故郷の森

あおおにぎり

怪鳥


 私は怪鳥に会った。本当に会ったことがあるのだ。君に今まで話したことはなかったのだが、いい機会だし、私の用に少し付き合ってほしい。歩きながら話そう。


 あの日は、私たちが昔住んでいた青森の、海から少し歩いたところにある小さな森で遊んでいた。子供たちが何人かいた覚えがある。川の流れる音に交じって声が聞こえていたから。私は、木の下で跳んだり、背伸びして手を伸ばしたりして、自分の手の届く一番高いところにあった木の枝を折っていた。枝は集めるわけでもなく、口に含むわけでもなく、それをなんとか川とかいう、変な名前がついていた小川の向こう岸へ投げて遊んでいた。今度はもっと遠くへ飛ばそうと何度もそれを繰り返していた。それに飽きたら、蟻の行列を眺めて、たまにつついてみたり、指で押しつぶしてみたり、小川の水を手ですくって、蟻の巣に水を流してみていたりしたような気もする。他にも何か別の遊びをしていたような気がする。どうしてそんなことをしたのかは、今はもう思い出せない。


 しばらくして、いつも聞く海猫や山鳩とも違う、聞いたことのなかった鳴き声で私は気が付いた。その得体の知れぬ声で私は不快感とともに目覚めた。木の下で横になっていたから、おそらく眠っていたのだろう。いつの間にか雑音は消え、滔々とした音と、湿った空気の馥郁とした匂いと、赤色に照らされた緑に落とされた影で、鬱屈としていたのだけれど、綺麗だった。周囲を見渡すと、私しか居ないことだけがわかった。先ほどまで森にいた子供たちは帰っていったのだと思う。親に呼ばれたり、誰かとの約束があったり、きっとそんな私には知りえない理由があるのだと思った。誰もいなくなった草木の中、私の体だけがあの場所にあったことを知ると、森が私だけの秘密基地であるように感じた。

 私のものだと思うと妙な充足感を覚えた。私だけがあの場所で思うように過ごすことができた。だが、私の場所に見知らぬ誰かがいるのは嫌だったので、あの場所にいた生き物は私だけでなければいけないと感じた。誰かがいてはいけなかったから、私は先ほどの聞いたことのない鳴き声の主を探そうと思った。


 どれくらい歩いただろうか。森の半分も探し回らない内に、私は木の枝を投げていた小川の近くに差し掛かった。すると、先ほどまで私が遊んでいたときには気が付かなかった異変に気付いた。死んだ生魚の内臓のような匂いが立ち込めていて、吐き気がした。私は早くその場を立ち去りたくて、駆け出そうとしたら、小石に躓いて転んだ。痛いな、と思いながら顔をあげてみると、私が木の枝を投げていた小川の向こうには梟がいた。忌まわしい黒色で染め上げられた体に、存在感を放つ二つの大きな目から血を流していた。その様子を私は酷く気味悪く感じた。大人になった今考えると、血の涙を流す梟なんてあり得ないと思うのだが、その時は気にならなかった。その梟は向こう岸にいるのに、私のことを気にせず、私を起こしたあの耳障りな声で鳴いた。彼が鳴くと辺りの音が消え去って、彼の声が耳鳴りとして私の頭に響いた。気味が悪い鳥のくせに、私が転んで嫌な気持ちになっているのにも関わらず、歯牙にもかけず自分勝手に鳴いている様子が気に食わなかったので、足元に落ちていた小石を拾って、投げて当ててみた。彼は飛びのいた。梟風情が飛びのいて、私から身を引いた。私を同情するような、血の塊の如く深い黒色の瞳で私を見つめてきた。気づかぬうちに私の視線は引き込まれていた。

 その彼の瞳に映る自分の目が、彼と同じような色に変わっていくのを感じた。私は、彼がまるで自分と一体になったような心持がした。彼は私のことを理解していたのだろう。私も彼と同様に、彼のことを理解した。その時はまだ、そう思っていた。


 ぼーっ、と遠くの船の汽笛の音が森に響いた。それは二人の時間を切り裂くには十分な異音で、森の外に私の視線が向いてしまった。未だ彼との時間に浸っていたかったが、バタバタという羽音に振り返った時には彼の姿はもうなかった。

 それから一週間後、君が知っているように、私たちの家は燃えた。家族は私と君を残して、死んでしまった。彼の仕業かはわからない。でも多分彼は悪い奴じゃないと思う。そんな気がする。それに、私は私たちが親戚の家に引きとられるまでの期間、暇さえあればその森に行ったのだ。私は彼の羽根すらも見つけることはできなかったが。

 親戚に引き取られてから、私たちは彼らの墓参りに来ることができていなかったけれど、やっと彼に会いにこの森に戻ってくることができた。どうして立ち止まるんだ? 今日は私たちが弔いに来ることができた、初めての盆だ。さあ早く、彼に会いに行こう。

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故郷の森 あおおにぎり @Seseraaagi

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