第三章

第22話 依頼

「ショーンさん、便利屋として正式にお願いしたい仕事があるのですが……」

「何だ?」


 滝まで散策してから三日ほど後の、よく晴れた昼下がり。修道院の中庭で斧を使って薪割りをしているショーンの近くに、邪魔にならないタイミングを見計らって司祭がやってきた。薪割りの手を止めるショーン。司祭は少し躊躇ためらいながら口を開いた。


「実は近々 央都おうとで大きな集会があり、そこまでの司教様の護衛を探しています。まだお身体もえきっていないのに、私があのサークレットを賜った地……あなたにとって敵地かもしれない央都に行ってもらうだけでも充分に申し訳ないのですが、もうひとつ問題がありまして……」


 ショーンは司祭を見た。彼女は何か悩んでいるような複雑な微笑みを浮かべている。


「央都までの道中だろう。護衛は構わない。問題というのは?」

「それが……」



「ぶッ! わははは――――」

「アレン、笑い過ぎだ」


 腹を抱えて長椅子で笑い転げるアレン。その隣には、いつもと変わらぬ無表情のショーンが座っている。ショーンは怒るでもなく、アレンを静かにたしなめた。


「司祭に頼まれてさっき鎧を届けにきたんだが、まさか着るのがお前さんとはな。そりゃ俺も最初お前さんを拾った時にゃ見間違えたがよぉ、ありゃ遠目だったからな。これが笑わずにいられるかってんだ! ひー、腹が痛い。助けてくれ――――」


 ショーンがひとつ息を吐く。その顔には、心なしかうれいの色が見えた。そこにエマがやってくる。


「ショーンさん、司祭さまがお呼びです。一緒に来ていただけませんか」

「わかった。行こう」


 エマの迎えに席を立つショーン。笑い転げるアレンを置いて、いつもと変わらず冷静な顔で部屋を出ていった。



「よくお似合いです」


 司祭がまるで夢を見ているような瞳でショーンを見ている。エマもショーンの姿に見とれて、言葉さえ出ない様子だ。

 そこへメラニーとアレンがやってくる。


「どうだ? っと――――」


 アレンが目を見開いて息を呑んだ。動きを止めたアレンの後ろからメラニーが部屋をのぞき込む。


「うわー、ショーンとっても美人! 本当に女の人みたいだよ!」


 メラニーが瞳をキラキラ輝かせて、嬉しそうに声をかけた。

 そう、そこに立っていたのは聖剣士姿のショーンだ。しかもその身にまとった鎧は女性用のもの。だが、繊細な細工をほどこした鎧は、大きさのみならず雰囲気までも、まるであつらえたもののように彼に合っていた。

 もうひとつ、いつもと違うのは髪型。長いプラチナの髪を高い位置でひとつにまとめ、背中に垂らしている。化粧はしていないのに、それだけでどこか妖艶ようえんに見えた。


「う……美しいなんて生易なまやさしいもんじゃねーぞ! お、お前さん本当にショーンか?!」

「どうしたアレン。さっきは散々笑っていたのに……顔が真っ赤だぞ」


 女装だというのに全く違和感がない。落ちた筋力が戻りきっていないのも幸いして、以前より柔らかい印象になっているのもまた、より女性らしい雰囲気にしているのかもしれない。そこには無表情ではあるが、まごうことなき美女が立っていた。化粧を施そうものなら絶世の美女と言えるだろう。それなのに、声はまぎれもなくショーンのものだ。


「だってお前さん、なまじそこいらの女より色気がすげ……フルプレートに近い鎧でその色気は反則だろ……って、違う! そこじゃない! いかんいかん! 男だとわかっているのにれちまいそうだ。しっかりしろ、俺!」


 頭を抱えてしゃがみ込むアレンを後目しりめに、司祭が口を開いた。


「ごめんなさいね。司教様は男性がとにかくお嫌いな様子で……ここのところ都の近くは魔物が多いので、腕の立つ女性を探していたのですが見つからなくて。どうしようかと悩んでいたら、急にショーンさんのお姿を思い出して……失礼ながら女装、お似合いになりそうだわと……予想以上でしたが」


 司祭が右手を頬に当て、少しうつむきがちに言った。その瞳はうるみ、頬が少し紅潮こうちょうしている。


「とりあえず、露出の少ない鎧で助かった。不本意ではあるが、これならば女に見えなくもないだろう。あなたがたには、ひとかたならぬ恩がある。これでどれだけ恩を返せるかはわからないが」

「いいえ、充分です。おかげさまで、少し気が楽になりました。あとは女性らしい振る舞いと、いつもより少し高い声で話すことを心がけていただけると……そうだわ! エマ、メラニーさん、私たちでレッスンいたしましょう!」



 それから一週間。

 ショーンの飲み込みは早かった。元々彼の動きには舞うような優雅さがあり、身体能力も高い。そこに鋭い観察眼と洞察力。彼女たちの日常生活での細かな仕草までをもショーンは取り込んでいった。しかし……。


「うーん、何でだろう? 声色までは女性なのに、口調が……」

「すまない。何故なぜと問われても明確には答えられない。性分とでも言えばいいだろうか……」


 そう。何故か彼の口調だけは変わることがなかった。


「まあ、ショーンさんは元々口の悪い方でもありませんし、男性の多い環境で育ったと言えばごまかしも利くでしょう」

「悪かったな。おりゃ口の悪い男で」


 このタイミングで何かを持って部屋に入ってきたアレンが、少し不貞腐ふてくされたような口調で言う。


「いや、誰もそこには言及していないと思うが……」

「それよりショーン、お前さんにプレゼントだ」


 アレンがショーンに歩み寄り、手に持っていたものを差し出した。


「お前さんの場合、かぶとで顔を隠すより、これを着けたほうが女に見えるだろうよ。なんてったって俺が惚れかけたくらいの絶世の美女なんだからな」


 悪戯いたずらっぽく笑うアレンの手から差し出されたのは額当ぬかあてだった。ショーンは静かにそれを受け取る。


「大丈夫だ。ちゃんと石の装飾がついていないものを選んできた。前回、石で大変な目に遭ったと聞いていたからな」


 優美でありながらシンプルで実用的なデザイン。着けてみると、これまた誂えたようにぴったりとショーンのひたい馴染なじんだ。


「アレン、ありがとう。これなら動きも視界も邪魔されないので助かる」

「おう、便利屋としての初仕事の祝いだ。使ってくれよ」


 少し照れくさそうにアレンは笑った。


「まるっきりの同行というわけにはいかないが、俺も少し距離を置いてついていくことになってる。後方支援は任せておけ」

「ありがとう。それは心強い」


 ショーンはふわりと微笑んでアレンを見る。アレンは顔を真っ赤にして視線を泳がせた。



 さて、出発の日の早朝。

 司祭とメラニーは自分の身支度を済ませると、ショーンの身支度を手伝った。


「ありがとう、助かる」


 全身鎧は一人では着けられない。おそらくこれから護衛が終わるまでの数日間は、これを脱ぐことはできないだろう。ショーンはそう覚悟していた。


「この旅には、私とメラニーさんが同行します。天幕も司教さまや他の同行者とは別に用意するよう手配しておきましたので、おやすみになられるときには鎧は脱げます。そこはご安心くださいね」


 そんなショーンの心を見透かしたように、司祭が告げる。


「それはありがたい。お心遣い、いたみいる」


 動きにくい訳ではないが、鎧を着けたままでは何かと制約がある。横たわって眠ることも諦めていただけに、心からありがたい。ショーンは素直に礼を言った。


「私たちも一緒の天幕に寝泊まりするから、安心してね」


 メラニーが楽しげな声で言う。驚いたのはショーンだった。


「いや待て。今回は女のふりをするとはいえ、俺も健全な男だ。危険だとは思わないのか?」


 普段と変わらぬ冷静な顔ではあるが、その声には珍しく少し焦りの色があった。


「ええ、男性なのは存じておりますよ。ですが今回は女性として同行していただくので、さすがに単独で天幕を用意することはできませんでした。それにショーンさん、あなたのお身体はまだ万全とは言えません。そのことも司教さまには伝えてあります。私どもがケアをするという名目で三人用の天幕を準備させたので、一緒に寝泊まりしないわけにもいきませんわ。そして、ショーンさんは女人を襲うような方ではない……これは私が救っていただいたあの日から今までの様子を見ても明らかです。あなたが女人に危害を加えることを躊躇ためらわない男であれば、あのとき私が無傷でいられたはずがありませんもの」


 言いながら司祭が微笑んだ。


「いや、俺を買いかぶり過ぎだ。あのときは、サークレットの石が元凶だと感じたからあれを狙っただけで、気づかなければあなたを殺していたかもしれない。俺にはあのとき手を抜ける余裕などなかったから。それに、そのあと何もなかったのは単に俺がほぼ自力で動けない状況が続いていたというだけかもしれないだろう」

「それだけじゃないよ! ショーンからは私たちを大切に思ってくれている心が伝わってくるもん。守りたいという心が。だから私たちもそばであなたを守りたい。そうでなくとも、眠るたびにうなされてるショーンを一人にするなんて、私はいやだよ……」


 メラニーが心配そうな目で彼を見ている。ショーンはハッとした。彼には日常にすぎないそれも、他人から見れば確かにつらいことに見えるのかもしれない。


「……すまない。いや、ありがとう。ならば世話になろう。俺も二人の信頼を損なわぬよう努力する」


 そのとき、司祭が急に何かを思い出したように口元に両手を持っていった。


「そうそう、肝心なことをひとつ言い忘れていました。護衛の仕事が終わるまでの間、ショーンさんのお名前は『シェーン』です。異国の言葉ですが、『美しい』という意味を持ちます。あなたにふさわしいと思いまして」

「シェーン。素敵!」


 メラニーが瞳をキラキラさせて嬉しそうな声をあげた。それを見て、ショーンはふわりと表情をゆるめる。


「あいわかった。近い発音の名前で助かる。間違えないよう心しておく」



 鎧を着け終わると、エマがくしと紅を持って現れた。


「それでは仕上げにかかりますね。こちらの椅子に座ってください」


 ショーンが椅子に腰かけると、エマはゆるく結んだ彼の髪をほどき、櫛でく。そして上質な絹のようなプラチナの髪を高い位置でひとつにまとめて、美しい緋色の紐でしっかりとまとめた。そのあと、いつも彼が髪を結んでいる紺色の紐で、毛束の途中をもう一度結ぶ。


「今は夏。髪の毛があまり広がると暑いですので、広がり過ぎないようにしておきますね」

「ありがとう。助かる」


 髪の処理を終えると、エマはショーンの正面にまわる。


「すみません。唇を軽く開いていてくださいね」


 言われるままにショーンが軽く唇を開く。エマは紅花と蜜蝋で作った紅を小指につけ、ショーンの唇に軽く色を乗せた。


「これでよし! 美しいですわ、シェーンさま」


 エマがうっとりとした顔で言う。


「どうしよう。やっぱりショーン……じゃなかった、シェーン美人!」


 額当てをショーンに手渡しながら、メラニーが言う。

 司祭が全身を映せる姿見すがたみの鏡を持ってきた。額当てを額に結び、ショーンは自分の姿を姿見に映す。


「これならなんとか女性に見えるか?」


 ショーンの声に、司祭が答える。


「はい、充分すぎるほどに。エマ、ありがとうございます。また三週間近く留守にしますが、よろしくお願いしますね」


 エマもにっこりと微笑み、三人に向き合った。


「かしこまりました。メラニーさん、司祭さま、櫛と紅を託します。シェーンさまをよろしくお願いいたします!」

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