第2話 後編
火曜日。朝食を食べようと二階の自室から降りてきた僕を、不安そうな顔で母親が迎えた。
「あの鳥居の前にね、これが置いてあったの」
差し出してきたのは木製の平たい皿だった。
「なにこれ?」
「知らないのよ。鳥居の正面に置いてあったの」
「また誰かがゴミを捨てたってこと?」
「その割にはきちんと置いてあったのよね。もしかしてお供え物かしら」
「ええ?まさか。気味悪いし、捨てた方がいいんじゃない?」
母親も同じように気味悪く思ったらしく、そうするわ、と言ってゴミ袋にそれを捨てた。
似たような現象がその日から何度か起きた。
今度はおそらく夕方以降、毎日というわけではなかったけれど、何かしらの皿が鳥居の前に置き去られていたのだ。
母親も少し不安になったらしく、親戚の集まりがあり両親が共に不在となる土曜日の間、鳥居の前を見張ることをお願いされた。僕も気味が悪かったし、犯人がどんな人間かも気にはなる。休日にも来るとは限らないとは思うけど、二階の僕の部屋からそれとなく見張ることにした。
設置したあとから気がついたのだけど、二階の僕の部屋からだとかろうじて庭木の隙間から鳥居が見えるのだ。
土曜日の昼下がり。
部屋でだらだらとスマホゲームをしながら、ふと窓の外を見ると、鳥居の前に女の人がいるのが目に入った。
長めの髪に覆われてここからでは顔は見えないけど、しゃがみこんで鳥居の前に何かを置いている。
僕は慌てて階段を降り、玄関の扉を女の人に気づかれないように静かに開けて鳥居の方を伺う。
女の人は鳥居の前に皿を置き、鞄から出した紙パックから白い液体を注ぐ。
あれは…もしかして牛乳??
するとどこからか、にゃあ、と小さく声がした。んん?不思議に思って見ていると庭木の陰からよたよたと子猫が出てきた。
少々痩せているところを見ると野良猫だろうか。
その野良子猫は庭木の隙間に設置された鳥居を器用にするりとくぐると、
皿に注がれた牛乳をぴちゃぴちゃと美味しそうに飲み始めた。
これはいったいどういうことだ?頭の中をハテナマークが駆け巡る。
僕は意を決して玄関を出て、そっとその女の人に近寄っていく。
近くで見て僕はようやくその人がクラスメイトの高橋さんだということに気が付いた。学校ではいつも髪の毛を後ろで結んでいたし、私服だから彼女とはすぐに気づかなかったのだ。僕は彼女に声をかける。
「…高橋さん、何してんの」
「ひゃあ!」
一心不乱にミルクを飲んでいる子猫を見つめるあまり、近づく僕に全く気づいていなかった彼女は、いきなり声をかけられたからかびっくりしてその場に尻餅をついた。顔を上げて僕と目が合うと、彼女は慌てて謝りだした。
「あ…あ、あのごめんなさい!」
「いや、そもそもなんでここにいるのさ」
なんでこんな状況になっているのか、僕には全く分からない。
「その、実はね…」
しどろもどろになりながら話す高橋さんから話をよく聞くと、事の経緯はこうだった。
彼女は自分が提案した手前、僕らの作ろうとしている鳥居のことがずっと気にかかっていたそうだ。そんなとき、偶然にも土曜日に武史がマンションから出かけるところを見かけてこっそりと後をつけてきていたらしい。ホームセンターを経由して僕の家まで、実は僕らの後ろには彼女がずっと付いてきていたのだ。
そして彼女は僕らがあからさまに適当に作った鳥居がついつい気になってしまい、設置角度などを思わず調整していたとのこと。
そこへこの猫がふらりと現れ、なぜか鳥居をするりとくぐってから彼女の足に甘えてきたそうだ。
聞くところによると、彼女は悲しいことに大の猫好きであるのになぜか猫に寄ってきてもらえることが全くないらしく、初めて体験したその出来事にいたく感動してしまい、それから毎日のように、良くないことだとは思いながらもうちの前でこの猫に猫用ミルクをあげていたのだと説明された。
鳥居の前の皿はたまたま玄関から出てきた母親から思わず逃げた時に置き去りにしてしまったとのこと。
「え、じゃあ高橋さん、僕らがこの鳥居作ってから毎日家の前に来てたの」
「うん…」
彼女は恥ずかしそうにうつむきながら頷く。こちらも恥ずかしながら全然気がつかなかった。
いや、だってまさか後ろの席のクラスメイトが毎日のように自分ちの前に来ているとは思わない。
よくよく思い返してみると、そういえば彼女には作った鳥居を見せたことはないはずなのに、簡単な鹿島鳥居を作っていたとバレていた。
「この子、君のうちの猫かな?」
「いや、全然知らない野良猫。うちは猫飼ってないから」
「…あの、私がこんなこと言うのもおかしいんだけど、できればこの子、飼ってあげてくれないかな?」
彼女の家は猫を飼うのはだめらしい。
そういえばマンションに住んでいるんだっけ。
「なんでかこの猫ね、いつもきちんと鳥居をくぐってから私のところに来るの。神様の道を通ってくるんだから、きっと縁起のいい招き猫なんだよ」
「招き猫、ねえ…」
確かに富士額というかハチワレというか縁起のいい顔をしているとは思う。別に猫は嫌いじゃないし、僕の作った鳥居をなぜか気に入ってくれているのは悪い気はしない。だけどあの父親がなんていうかな…。
「…分かった。ダメもとで聞いてみるよ」
そう僕が言うと、彼女は学校ではついぞ見たことのない晴れやかな顔でお礼を言って去っていった。
「ありがとう、じゃあ千和ちゃんをよろしくね」
猫の名前、もう決まっているんだ…。
ハチワレだからチワで、縁起のよさそうな漢字をあてて、千に和で千和。なんとなく命名の由来を聞いてみたらこれ以上ないくらい真剣な表情で説明してくれた。
その日の晩、親戚の家から返ってきた両親に何から話そうかと困っていた僕の悩みはあっさりと一瞬で解決した。
まさかの父親が子猫の千和にメロメロになってしまったのである。
僕は生まれて初めてあんなに相好の崩れた父親の顔を見た気がする。母親にこっそりそれを話すと、やんわりと否定された。
「そんなことないわよ。あなたが生まれた時なんて、まさにあんな感じだったわ」
そうだったのか。意外な一面を見た気がするとともに、なんだろう、少しだけ父親との距離が近くなった気がした。
最大の難関だと思っていた父親がいとも容易く陥落し、そのまま千和はわが家の一員となった。飼ってみて気が付いたのだけど、この子は必ず左手で顔を洗う癖がある。そしてどうやら招き猫は左手で人を招くというらしい。
父親も直情的な性格は相変わらずだけど、以前より少し丸くなった気がする。文字通り千和を猫可愛がりしていれば、これまでのような威厳はそりゃあ出しにくいだろう。千和は僕の知らなかった父親の意外な面を招いてくれたわけだ。
それと、これはそう、あくまでも自然の流れなんだけど、僕は千和のことについて高橋さんとよく話すようになった。
頻繁に話すようになる前の彼女は物静かな印象だったのだけど、実は興味のある分野についてはむしろおしゃべりというか話の止まらないタイプだった。
最近では僕の家に千和の様子を見に来たいとしつこくせがんできていて、なんだか恥ずかしくてそれはまだ断っているのだけど、きっと近いうちに彼女に押し切られるだろうという予感がしている。
千和がわが家に来てからというもの、僕の周囲にはわずかながらも変化が生まれた。それは僕にとって心地よい変化であり、鳥居をくぐってやってきたという千和は、たしかに神様の道を通ってきた招き猫なのかもしれない。
僕は膝の上でうとうと寝ぼけながら相変わらず左手で顔を洗っている千和を撫で、そんなことを思うのだった。
神様の通り道 きさらぎみやび @kisaragimiyabi
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