らってほんのり頬を赤らめたショーンにメラニーが追い討ちをかける。司祭は微笑みながらその様子を見ていた。


「さてさて、そろそろシェーンさまとお呼びしましょうね。聖堂は街のはずれにあります。もう到着しますから」


 アレンが司祭を振り返る。


「馬車もあるし、大男の俺は一緒に行かんほうがいいだろう。幸い、男嫌いのあの司教とは顔見知りだ。外で待ってるから、悪いが俺のぶんまで到着報告頼むな」

「承知しました、アレンさま」


 街道が森を抜けると、一気に視界が開けた。今いる場所はなだらかな丘。そこから少し下った先に、輝く水と木々、それからいくつかの建物が見える。


「うわぁ、お水がいっぱい!」

「池……いや、湖か」

「そうだ。でもって、向こう側に見えてる黒いのが聖堂だな」


 湖のほとりに建つ聖堂。木々に囲まれて全貌は見えないが、それなりに大きい。玄武岩とおぼしき黒い石で作られたその建物は、材質も相俟あいまって、がっしりとした印象を受けた。


「ほう、あの石……ここは火山が近いのか?」

「ああ。何百年か前に噴火した記録が聖堂に残ってるそうだ。おりゃ見たことがないけどな。そしてここには温泉もある。お前さんの傷にはいいんじゃ……って、バレるとまずいな。今回は無理か」

「そうだな。この鎧は俺一人で着けることはできない。浴場に一人で行くのは自ら男だと明かしにいくようなものだ。男湯に向かうこともできないし、かと言ってメラニーたちと一緒に女性の浴場へ行くのもはばかられる。鎧がれて汗だくではあるが、部屋でらしたタオルで身体をぬぐえれば俺は充分だ」


 アレンが返答に困り口ごもると、司祭が口を開いた。


「宿舎のたらいをお借りして、温泉のお湯を部屋にお持ちいたしましょう。かれるほどの量はありませんが、 タオルを湿らせるにはいいでしょう」

「……ありがとう。何から何まで、いたみいる」

「いいえ。こちらこそ、無茶なお願いをしておりますので。せめてものお礼です」



 そうこうしているうちに、馬車は聖堂の前に到着した。ショーンは真っ先に馬車を降り、朝と同じように、司祭とメラニーの下車を手伝う。


「じゃ、悪いが俺はここで待つ。お三方、よろしく頼むぜ」

「アレンさん、ありがとう! いってきます!」

「ではシェーンさま、参りましょう」

「ああ」


 ショーンは一見、いつも通りの冷静さに見える。だが、彼の緊張がメラニーには伝わってきていた。


「大丈夫だよ。シェーン美人だもん! 司教さまもきっと一目惚れだよ」

「なっ?! メラニーどこでそんな言葉を……それに、その状況もあまり歓迎できるものではないが」

「ふふ、よかった。緊張ほぐれたね」


 メラニーの言葉に一瞬目を見開いたショーンは、深く息を吐いてふわりと表情を緩めた。確かに緊張は先ほどよりほぐれている。


「……ありがとう」

「うふふ、メラニーさま、シェーンさま、いきますよ」



 司祭が聖堂の扉を開き、二人を招き入れる。聖堂の中ではちょうど昼の礼拝が終わったところだった。


「これはちょうどいい。アリシア司祭、お待ちしておりました」


 中央の祭壇脇に控えていた美しい聖職者の女性が三人を招く。祭壇には微笑みを浮かべた聖職者姿の初老の上品そうな男性が。彼が司教だろう。三人は司祭を先頭に祭壇の前まで進み、かしずいた。


「司教さま、エリア司祭さま。ただいま到着いたしました。こちらは護衛を引き受けてくださったシェーンさまと、彼女の看護をつとめるメラニーさまです。同行する便利屋のアレンさまには、外で馬車と一緒にお待ちいただいております」

「道中ご苦労でした。三人とも、どうぞ顔を上げてくだされ。シェーン殿、体調が優れぬと伺っておりますが、お加減いかがですかな? このたびは都までのわしの護衛を引き受けてくださり、誠にありがとうございます」


 優しげな声が祭壇から降ってくる。三人は顔を上げて司教を見た。司教とショーンの目が合う。


「ほう、これは……その名の通り、お美しいかただ!」


 その瞬間、ショーンは背中に何かぞくりとしたものを感じた。平静を装いながら、ショーンは口を開く。


「司教殿、先ほどは体調を気にかけてくださり、いたみいる。もうだいぶ回復した。俺は不作法ゆえこのように口は荒いが、お許し願いたい。都までの往復の道中、全力でお守りいたす」


 口調こそ男性そのものだが、シェーンの声色は少し落ち着いた女性のそれに近い。司祭は司教の顔をうかがった。幸い、司教はまだシェーンの性別を疑ってはいないようだ。司祭は念のため助け舟を出した。


「司教さま、彼女は男性に囲まれた環境で鍛錬を積んできましたもので、男性の口調が染みついてしまったそうで……どうぞご寛恕かんじょ願います」

「よいよい。このようなうるわしい聖騎士殿が護衛とは、道中楽しみですな。メラニー殿も愛らしい。従者も多いゆえ護衛は大変でしょうが、食と住では苦労はかけぬつもりですよ。よろしく頼みますぞ」


 司祭が驚いて声をあげる。


「司教さま、事前のお話ではエリア司祭さまと御者を含めて三名のはずでは?!」


 司教は微笑みを崩さぬままに答える。


「荷物も多い。エリア司祭だけでは手が足りませんでな。そこで、急だが馬車を二台増やして、従者を六名に増員することにしたのですよ。明日は予定通り、朝早くにここをちます。今日はゆっくり宿舎で休むとよいでしょう。明日からしばらく、よろしく頼みますぞ」


 そう告げると、申し訳なさそうなエリア司祭をともなって司教は執務室へと去っていった。



 聖堂を出て三人は無言のまま馬車に戻った。


「おいおい、どうした? 何かあったのか?」


 ただならぬ様子に心配したアレンが声をかけると、司祭が申し訳なさそうに言った。


「ごめんなさい。私の確認不足でした。まさかシェーンさまお一人にあれだけの人数を守らせることになるとは……」

「いや、あなたのせいではない。謝らないでくれ。今まであなたやアレンが集めてくれた情報からすると幸い、都までの道中に出る魔物は群れで行動するものが少ないようだ。なんとかなるだろう」


 アレンが驚いて荷台を振り返る。


「ん? まさか連れていく人数が増えたのか?! ……まあでも、わからんでもない。あの司教殿なら、道中を快適にするための人員は惜しまず連れていくだろう」

「……そうですね。司教さまのことですから、衣食住の関係や万が一の医療にけた者を増やしたのだと思います。魔物から自分で身を守れる方がいるかどうかは疑問ですが……」

「いざとなれば俺も加勢するぜ。病み上がりのお前さんばかりを戦わせる気はねえから安心しろよ」


 そう言ってにっと笑うアレン。彼の笑顔には人を安堵あんどさせる力がある。荷台に上がったショーンたち三人は顔を見合わせて微笑んだ。


「しっかし、それじゃ少し武器を買い足しとかにゃならんな。他に仕入れるものもある。ま、軽く何か食いながらいろいろ考えようや。朝早かったから腹も減ったろう。腹が減ってはなんとやらだぜ。宿舎に入れるのは夕方近くだったよな?」

「はい」


 司祭の返事にアレンは頷く。


「それなら、馴染なじみの店がある。情報収集がてら、そこへ行こう。あそこの主人は少々癖が強いが、料理の腕はいい。味は保証するぞ」

「ありがとう。アレンがいると心強いな」


 ショーンが無表情のままぽつりと言う。


「うっ……嬉しいこと言ってくれやがって。お嬢さんがたもいいな。じゃ、向かうぞ」


 ショーンの言葉に不意打ちを食らったアレンは顔を真っ赤に染めて、女性陣の返事も待たずに馬車を操りはじめた。馬車がゆっくりと動きだす。


「ありがとうございます。楽しみだなぁ!」


 メラニーの嬉しそうな声に、その場の空気が和む。


(明日からは気を抜けない護衛の旅が始まる。ただの護衛ではない。誰にも俺が男だと気取らせてはならない旅だ。司教と目が合ったときに感じたあの感覚も気になるが……今は心身ともに休ませておくべきだな)


 ショーンは緊張を解き、和やかな空気に身を委ねた。

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